「起業女子」とかいう気持ち悪い生き物
私には、大学生の頃から夢があった。記者として、ライターとして独立することだ。ぼんやりと持っていた夢だけれど、いろんな偶然が重なって、美容ライターとしてデビュー、独立することができた。その独立とやらだけど、私が個人事業主になったのは所謂「起業女子」ブーム真っ最中の頃だった。SNS疲れしていた私は会社員の頃全てのアカウントを消していたが、ライターとしての活動をアピールするために、新たにSNSアカウントを作った。ここでいうアピールは、「クライアントになるかもしれない人」に対してだ。早い話が、SNS営業だ。
趣味でSNSをしていたときとは違った使い方になった。趣味で使用していた頃は、美味しかったイタリアンの写真や彼氏との暮らしの写真なんかをたまにアップしていたし、他の人もそうやって使うものなんだと思っていた。たまに愚痴っぽいことを書く人もいたけれど、私の中で、それは稀な部類だった。SNS営業を始めてからは、起業している女性との繋がりが多くなった。類は友を呼ぶ、とはよく言ったものだ。もちろん、起業している男性との繋がりもできた。だけど、SNSを続けているうちに、なんだか違和感を覚えるようになったのだ。自撮り写真と共に添えられたた仕事の報告。なんだか高そうなレストランでの食事の様子。「セミナー」と称した怪しげな集会。そういった投稿は男性の中にもしている人が多くいた。だけど、女性の方が目立って見えた。
その頃知った。「起業女子」というものが流行っていることに。私は決して流行に乗ったつもりはないのだが、何やらよく分からないものにカテゴライズされていると感じた。そもそも何、「起業女子」って。女性が起業していたら「女子」とか付けられるの?「○○女子」ってよく言うようになったとは思っていたけれど、起業する女性まで「○○女子」になっちゃうなんて。んで、「女子」の定義がよく分からないけれど、少なくとも私は「女子」じゃないからね(笑)そもそも私とSNSで繋がった人も、「女子」というよりかは「女性」の方がしっくりくる。「女子」って、「女子大生」くらいまでが違和感なく使えるんじゃない?とか思ったり思わなかったり。
彼女(彼もなんだけど)たちのSNSの投稿とコメントには辟易した。何かと仕事できますアピール。何かと忙しいアピール。何かとセレブアピール。何かと仲間アピール。彼女(彼もなんだけど)たちは、「クライアントになるかもしれない人」ではない何者かにアピールしているように感じた。その何者か、はリアルの友人に対してなのかもしれないし、SNSで繋がっている一般人(「ファン」とでも呼ぼうかしら)に対してかもしれない。でも、一番感じたのは「起業女子」に対してだということだ。「起業女子」は「起業女子」を仲間だと思い、コネクションだと思い、ライバルだと思っているのではないかと勘繰らせた。その強かさが何とも言えない恐怖感を醸し出していた。
そのうちに、私にも「ファン」ができた。仲の良い「起業女子」もできた。「ファン」や「起業女子」は自撮り写真を求めたり必要性を説いたりした。自撮り写真をアップするなんてガラじゃないし、と思っていたけれど、一度アップすると抵抗感が薄れた。「ファン」やSNSで繋がっている「起業女子」仲間が離れていくのが怖くて、自撮りを上げ続けた。添える言葉は、今やっている仕事や今忙しいだとかいうもの。私は、当初薄気味悪さを感じていた「起業女子」になっていると感じた。リアルで繋がっている人には、SNSの内容を話せなくなった。どう思われているかが怖かった。
あるとき、大学の同級生から結婚式に呼ばれた。二次会は同級生のみで開かれ、久しぶりの同窓会のような感じだった。私のSNSについて口を出してくる人はいない。だけど、SNS上では同級生たちも繋がっているから知っているはずなのだ。私はほとんど話しかけられることがなかった。その代わり、冷ややかな視線を向けられていると感じた。
私は「クライアントになるかもしれない人」に対してのSNS営業を始めた。確かにそこから仕事をいただいたこともある。だけど、私は「クライアントになるかもしれない人」のみにアピールしていたのか。「クライアントになるかもしれない人」ではない何者かにアピールしていたのではないか。当初「起業女子」に対して抱いていた違和感や薄気味悪さを、今度は私が抱かれる番になった。私は一体何がしたいのか、と思った。苦手だった自撮りを毎日のようにアップして。添える言葉を必死で考えて。
「起業女子」ブームに乗って同じようなことをしている人をよく見た。SNSで「綺麗な自分」を演出して、息苦しくないのかと感じた。少なくとも私は息苦しかった。ブランディングというと聞こえが良いが、一歩間違えれば自分に酔っている人だ。「起業女子」のようなSNS活動をしながら起業していない人もいた。バイトをしている人もいたし、夢は個人事業主、と言っている主婦もいた。やりたいことがあっての起業ではないか。「起業女子」という言葉が独り歩きして、キラキラと輝いて見える人にはキラキラしているんだと思った。順序が逆になると、途端に滑稽になる。逆ではない順序で個人事業主になったはずの私も、結局は滑稽になったのだが。
会社員だと、仕事上で何か自分をアピールすることはない。アピールするものは、自分が属している会社だ。だけど、「起業女子」は自分をアピールすることになる。だって、自分が「会社」で自分が「商品」なのだから。企業アカウントが新商品を紹介しても気持ち悪さは感じないのに、「起業女子」が自分を紹介すると一転気持ち悪さを感じるのは何故か。それは恐らく、過度な自己愛、自己顕示欲、それに付随する直接的な金銭授受が見えてしまうからだと思う。
私は当初の目的を見失った営業としてのSNSアカウントを全て消した。自己愛なんてアピールしなくて良い。自己顕示欲は出さなくても良い。セレブ感もわざわざ他人に言う必要があるか。そして何より、「綺麗な自分」を演出するのに疲れた。私はSNSでしか出していないような、「綺麗な人間」ではない。歪んだ考えも持っているし、マジョリティが賛同してくれなさそうなマイノリティな部分だってたくさんある。そんな私が「綺麗な人間」「綺麗な自分」を演出するなんて可笑しいだろう。疲れて当然だと思った。
SNSを離れて思う。まだ「起業女子」は生息するのだろうか。彼女(彼もなんだけど)たちは、今も「綺麗な自分」を演出しているのだろうか。今も自己顕示欲を出しているのだろうか。彼女(彼もなんだけど)たちは疲れないのかな、とふと思う。「起業女子」がキラキラと輝いて見えていた人にとっては、ずっとキラキラと輝いている世界なんだろうか。輝いているから、疲れることなんてないのだろうか。
『「起業女子」とかいう気持ち悪い生き物』なんて不穏なタイトルをつけたけど、彼女(彼もなんだけど)たちを否定する気はありません。楽しく生きているのなら、それが一番だ。ただ、私は疲れたというだけです。「起業女子」とかいう気持ち悪い生き物になっていることが。最初から違和感を覚えていた私には、向いていなかったというだけの話です。私は私であって、「綺麗な自分」を毎日演出する(というブランディング)をする必要はないな、という答えに行き着きました。「起業女子」の義務じみたことに疲れている方は、ちょっと深呼吸してみたら良いのかも。私みたいにSNSを全て削除するなんて極端な真似はしなくても良いと思うけれど、自分なりの道が見えてくるかもしれないですね。「楽しく生きているのなら、それが一番だ」ということです。




