エピローグ
本格的な仮想世界へのフルダイブが可能となった、HMD型VRゲーム機――通称FVRハード――の最新型が発売されて、二年の月日が経過したが、日本での普及率はあまり芳しくない。その証拠に、全世界で配信されている二百以上ものタイトルの中で、国ごとに開発・配信されたタイトルの数の比率を海外と日本で比較すると、8:2と少ない。それ以前に、日本の比率が2もあるかどうかも、怪しいかもしれない。そう断言してしまえるほど、今の日本のFVRゲーム業界には、活力が存在しなかった。
もっと言えば、衰退の兆しが見えているようだった。一部では『日本でFVRゲームが覇権を握るには十数年を要するだろう』と言われているくらいだ。
――相変わらず十数年前と変わってないな。
そんなことを思いながら、男はハードを頭に装着し、仮想世界の中へとダイブした。
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二年前に発売された最新型のFVRハード(以下V4)は、V2とV3の間以上の空白期間を置いての、発表と発売となった。前回は、度重なる安全確認の実験によって、延期に延期を重ねていたのだが、今回はFVRに関わる、様々かつ複雑な事情が連鎖的に起こったため、これほどまでの間が空いてしまった。新たに追加された機能も、セキュリティ強化や超高性能CPU搭載など、特に目ぼしいものはなかった。V3の時点でFVRとして完成されていたから、これ以上の機能追加は蛇足ではないかという声も存在した。
……このように、次世代FVRの発売にも関わらず、当時の人々の空気は冷え切っていた。海外での発表では、V3発表の再現と言えるほどの熱烈な歓迎を受けたが、国内ではあまり関心を寄せなかった。まるで、北半球と南半球の気候の差異を見ているようだった。
レイティング騒動から数年。もうFVRハードや、それらを愛用するユーザーが不当に叩かれることも、テレビで槍玉に挙げられることも、すっかりなくなった。だが、大火災の自然鎮火の先に待ち受けていたのは、FVRが元から存在しなかったかのような無関心と、いくつかの後遺症だった。
騒動の出火元であり、同時に戦場となった某FVRRPGは、大規模かつ長期間のメンテナンスを終えることなく、そのままサービス終了してしまった。騒動を起こした責任をとって終わらせたのではないか、と言われているが、開発兼運営元の企業からの説明は、今でもなされていない。
ハードの開発元であるA社は、『来年をもってV3の生産を終了する』と、V4の発表から数日後に伝えられた。国内での売上が低迷したことと、V4の開発に力を注ぐ方向性で経営を進めることが理由であるが、その発表によって騒然することはなかった。当然だよな、という空気が周囲に漂っていた。
技術提供をしたB社は、騒動で世間が混乱している間、謂れのない風評被害に遭った。『Bは自社の製品向上のためにAを踏み台にした』という風文が、ネット上に出回ったのである。幸い、真実を突き止めようと懸命な努力をした人々によって、デマは短期間の内に終息したものの、A社とB社双方を傷つけて終わった。
FVR誕生の功労者であるC氏も行方不明になった。AとBの間に広まった噂にショックを受けたとも、騒動に責任を感じて辞職したとも言われているが、真相は定かではない。
このように、FVRに関わった者は、己自身も含めて次々と不幸な目に遭った。彼らを取り囲む空気に、肌の痛い冷気が帯びていたのは、悲しい出来事が連続で起こったことも少なからず影響していた。
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FVRの国内での人気は一気に下火になった。それは早過ぎた発明品であるが故に、多くの人々が持て余していたからである。異世界へいざなうゲートは、人の手に負える代物ではなかった。だからあのような出来事が勃発したのだ。
無論、海外でも、日本と似たような事例や懸念が数多く存在した。しかし、海外でFVRを展開するにあたって、A社の海外支部は、あらかじめペアレンタルコントロール機能を入れたり、保護者の同意と同行がなければ販売しなかったりと、市場に展開する際に様々な対策や工夫を凝らしたため、炎上や騒動は大きなものにならなかった。
そのため海外では、FVRは人気ジャンルとして確立していた。無論、問題やいざこざが完成になくなった訳ではなく、発売以降もそれらが続出したが、全てユーザー間で対処できる程度の小さなものだった。
そのような話をネットのニュースで見かけた男の脳裏に、ふとある思いが浮かんだ。
このままFVRは、国内で寒波を受け続ける宿命なのだろうか?
男はFVRを愛していた。少年の頃にV3に触れて、これはすごい物だ、と強い感銘を受けた。それ以来、男は勇者や戦士になれる仮想世界の魅力に取り憑かれた。無論、ゲームと現実の区別がつく範囲でだ。
それ故、あの騒動が起こって、FVRが凄まじい逆風に襲われた上に、国内のタイトルの配信数が一気に減少した時は強いショックを受けた。騒動以来、趣味に関して特に口出ししなかった家族も、追い討ちをかけるようにFVRをやめろと詰め寄ってきた。最初は抵抗したが、最終的に折れてしまった男はハードを売り払った。男にとって何よりも辛かったのは、ゲームを手放したことではなく、『FVRをやっていると空想と現実の区別がつかなくなる』と、周囲の大人が鬼の首を取ったように、声高々と主張していたことだった。その時の彼らは、まるで理性が消失した化け物のように、少年の日の男の目には映った。
今では逆風もかなり落ち着いたが、その代わりに待ち受けていたのは冷え切った空気だった。
容赦のない強風に曝されていく内に、地表が冷やされてしまったのだ。
何とかして、自分が初めてあのハードに触れた感動や楽しさを、他人に広めることはできるだろうか――男はそう思った。
そして色々と考えた果てに、彼の脳裏に浮かんだのは、FVRを利用したゲーム実況だった。
実況自体は、別段珍しいものではなかった。FVRを題材にしたゲーム実況は、V3が発売された当時も存在していたし(むしろたくさんの数で溢れかえっていた)、あまりハードがピックアップされなくなった現在でも、少数ながらアップロードされている。
裏を返せば、同じ考えを持っている人間が、確かに存在している証でもあった。
彼らの同志となって、少しでもFVRの魅力を広げる力になろう――と、男は思ったのである。
最初はうまくいかなかったし、動画再生数も思うように伸びなかった。ひどい時には、心ない罵詈雑言を浴びせられることもある。他人も同じことをやっているのだから、自分がやらなくてもいいんじゃないか――と、心が折れそうになったことは何度あっただろうか。
だが、今は違う。少しずつではあるが、FVRに興味を抱く人間が増えている。本音を言えば、このままハードを買ってプレイする者が出てきてほしいが、魅力を広げるという当初の目的をクリアしているので、結果としては十分である。
『日本でFVRゲームが覇権を握るには十数年を要するだろう』
この言葉は残念ながら真理をついている、と男は思っている。今の時代に浸透している物が、誕生したその時代には受け入れられなかったという話は、いくつもある。FVRは紛れもなく、それらの中の一つだろう。
しかし時代が変われば、価値観も変わっていく。今は不遇な立場に追いやられているが、未来ではもしかしたら、大人気コンテンツとして市民権を得るかもしれない。少なくともあれは、このまま注目されずに燻って消えゆく物ではない。これからも生き続けるべきだ。男はそう確信している。
――いつかFVRが覇権を握るその時まで、魅力を伝え続けよう。
そんな小さな野望を抱きながら、男は今日も仮想世界の中を冒険する。