FVR誕生の予兆
『場所を取らないテレビ』とは、A社の新型VRハード(V2)に期待外れだと感じた者達が名付けた蔑称である。これをAのハードを好ましく思っていない層が、新型ハードにマイナス印象を与えるマジックワードとして使用し、鬼の首を取ったようにネガティブ・キャンペーンを展開した。当然、Aのハードを愛用している層を激昂させ、半ば炎上に近い論争にまで発展したのだが、最終的に一つの結論に至った。『本格的なVRは、たとえどのメーカーが挑もうと、越えることのできない高山である』と。
その非建設的な争いを、B社の企画部部長であるC氏は、SNSで偶然見かけたことによって知った。しかし、彼はゲームに関する造詣が皆無だったため、特に論争に関して何も思わなかった。別に一部の頭の固い人間みたく、ゲームをやり過ぎると馬鹿になるという迷信を信じていたり、ゲームという存在を軽視している訳ではなかったが、この小競り合いはC氏にとって、興味のないニュースと同様、こんなことが起こっているのかという程度の認識でしかなかった。
それとは対極的に若い社員達の間では、この話題で盛り上がっていた。だが、白熱化しているような状況に反して、社員らの表情も、会話の内容も暗かった。そう思われても仕方ないだろう、現実的ではないから論争するだけ野暮だ、やはり技術の限界か……。まるで諦観したような言葉が、彼らの間で往来している。
この光景を不思議に思ったC氏は、部下とのコミュニケーションを深める意も込めて、このことについて社員達に訊ねた。
彼らは、部長からの予想外の質問に驚き戸惑いつつも、少々長ったらしく、けれども懇切丁寧に、VRゲームと、それを取り巻く大衆の意識と現状について、一から説明した。
『Virtual Reality(仮想現実)』。通称VRとは、人工的に作られた空間を、まるで現実の中にいるような体験ができる技術のことで、それによって創造された世界をゲームとして体感できるのが、VRゲームであった。それが数年前、A社によって一般向けに普及されたのだが、人々が想像していたものとは違い、視覚と聴覚のみでしか仮想世界を体験できなかった。それでもユーザー達は、技術としては大跳躍だ、VRゲーム革新への第一歩だ、と歓迎したのだが、次第に――というより、感覚的には、ある時を境に急に――その勢いは消失した。
原因はおそらく、VRを題材にしたWeb小説や、その小説を題材にしたメディアミックスの影響も少なからず関係しているのではないか――と、社員の一人は自分の考察も交えて述べた。さらに、彼は小説や関連するメディアミックスが、大衆にどのような影響を与えたのかについても、詳細に説明した。
VRゲームという存在が登場する以前に、VRMMOというジャンルの小説が、Web内で大流行した。物語の内容は、VRゲームの世界から脱出出来なくなった登場人物が出口を見つけ出す、ゲームのデータと酷似した世界に転移するなど様々だったが、VRハードというガジェットを装着して、現実世界から仮想世界に転移し、その中で主人公が大活躍するという点では共通していた。それらの物語はどれも非常に魅力的で、多くの人々の心を掴んだ。VRの世界に対してのロマンも抱かせた。
そして満を持して、一般向けに発売されたVRハード(V1)に、人々は期待を寄せた。体感できるのが視聴覚だけでも大きな一歩であると、大いに歓迎した。だが、その一歩の歩幅がとても小さいものだと思い込んだ彼らは、『視聴覚だけでは物足りない』と、手のひらを返すようにハードから離れていった。それは本格的に仮想世界にダイブできるVRを望むことが、ないものねだりであると痛いほど理解している彼らの、ささやかかつ屈折した抵抗だった。
そんな抵抗を知ってか知らずか、A社は新たなVRハードを発売した。
それが現在、話題と論争の渦中にある、『場所を取らないテレビ』、V2である。
A社は新型のハードの宣伝にあたって、前回のハードの宣伝ではプッシュしなかった機能を全面的に推すという広告戦略を実行した。それは『テレビがなくても、大画面で据置ハードゲームがプレイできる』であった。その戦略によって、VRは既存の据置ハードと共に爆発的にヒットした。しかし同時に、VR面での仕様をあまり宣伝しなかったことが仇となり、新型ハードに『場所を取らないテレビ』という、不名誉ではあるが、どうしようもないほど正鵠を射た蔑称がつけられた。それが原因で、今現在のように、多くのユーザーの間で論争が勃発してしまったのである。
……一連の説明を聞き終えたC氏は、何も感想を言わず、鼻で小さく嘆息した。小競り合いの馬鹿馬鹿しさに呆れた訳ではなく、知らない所で様々なことが起こっているな、と世界の広さにわずかな感嘆を示しただけだった。
しかし同時に、あることが脳裏にちらりと浮かんだ。販売が見送られて埃をかぶっているB社の二つの技術だ。
思考を全て掬い上げる意思・感情伝達装置と、予算が嵩み過ぎたパワーアシストスーツ。
本格的なVRハード実用化への道に、これらの技術を活かすことができるのではないか?
C氏の中で不意に、英気に富んだ若者のような冒険心が湧き上がった。それが結果としてどう転ぶのかは、当時は誰も知る由もなかった。ただ、今になって一つだけ言えるのは、B社はとても恐ろしく素晴らしい技術を隠し持っていたということである。Bに言わせれば、隠秘していたのではなく、世に出すのが危険過ぎるので封印していただけなのだが、後にそう神格化されるほど、Bの培った技術はVRハードを大発展させたのである。