六人
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ホームルームの終了を知らせるチャイムが鳴るのを待っていたかのように樹里は席から勢いよく立ち上がった。
それは教室にいる誰よりも早い起立だった。
少しでも早く音楽室に行かないといけない。樹里は眼鏡のブリッジに時折触れながら慌てた様子で荷物をまとめていく。
手元から滑った一冊の教科書を床に落としたときに
「じゅりー」
と友人が話しかけてきた。
樹里は話しに付き合いながらも手を休めることはなかった。
地面に落としたままだった数学の教科書を最後に拾う。
大橋彰は真面目に授業を受けているだろうか。
そして隣りの席にはどんな女子がいるのだろうか。
樹里は数学の教科書を見つめながら僅かな間ぼんやりとしているような表情を友人に見せた。
「ごめーん今日ちょっと急ぐ。また明日ね、じゃっ」
「なんか樹里さ緩急すごすぎだよ」
顔を覗き込むように見てくる友人に微笑みを返してから手を振り身を翻すと教室を勢いよく出ていく。
とにかく早く吹奏楽の教室へ。
教室と廊下との境目まで来たところでなにか強い視線を樹里は感じた。肩甲骨の辺りにチクリと痛みが走るくらいに強烈なるなにかを感じた。
思わず振り返ってみると席に座ったままの壮太と目があった。
壮太君か。
樹里が笑顔を作り小さく手を振ると壮太は大きな手の平をこちらに向けた。
それがまるで待ての合図のように見えた。
問答無用に足を止めさせるほどに威圧感ある手の平だった。
樹里がきょとんしてると手の平はやがて左右に揺れはじめた。
それがバイバイの意味だとわかるには数秒の誤差が生じた。
壮太の細い目はこちらを見続けている。
樹里はもう一度手を振ってから廊下へと身体を向けた。
同じ北校舎の四階にある教室へ。
樹里は鼻歌まじりに足取り軽く音楽室へと入っていった。
授業が終わってからすぐに教室を飛び出して来たおかげでまだ人は少ない。
樹里のお目当ての人はやはりもう音楽室にいた。席に座りちょうどクラリネットをケースから取り出しているところだった。
「お疲れ様です杉田先輩」
樹里は奈緒子の隣りの席に座った。
まだここに座る席の人は来ていない。
教室を見渡すと 約30人はいる部員もいまはまだ5人ほどしかいなかった。
「こんにちは須田さん」
奈緒子は微笑んで優しい口調で返事を返してくれた。
髪が耳元で後ろに流され俯く奈緒子は誰もが 可愛いと思うのだろう。
身体の線は細く 背は樹里より10cmは低いだろうか。
「あのね杉田先輩。5月の連休なんですけど、部活の休みってありますよね?もしよかったら水族館に行きませんか?鳥羽水族館まで」
樹里は奈緒子の反応を待った。
びっくりしたように驚いた表情をした奈緒子は
「え…私…なんか…誘ってくれるの?」
「はい誘います。あと遠藤君と大橋君も来ますよ」
「え?」
樹里は奈緒子が見せる明らかな心の変化を見た。
「すごく楽しそう…。私なんか一緒にいいのかな…彰君と壮太君も…よかったら私も…行きたいな」
「先輩ありがとうございます」
「うん。行きます。必ず行きます」
奈緒子の喜ぶ顔に。
樹里は思った。
これはダブルデートだと。
私と彰君。杉田先輩と壮太君。
あ。
でも もう一人いた。
樹里は俊介のシャープな顔を思い浮かべた。
あんなカッコイイ男が余るなんて考えられない。
なんて贅沢なグループデートなのよ。
その時、ぞろぞろと三年生達が入ってきた。
一人の女が須田樹里が自分の席に座って奈緒子と話してるのを見つけた。
「ちょっと!須田!何勝手に私の席に座ってるのよ!」
樹里は意に介さない表情で
「あら先輩こんにちは。そんなに怒るとシワがすぐにたくさんできて彼氏がずっとできませんわよ」
「なによ!いいからどいてよ!」
樹里は「はいはい」と席を立ち「じゃあ杉田先輩お願いします」
と話かける。二人はクスッと笑いあった。
彰と壮太。
あの二人の強さを間近で見たこの女性二人も明らかに変わった。
奈緒子にはイジメられる弱さはもうないといってもよかった。
次の日の昼休みに また四人はB組に集まっていた。
「まじで?」
「まじ」
「まじのまじ?」
「まじのまじ」
「ほんとに?」
「ほんとよ」
「嘘じゃない?」
「もう!壮太君!しつこいな!この私がきちんと杉田先輩を誘ってきましたからね!まだ疑うわけ?」
樹里は誇らしげに腰に手をついて胸を張った。
「あれ。お前胸けっこうあるな。それ武器にしたらどうだ」
俊介に言われて顔を赤くする。
「いや〜そうか〜奈緒ちゃん来てくれるのか」
壮太がつぶやいた。
彰は黙ったまま話に耳を傾けていた。
「あ、でもさ樹里。一人足りないぞ。やはり三対三で行こうぜ。じゃないとよ誰かが、はばっちょになっちまう」
壮太に言われ 二年生になってもクラスの学級委員長をしている樹里は考えた。
どうしようかな…
あ!
「あの子を誘うわ」
ちょっと待って連れてくる。と樹里は教室を出ていった。
そしてすぐに戻ってきた。
一人の女を連れていた。
「なんだ麗奈じゃねえか」
俊介が女を見て驚きを見せた。
樹里が連れて来たのは
春日部麗奈だった。
彰と壮太は知らない女だった。
「麗奈。突然なんだけどこのメンバーで鳥羽水族館に行かない?」
春日部麗奈。おかっぱ頭で体型は丸っこい。
「樹里。突然すぎる〜ウケる〜。でも鳥羽は行ってみたいかも。私。行くわ!いえ!行きます!」
ガハガハと笑う麗奈。
漫才師を夢見る女。
その夢を叶えていく強さとユーモラスをすでに彼女は持ち合わせていた。
「決まりね」
「待てよ。決まりと言われてもさ、俺は知らないぞこの子。彰も知らないだろ?俊介は知ってんのか?」
壮太の言葉に俊介は
「昔のおれの恩人だ」
といった。
「はい多数決で決まりね麗奈も参加決定」
「皆様。私。行きます、ジュゴンに会いたい」
そういい突然ジュゴンの顔真似をする麗奈にみんなが大笑いをする
鼻をこれでもかと広げ無表情のまま泳ぐ真似をしながら三人の周りをぐるりとまわっていく。時折お腹をぼりぼりと掻く仕種がまた笑いを誘った。
「お前楽しい奴だな」
壮太が一番に喜んだ
「どーもー、番長さん。ドスコイ」
鼻の穴を広げたまま四股をふむとまた笑いが起こった。次は彰がつい笑ってしまったよというように吹き出した。
麗奈からすれば人を笑わすのは生き甲斐のように楽しいことだ。
笑いは幸せを呼びこむ風だ。
笑いは平和を招くしずくだ。
笑う涙で頬を濡らす。
人よ人ならば。大いに笑え。
彰がいま吹き出しながら憚ることなく笑っていた。
珍しいことだった。
樹里はわかっていることがあった。
麗奈はずっと前から俊介のことをお気に入りだ。
これでトリプルデートだわ
樹里は水族館に行く日が楽しくてしかたなくなった。
私は彰君と手を繋いで、
奈緒子と壮太の手を無理矢理に繋がせる。
麗奈が俊介の頭を「なんでや」と叩く場面も見てみたい。
水族館デート。
よし。
いまはそこまで頑張りきれる私がいる。
辛い勉強も塾も
お父さんお母さんからのプレッシャーにも
耐えて
頑張り通せる。