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我が輩の夢破れたり

作者: なお
掲載日:2016/10/06

 自分に叶えられなかった夢を叶えている人を見ているとき程辛い心持になってしまう事もそうないものである。

 私の場合目指していたものは音楽だったのであるが、現在二十歳も半ばを過ぎた私に人前で演奏したというような経験も存している訳ではなく、それでも自分自身に才能があるのだとどこかで思い込んでしまっていた私は、自らの作詞作曲した歌を録音し、レコード会社のオーディションへ応募したのだ。

 結果は三ヶ月の審査期間を経た後何の音沙汰もなかったという事から、レコード会社指定の審査期間を経過したという事実が私自身の人格にとって感得せられ、私の抱いたこの夢も、この青年達の抱いてきた革命的な誇大妄想の一つ。そのように今となっては私自身の振る舞いを振返ってみて見る事が出来るのだ。


 何が辛いのかと言えば、それは私自身が私自身に対し私は何か天賦の才能のようなものがあると思い込み、それらの自負に裏付いた紹介文を、該当オーディションの応募に際し添付した資料に対し、自信満々な思いで書いてしまったというその事実である。

 一体これを見たレコード会社の人々は、どう思った事だろう。向こうも鬼ではないと私は私の心に照らし合わせそう思ってみてもいるのだが、どうにも釈然としない。もしかするとこれは私の行った青年期の最後における、自信満々な恥としての行いとして目も当てられぬ思いを抱かせてしまったものか。然なくばその表現の内容に対し怒り心頭し、屑篭の中へ跡形もなく吸い込まれていってしまったのか。そのどちらかであろうと私は推測しているのだが、真相は果てさて闇の中。雲中の彼方へ吸い込まれていきそうな空へ、私の恨み辛みは霧散し、時と共にその傷みは拭い去られていく事であろう。


 夢など見なければ良かった等とも思うが、きっとこのような出来事が私という個人を待ち設けていなかったとしたならば、私はどうしてあの時自分の歌を、作品を世に問うてみなかったのだろうと後悔の念を、後々の年になって鬱積させていたであろうし、しかしいざこのように行動し敗退を経験してしまったとなると、私はこれから一体どうしたらいいというのだろう。

 とにかく私にとって音楽をし続けていくという事実はより現実的な、トラウマティックな傷みを伴う事象して、私の生に対し現前してきたという事実がある。それはどういう事かと言うと、私は私で音楽というものはこれからの生において続けてゆきたいと願っているが故、私自身の生の概観を得ようとした時に登場する、不断の動揺や傷みをそこに予期せずにはいられない、という事実である。それはどういう事かというと私の生はこれからもっともっと、次第次第に苦しみを増していくであろう、という事実である。しかしそう考えてみても一向に自分の才能のなさと呼ばれるものが浮彫りになっていくだけであって、それは別にそういうもので、才能と呼ばれる語を私は疑いたくなっているという、そんな思いも味わっている。


 何故なら世に出ているアーチストと呼ばれる人々が、沢山の広告業者に宣伝されているのを見たり、私の入店したりする飲食店の中で作品が流されているのを聴いていると、これを聴いて喜んでいる人々は実はかなりの少数で、大多数の人々はそもそも関心がないか、それともクラッシックやジャズ、そのような趣のある、己の造詣の深さも示して行けるかのような、私にとってそのように感得される音楽を嗜む人々にとって、これはそもそも音階を保った音楽として聴いて行けるのかという、そんな事実も感ずるようになってきてしまったし、実際どうなのか。

 私は同じ牛丼屋で食を嗜んでいる人々に混じりおう、おうと叫び散らしたり、リズムに合った音形を有しておらぬ、喚き散らすようなその音楽に、ある種不快の念を生じさし、それは今私の隣に座し牛丼を食しておるかの人にとっても同様の思いとして感ぜられているのではないものかと、そのような思量を育てていってしまうのだ。


 このような事を牛丼を食べながら考えていっている私であったが、そもそもこの牛丼屋内に座している、私と一緒に食を嗜む数名の人々は一体どのような人なんだろう。私は音楽をしているからこそこのような思いを感じていたのであるが、私は彼らの人生について一言たりとも何か語を発したりしていけるという、権利を有している訳ではないのである。それなのにこのような事を考えてしまうという裏には、何か暗黙の了解のようなものがあるに違いない、それはきっと、常識というやつだろう。

 常識として考えてみるなら私はこのような音楽を強制的に町に流して行っているという事実を否定するに足る、厳然とした根拠を提示してみたくもなるのだが、彼らは実際に私と同じように、この今店内に流れている音楽に対し不快な念を抱いているのであろうか。私はきっとそうであると信じている。


 町で流すなら先程私の言ったようなクラッシックや、ジャズの音楽になっていかぬものか。若者がおう、おうとがなり散らしたものや、リズムや音形を無視した言葉ばかりの、青年の主張のような音楽をせっかく食事しに来たお店で聴かされるという事実は、如何なるものか。少なくとも私はそう考えている。


 日本に暮らしている私は日々このような重圧に晒されている。少しお店に入るとそこには若者の発する、おう、おうといった台詞の示された無意味な音や、インスタントに作られたかのような精神性の無い音楽が流されている。


 私はこのような音楽を全部、クラッシックやジャズ等の、人のソウルを表現した音楽に変えて欲しいと願っている。さすれば我々の過ごしていく日常によい習慣が得られ、人々の精神的生活はより豊かになっていくであろうと、そのように思うのである。

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