表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/23

Act7

 送ってくれると言う凱月さんを断って、ホテルを出ると、最寄りの駅へと歩き出す。

 黒江と並んで歩いてはいるけど、話すことがない。

 ……そうじゃない。

 何を話したらいいか、わからないんだ。

「あのさ」

「なに?」

「本当によかったのか?」

 黒江に言われて、口を引き結ぶ。

 いまさら、そんなことを聞かれても。

 正直、自分でも本当によかったのかと思う。

「後悔しそうだと思うなら、今からでも遅くないぞ。やめとけよ」

「そんなこと言われても……わかんないよ」

「って、おいちょっと……また、泣くなよ!」

 通り過ぎていく人が、何事かと見ているのがわかるけど、止まらなかった。

 ぐいぐいと手の甲で涙をぬぐう。

「なんで今頃泣いてんだよ。嫌なら、いやってあの時……」

「だから、イヤとかじゃないよ!ただ……」

 あの時、他の条件出されてたら、もしかしたら解消していたかもしれない。

「いきなり婚約者と言われても、わかんないけど……、クロは幼馴染だよ。本当は違うのかもしれないけど」

 そうじゃなくなるのが、嫌だっただけだ。

「結子」

 止まらない涙をぬぐっていると、押し殺したような黒江の声に名前を呼ばれた。

「……なに?」

「本当のところ、お前と一緒にいた時間なんて、そんなに長くないぞ」

「うん?」

「せいぜい高校に入ってからの2年くらいだ」

「ふぅん」

「お前が覚えているのは、……オレたちが一緒にいた思い出なんて全部勘違いなんだぞ」

「わかってるよ」

 鼻をすすりあげて、空いている方の手でハンカチを取り出す。

 劉善さんに言われてから、改めて考えてみると、確か鮮明な思い出なんてない。

 なんとなくぼんやりとした懐かしいような感覚しか思い出せない。

 でも、それじゃいらないって思えない。

 クロのこと全部いらないって捨てちゃえるほど、簡単じゃない。

 簡単じゃないと思ってしまった。

 駅に着いても黒江はまた黙り込んだままだし、顔は涙でぐちゃぐちゃだし。

 唯一の救いは、人がほとんどいないことくらいだった

 そのまま改札まで進むと、ホームに続くエスカレータに乗る。

「本当は……」

 本当に今日は最悪の日だ。

「結婚なんて想像もできないし、中国なんて一生行かないかもしれなかった場所だし。だいたいクロの親戚ってば何よ?どう見ても堅気じゃないし」

「悪かったな、だったら、お前……っ」

「それでも、イヤだったの」

 何か言いかけた黒江の言葉を遮る。

「なにが?」

「幼馴染じゃなかったかもしれないけど、クロといて楽しかったのは本当のことだよ。忘れたくない」

「お前、バカだな」

 独り言みたいに呟いた。

 電車がホームに滑り込んでくると、黒江は黙って電車に乗り込んだ。

 車両に乗り込んでも帰宅時間がずれているせいか、それとも通勤で混む方向とは逆だからか、人は誰も乗っていなかった。

 手を引かれて座席に座っても、黒江は何もしゃべろうとしない。

 まるでこの世に黒江と二人だけになったみたいだ。

 いや、電車が動いているのだから、そんなことはありえないのだろうけど、それでも誰も乗っていない電車の中はやけに寂しくて、つないだ手から伝わってくる黒江の体温だけが頼りみたいに思えた。

 実感はわかないが、大変なことになったと頭では分かっている。

 あの時ホテルでした返事は、きっとすごく大変なことなんだ。

 進学先を決めるとか、就職を自分で決めるのとは違う。

 あとから撤回することもきっと無理で

 自分ひとりだけで、たった16で、将来を決めてしまった。

 本当に怖い思いも、初めてした。

 そんなことに関わるなんて、どうかしてる。

 絶対になかったことにした方がいい。

 今日のことも、クロのことも全部忘れちゃった方がいい。

 そう考えた時、無性に悲しくなった。

 絶対イヤだと思った。

 これから大変なことになるのより、クロを忘れる方がよっぽど辛い。

 でもクロは違うんだ。

 忘れた方がいいみたいに、ずっと言っているってことは、クロは私のことを忘れてもいいんだ。

「クロは私のこと忘れて、どっかいっちゃても平気なんだ」

 言葉にすると、意外なほどショックだった。

「薄情者」

 それは身勝手な恨み事だったかもしれないけど、これくらいは言ってやってもいいと思った。

「クロのバカ」

 何考えてんだか、全然わかんない。

「……よく、そんなに出るな」

「なに」

「涙腺、壊れてんのか?」

 ……。

 こんな奴のせいで、泣いている自分がバカみたいに思えてきた。

 人が凹んでるんだから、ちょっとは優しくしてくれてもいいのに。

 恨みがましい気持ちになっていると、黒江がぽつりと呟いた。

「……昔さ、すっげえ小さい頃、日本に来たことがある。母親に会いに」

 ぼそぼそと話す黒江は足元に視線を落としたまま、何かを思い出しているみたいに見えた。

「それまでずっと中国?」

「ああ。んでその時、まあ大筋省くけど、ともかくオレは迷子になって……、一人ふらふらしてたわけ。冬だったから寒いし、腹は減ってくるし、暗くなってくるし、自分の居る場所もわからねえから、不安でしょうがなくて。とりあえず獣化をしたんだ」

「獣化……?」

 聞き返すと、黒江がちらと横目に視線をよこした。

「劉善の腕、みただろ」

 そういうと、黒江は少し考えるように視線を泳がせてから、再び口を開いた。

「お前にもわかりやすいように言うと、オレは狼男ってことになるんだろうな」

「映画みたいに、あの……」

「お前が想像する、モンスターチックな感じじゃなくて、オレの場合、完全に狼になる」

 二本足で立って人間を襲う狼男の映画を思い出していたのを、頭の中で修正した。

「ま、それでもかなりでかい犬みたいな感じだから、当然、その辺歩いているヤツは驚くわな。で、そうするとオレはますます居場所を失くして、公園の遊具の影とかに隠れていた」

 大きな犬と、公園。

 それはどこか覚えのある風景だった。

「その時、ひとりだけオレに近づいた女の子がいた」

「特別動物好きなのか、警戒心が薄いのか。自分の身長と同じくらいあるオレを可愛いとか言って人のことさんざんなでまわした。それからごみ箱から新聞漁ってきて、オレの下に敷いたり、食いものくれたりしたんだけど。……チョコレートとかくれてさ。あの時はありがたかったけど、今にして思えば、あれよくねえよな」

「なんで?」

「本物の犬だったら、間違いなく吐いてた。ま、親切だったけど頭はよくなかったんだろうな」

 そういって小さく笑うのに、思わず答える。

「……バカで悪かったわね」

 その悪態に黒江は笑っただけで答えなかった。

 代わりに思い出話の続きを話し出す。

「女の子は迎えに来た母親と帰って、オレは、その後探しに来た家の人間と合流できて戻れたんだけど、ずっとそのことが頭の隅に残っていた。この年になって、家を出る時。日本に来ようと思ったのは、母親の故郷だったからってだけじゃない。あの時の女の子がどんなふうに大きくなったか、興味があったから」

 あの公園でみたのは、大きな犬だと思っていた。今の今まで。

 大きな体をしていたけど、震えているのが寒そうで、何かあげたかったけどチョコレートしか持ってなかった。

 まじまじと黒江を見ていると、頬っぺたをつねられた。

「痛……っ」

「ひでえ顔」

「どうせブス顔だっていうんでしょ。痛い……っもう、離し……」

 手を払って睨むと、嫌に真剣な顔で黒江が自分を見ていたので、言葉に詰まる。

「なあ……本当に、婚約したままでいいんだな?」

「いいよ、もう。……それよりも、スマホ」

「あ?」

「そういえば、アンタちゃんと預かっとくっていったくせに……」

「あれは劉善に盗られたんだよ。アイツいつの間にか、人の懐から……っ、いや、まあそれはいいや。悪かったな」

 珍しく素直に謝ったのは意外だった。

「しょうがないから、許す。あと劉善さんで思い出した。スマホを返してもらった時に聞いたんだけど、あのメール。今朝からずっと届いてたアレ」

「ああ、あの脅迫文な」

「あれ、劉善さんが送ってきていたのは間違いないんだけど、脅迫文じゃなかったんだって」

「なに?」

「なんにも言わずに迎えに行くと、怖がらせるだろうから、迎えに行くよメールのつもり……だったらしいよ」

 黒江の表情が、徐々に呆れたものに変わっていく。

「……あれは、どうみても脅しだろう?」

「まだ日本語に慣れてないから、ああいう言い回しになっていたのかもしれないけどね。それにまさか私が何も知らないとは、思ってなかったみたいよ。一族のこととか」

 強面が迎えに行くことに関しての配慮のつもりだったらしい。

 でも……後半は本当にそれだけが目的だったのか、すごく疑問だ。

「馬鹿馬鹿しい」

 黒江が吐き捨てるように言う。

「検討はずれな感じが、ちょっとクロとの血のつながりを感じるよね」

「どこがだよ、つか、オレ見当はずれじゃねえだろ」

「見当外れだよ。それに、大切なことは全然説明してくれないし」

「簡単に説明できる内容じゃねえだろ」

 ふて腐れた顔で言われて、カチンとくる。

 そういう態度がダメなんだって言ってんのに。

「アンタなんかと結婚したら、絶対苦労する」

「うるせえな、自分で選んだんだろうが」

「……そうよ」

 間違ったとは思ってないけど、これからどうするんだろう、私。

 肩を抱き寄せられて、頬に柔らかな感覚があった。

 キスされたのだと気が付くまでに数秒必要だった。

 黒江の方を向くと、再び唇が重なって、下唇を舐められた。

 吐息が触れそうな距離で黒江の顔を見ると、改めて顔はいいんだよなあと思ってしまう。

「……舐めた?」

「ちょっとな」

「なんか、犬みたい」

 呆然と呟くと、黒江が小さく噴き出した。

 なんだそれと言った後に、

「犬じゃない、狼だ」と、まるで冗談の様に呟いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ