Act6
ひとしきり私のわからない言葉で皆が話した後、学校から移動することになった。
もちろん、一緒に連行されて、とんでもなく居心地が悪い。
「詳しい話は、学校出てからするから」
にこやかに美人に言われたけれど、どうしても先に確認したいことがあった。
「ねえ、クロはこの人たちと知り合いなの?」
「ああ」
答えるクロの隣で美人が笑う。
「知り合いどころか。私はこいつの叔母なの。凱月よ、よろしく。それでこっちは劉善。黒江の幼馴染よ、本物のね」
「ほんもの?」
「凱小姐!」
黒江が脇から咎めるような声を出して、睨みつけるのに、平気な顔で凱月は笑う。
「それ以上は後でね」
語尾にハートマークがつきそうなほどに、機嫌がよく言うとさっさと黒塗りの車に乗り込んだ。
しょうがなく後に続いて乗ると、続いて隣にクロが乗ってきた。
劉善さんは助手席。
それから居た堪れない沈黙の中、車はゆっくりと走り出す。
何処に連れて行かれるのかと思ったら、市内で一番の高級ホテルへと車は入っていった。
エントランスには普通のフロント係の人だけじゃなくて、なんだかけっこう偉い人っぽいおじさんが待ち構え、エレベーターまで案内された。
案の定というか、行く先は最上階。
正直、スイートルームなんて初めて入った。
「さあて、どこから話したものかしら」
凱月の軽い調子とは裏腹に、黒江も劉善も苦々しい表情だ。
隣に黒江が座りその向かい側に、凱月が座った。その後ろに警護するように劉善が立った。
もう限界ってくらい、居た堪れない空気だ。
俯いたまま視線をあげることもできない。
でもこのまま黙っていてもしょうがないし、聞きたいことは山ほどある。
「あの……」
「はあい?」
凱月だけが、にこにこしている。
「今朝、校門の前にいたのは、凱月さんの部下と言うか……そういう人、なんですか?」
「そうね。でも言い訳になるかもしれないけど、指示は私じゃないわ」
「私が指示した」
背後から劉善が低い声で答える。
「それは私を攫うようにとか、そういう」
「一応、丁重にお連れしろといった」
無表情で言うのに、なんとなく白けた気持ちになった。
その割には、貴方の私の扱い雑でしたよね。
……ぁあ、だから一応なのか。
「お前が、予想以上に暴れるからだ」
心を読んだかのように言われてしまった。どうやら顔に出ていたらしい。
「えーと……、劉善さんは私を攫って、ナニをするつもりだったんですか?」
「一族に人間が嫁入りするのだから、掟に従って……」
「ちょっと待て、ストップ」
それまで黙っていた黒江が割って入る。
「……あのさ、今回のことはいろいろ手違いがあって、その、オレのせいなんだけど……それに関しては、本当に申し訳ない」
そういうと今までそっぽを向いていたくせに、まっすぐにこちらを向いた。
「で、本当はお前もいろいろ聞きたいことはあると思う」
そこまでいってから眉根を寄せて、それから気まずそうに言葉を続けた。
「でもここはそれを我慢して、なんにも聞かずになかったことにするってのは、どうだろう?」
「……はい?」
「それがお前の為でもあると思うんだよ、オレは」
思わず、他の二人をみると劉善さんは無表情だけど明らかに『不本意』って空気が出ていて、凱月さんは面白そうに見ているだけだ。
もう一度、黒江に視線を戻す。
「クロ」
「ん?」
「あのさ……」
「なんだよ」
どこか後ろ暗そうに答える黒江を睨む。
「そんな都合のいいこと、通ると思ってる?」
これだけ怖い思いをさせられて、痛い思いもして、なかったことになんてできるわけない。
「私が今日どれだけ怖い思いをしたか……っ!」
「いや、わかってる!わかってるけど。聞かないのもお前の為みたいなところもあるかなって……!」
言い訳がましくいう黒江とは正反対に、劉善はぼそりと呟く。
「随分怖い思いをしたというが、その割には、思い切りよく人のことをぶん殴ってくれたな」
「それは貴方が本気で襲いかかってきたからでしょう!?」
あれだけ怖かったのに、苛立ちの方が勝って思わず劉善さんを怒鳴りつける。
それに苦笑いをしながら、凱月さんが割って入った。
「まあまあ。とりあえずこれで交渉決裂だ。諦めて詳細を話しなさい、黒江」
にこにこと話に割って入る。
凱月が言うのに、嫌々ながらも諦めた顔で、クロは肩を落とした。
「しょうがねえか」
呟く声が、ため息交じりだ。
「あ、その前に、さっきから『ヘイジャン』っていうのは」
「そいつの本当の名だよ。凱黒江」
劉善が腕を組んだまま、バカにしたように答える。
「本当って……クロ、日本人じゃないの?」
「……ハーフだよ」
知らなかった。
幼馴染だとはいえ、そんな話は一度も出ていなかったし、おじさんとおばさんだって、そんなこと言ってなかった。
……言ってなかった?
あれ、なんか違和感。
「ともかくオレは半分中国の人間で、この人たちはその親戚とか、そういう人たち」
言われてみれば似ていなくもない。
でも、クロの中国の親戚の人たちって、どうみても堅気には見えないんだけど……。
「なんだ?」
「……いいえ、なんでも」
とりあえず胸の中に、気持ち悪さはおいておくことにした。
「まあ、親戚なのはわかったけど、……どうして私は、その人たちに攫われなきゃいけないわけ?」
「それは……」
黒江がもごもごと口ごもるのに、凱月がいかにも楽しそう口元に手を当てて言う。
「お嫁さんだと思っちゃったのよね」
くすくすと笑いながら言うのに、黒江が心底嫌な顔をした。
「……凱小姐」
お嫁さんって?
「私たちの一族って特殊なだけに、いろいろ厳格な掟があってね。日本にいる一族の後継者候補が婚約の儀を勝手にやったっていうから」
「だからそれは……っ」
「婚約の儀って。それ、私とクロのことですか?」
「他に誰が?」
首を傾げられても……。
「そんな覚えありません」
単なる幼馴染で、それ以上でもそれ以下にもなった覚えはない。
でもとぼけるなと言わんばかりに劉善が不満そうに呟く。
「そんなはずはない。お前たちは確かに満月の夜に同衾したはずだ」
「どうきん……?」
『どうきん』って……。
同衾?
同じ布団で一緒に寝ましたって……あるいは、一緒に寝て……。
「そ、そんなことしてません!ねえ、クロなんとか言ってよ!」
「いや、えーと……」
黒江があさっての方向を向いて、呟く。
「ちょ……何言い淀んでんの!?」
そんな覚えはない。
断じてないから!
「とぼけるな」
「とぼけてません!何それ、誰がそんなデマ……ちょっと、ホントになんとか言って、クロ!」
「結子」
「何よ!?」
「おそらくこの場合の同衾は、オレの家にお前が泊ったことを指す、と思う」
額を抑えながら言うのに、言葉を失う。
「……。」
クロの家に泊ったのなんて、年中だ。
試験勉強したりゲームやったりしているうちに、家に帰るの面倒になって泊ったことなんて何度もある。
「でも、それは……」
「心当たりがあるようだね」
ソファに身体をもたれて美しい脚を組む凱月に、何か言おうとするが言葉が出てこない。
「男の家にほいほい泊るなんて、これはもう何もないと考えることの方がおかしくないかな?」
「だって、小さい頃からそうしていたんだもの。クロのお母さんだっているし、いまさら、別に特別なことじゃ……」
「黒江のお母さん?小さい頃から?」
「……はい」
「ふーん」
含みのある表情と声音に、嫌な気持になる。
「ま、いいわ。でも貴方には大したことじゃなくても、我ら一族にとっては、それは立派な儀式なわけ。少なくとも人間の娘と一晩、それも満月の夜を過ごしたわけだから」
あ、また。
さっきから、何か。ひっかかる。
「理由はなんにしろ後継者候補が婚約したわけだから、一族に挨拶もなしじゃ義理もたたない」
凱月の微笑みの種類が変わった。
威圧感のある視線に身体が緊張する。
「ということで少し強引にではあるけど、二人にはこっちに挨拶に来てほしかったの」
「こっちって?」
「もちろん中国」
あっさりと言うけど、それって簡単なことじゃない。
黒江が疲れたように口を開いた。
「……凱小姐。だから何度も言ってるけど、オレは後継者じゃない」
「第二継承権もってるじゃない」
「だから!……後継者なら、凱大哥がいるだろ。オレは関係ない」
「凱豊はねぇ。確かに第一継承権もあるんだけど、風来坊で、未だにどこにいるのか知れやしない」
黒江は舌打ちして、視線を逸らす。
「なら、いっそ凱小姐が継いだらいい。老師たちも喜ぶ」
「女はだめよ。……ま、ともかくそういうことで、少し強引な風になったんだけど、乱暴したのは悪かったわね」
そういって、改めて視線を向けられて、無意識に身体がこわばる。
「……で、とりあえず、仕切り直しと言うことで、改めて黒江のお嫁さんとして一族に挨拶に来てほしいんだけど」
「話が飛び過ぎだ。小姐、こいつは」
まだ黒江が何か言おうとしたが、口を開いた。
「あの、いろいろ訂正したいこともあるし、言いたいこともあるんですけど。その前に聞かせてください」
それから、一度、小さく呼吸を整えた。
鼓動が早くなる。
「一族って……なんなんですか?」
空気が、ピンと張りつめたのがわかった。
でも構わずに続けた。
「もしかして学校で劉善さんが私を襲った時に、その……眼とか腕とかが、変わりましたよね。つまり一族って、……そういうことですか」
その言葉に凱月は目を丸くした。
それから肩を竦めて、天を仰いだ。
「黒江、……本当に、まったく、全然!説明していないのね」
「だから、さっきからそう言ってるだろ」
拗ねたように言うのに、凱月はわざとらしくため息をついて肩にかかる髪を払った。
「しょうもない子。……ま、いいわ。うん、そういう一族と言う意味合いもあるね」
つい数時間前の恐怖がよみがえる。
テレビの向こうの話なら、SFXとか特殊効果で済んだだろう。
あの凶暴な長い爪。獣のような腕。
それに金色に光る目。
「我ら一族は常人とは違う能力を持つ。狼の血を引く一族」
その瞬間、凱月の目も金色に光った気がした。
息を飲む。
「無論、他の意味合いも持つけどね。黒社会の一員とか」
にこやかに言っているけど、黒社会って、チャイニーズマフィアのことじゃなかったかな……?
それはとりあえずおいておいて。
「……クロ」
「なんだ?」
「よくも長年騙し続けてくれたわね」
「騙してねえ。黙ってただけだ」
「嘘つけ」
劉善が不機嫌な顔で横から口を出すのに、黒江が目をつりあげる。
「お前は黙っとけ!」
「いいや、もう茶番に付き合うのはたくさんだ。お前が大事なことを何も言わないから、混乱する。……おい」
いきなりこちらに視線を向けた劉善に言われても、意味が分からない。
何か苛立っているのはわかるけど、さっきから何が気に障っているのか全然わからない。
「お前、ここまで来て、本当にまだ気が付いていないのか?」
「……はい?」
「お前が鈍すぎるのか、黒江のバカの力が強すぎるのか……」
劉善に睨みつけられて、唇を引き結ぶ。
「よく考えてみろ。本当にこの男はお前の幼馴染か?」
「は?」
言われた意味が分からなくて、頭が真っ白になる。
一体、何を言い出すんだろう。
黒江が幼馴染かどうかなんて、そんなこと。
「そんなの、……決まってるじゃないですか」
「なら思い出してみろ。お前とこいつのとの小さい頃の思い出を」
言われて、笑おうとする。
そんなの数え切れないほどある。
「ええっと、一緒に学校に通ったし、小学校までお風呂に一緒に入ってたし、泊りに言ったし。ゲームで遊んだし」
「そういう曖昧なものじゃない。もっと詳しくだ。その記憶は、ちゃんとお前の中にあるのか?」
切りつけるように言われて、鼓動が一つ大きくなった。
「一緒に学校に通ったといったが、どんなことが印象に残っている?ゲームで遊んだと言ったな。どんなゲームで遊んだ?その時こいつはどんなことを話して、どんなふうに遊んでいた?」
「……それは。」
言われるまでもない。
どんな遊びをしたかなんて、すぐに答えられる。
……答えられる、はずだ。
「あれ?……ええっと、小学校の時は何が流行ったんだっけ、……私レースゲームにハマってた頃だから、えっと……ともかく一緒にやったはずだよ。いつも一緒で……、……そうだよね?クロ?」
黒江は答えない。
こっちを見ようともしない。
「クロ?」
なに、なんで黙ってんの。
急に、頭の中でいろんな疑問が溢れだす。
クロのお母さんってどんな顔してたっけ?
マンションに引っ越してきたのっていつ?
小学校の時、クロって何組だった?
中学は?
だいたい私って、どうやってクロと仲良くなったんだっけ?
「どうした、答えてみろ」
溜息のように言われて、じょじょに視線が下がる。
自分のつま先を見ながら、必死に思い出を探す。
何か、黒江との記憶を。
「こっちの世界で早く馴染む為に手っ取り早いとはいえ、やり過ぎだ」
「そんなんじゃねえよ」
「なら、なんだ?お前のその考えなしで、いい加減なところが今回の騒ぎにつながったとは思わないのか」
「……っんだと!」
バカにするように言われて、黒江が劉善に噛みつく。
腰を浮かせかける黒江に、凱月が面倒くさそうに手を軽く払う様に振る。
「こら、やめろ。みっともない。まったくお前たちは寄れば触ればケンカして」
そういって両手を組むと、結子を見た。
「随分、混乱させてしまっていると思うけど、続けて大丈夫?」
「大丈夫、です」
本当は頭の中がぐちゃぐちゃだった。
でも、ぐちゃぐちゃだからといって逃げることもできない。
「じゃ、改めて。黒江の婚約者として中国に来てくれないかしら?」
「……。」
そこに話が戻るのか。
「正直、向こうも混乱してんのよね。特に年寄連中が浮き足立っちゃってて、もう大変。もっとぶっちゃけちゃうと、この件について、貴方に選択権ってあんまりないのね」
凱月の笑顔にどこか威圧的なものを感じた。
「……それは、もし私が嫌でも、クロの婚約者になるしかないってことですか?」
「絶対に拒否できないってことはないけど、近いものはあるね。それに貴方、ほんの少しとはいえ、劉善の本性を見ちゃったでしょう?」
腕だけとはいえね。と、凱月が微笑む。
「そうなると、そうやすやすと解放してあげるわけにもいかないのよね」
「私、誰にも言いません」
「貴方の意志とは関係なく、しゃべることを強要される場面だって、今後ないとは限らないでしょう。だから、もし本当に嫌なら、婚約を解消する代わりに、少しばかり貴方自身に処置をほどこさせてもらうことになるわ」
「処置って?」
「黒江が貴方の幼馴染と錯覚させたように、今度はもともとなかったことにするの。貴方の記憶を含め、この街にある黒江の存在した痕跡をすべて消す。詳細は秘密だけど」
にこやかに言っているけど、冗談でもなんでもないんだろうな。
本当に、そういうことができるんだ。
きっと。
「どうする?別に痛くないわよ」
言われて無意識にクロの方を見た。
クロは黙ってる。
こっちを見ない。さっきからずっと、目を合わせようとしない。
クロはずるい。
卑怯だ。
でもそんな風に思ってしまう私の方がズルいのかもしれない。
私一人で、こんな大事なこと決めさせないでよ。
「……消さないでください」
口が勝手に動いていた。
「黒江のこと、消さないで」
「それは、婚約者になると言うことだけど」
「……それでいいです」
「その場しのぎで言っているんだとしたら、あんまり賢い選択じゃないわよ」
凱月の声が一段低くなる。
「人間じゃない者の花嫁になる。その覚悟があってのこと?」
「かまわないです」
自分の声が、他の人の声みたいだった。
「そう。じゃ、私から言うことは何もないわね。それじゃ、劉善、出発の準備を……」
そういって背後の劉善を振り返るのに、声をかける。
「待ってください」
「なに?」
「申し訳ないですけど、今すぐに中国に行くのは無理です」
「何言ってるの、あなた今……」
「婚約は解消しません。御挨拶にも伺います。でも、今じゃありません」
「なんですって?」
「私はまだ学生ですし、親に何も言わずに勝手に出歩くのは無理です」
きっぱりと言い切る。
後から考えても、この時にこんなにはっきりと自分の意見を言えたのが、不思議だった。
相手は大人で、堅気の人でもないのに。
「貴方の親御さんはこちらでなんとでもするわよ」
「それじゃイヤです」
呆れた顔の凱月さんに、それでもくいさがる。
「私はまだ子供だし、……よくわからないけど、でも貴方たちの何か都合のいい、不思議な力を使って両親をごまかして……それでクロの一族の人たちに御挨拶に行くのは、何か違う気がするんです」
「凱小姐」
隣から声がした。
「結子の言う通りにしてやってよ」
黒江と結子を交互に見ると、凱月が子供のように口を尖らせた。
「それは無理だって言ってるでしょ。爺様たちが納得するもんですか」
「だから、今回はオレだけが行くよ。ちゃんと長老会に顔を出して挨拶する」
言うと、凱月と劉善が目を丸くした。
「だから、こいつはまた……もう少し大人になってからでもいいだろ。すぐに結婚するわけじゃねえんだから」
なんだろう。
凱月と劉善がすっごく驚いてるっぽいんだけど。
黒江の今の発言ってそんな、すごいことなの?
「アンタが長老会にまで顔を出すって?……明日は槍でも降るんじゃないの」
ため息交じりに言いながら、凱月さんはソファに寄り掛かった。
「いいわよ、わかったわよ。もう好きにしなさい」
「ありがとう、凱小姐」
「……しょうがないわねー」
本当にしょうがないと言うように、凱月さんはふて腐れたような顔をした。
劉善さんに至っては驚いた表情まま、まだ黒江の顔をまじまじと見ていた。