Act4
「鍵開いたか?」
校舎から離れたクラブハウスのプレハブに来て、部室のカギを開ける。
本当は職員室にしか部室のカギがないはずなのだけど、もう卒業してしまった先輩が部室の合鍵を作って、入口の下駄箱の中に隠してあるのだ。
「うん」
「なら、とっとと入れ」
そう言いながら、ぐいぐい背中を押されて、つんのめる。
「ちょ……、押さないでよ」
いくら追われているとはいえ、乱暴に人を突き飛ばさないでほしい。
それにしても、やっぱりまずかっただろうか。
女子陸上部の部室に、幼馴染とはいえ、男子生徒を入れるというのは……。
「……ちょっと、なにきょろきょろしてんの?」
「いや、女子の部室ってきれいだな~と思って。なんか良い匂いするし」
「やめてよ、変態発言」
「どこが変態だよ!?」
むっとした黒江を無視して、椅子に座る。
「そこらへんのもの勝手に触らないでよね」
テーブルに頬杖を突きながら、一応釘をさしておく。
……それにしても、こんなのバレたら、みんなにめっちゃ怒られるだろうなぁ。
「何、ため息ついてんだ?」
「なんでもないよ。で、この後どうすんの?」
「考えてない」
「行き当たりばったりー?」
「しょうがねえだろ。……とりあえず一休み」
二人で、向き合って座るとため息をついた。
「喉渇いた」
「……おー」
「そういえばクロ、お茶買ってくるって言ってなかったっけ」
「お前が連れ去られそうになったの見て、どっかにほっちゃった」
「バカ」
だいたいあんなに時間をかけて、どこまでお茶を買いに行っていたんだろう。
「助けてやったのに、どの口がいうんだ?あぁ?」
黒江が腰を浮かせて手を伸ばしてきたのに、よけ損ねて頭を抱え込まれる。
「痛い、痛い!わかったってば!悪かったから離してよ」
ヘッドロックをかけられて、腕を叩いたが力が緩まない。
「タップアウトしたら、離してよ!」
「お前は我慢が足りねえよ」
「女の子相手なんだから、もう少し力加減してもいいでしょ」
幼馴染だからって遠慮なさすぎだ。
「お前のどこが女だよ?」
「……っ……どこもかしこも女の子だよ!」
超不満そうな顔をされた。
「な、なによ?」
「お前さ、もうちょっと胸とか尻に肉がついてからいえよ、そういうことは」
バカにするように鼻で笑われて、怒鳴りつける。
「はあ!?セクハラ!セクシャルハラスメント!!!」
「悲しいくらい色気もなにもねえ……痛っ」
とりあえず、手元にあった雑誌で殴った。
信じらんない。
いくらなんでも言っていいことと悪いことがある。
「何すんだ、痛ぇな!」
「変な目でみるな!」
「変な目でなんか見てねえよ。……貧乳」
「それが変な目だっていうのよ!バカ!クロのヘンタ……っ」
胸を隠すように自分の体に腕を回して怒鳴ると、口を塞がれた。
「今さら隠したって遅いってーの……、つか、暴れるな怒鳴るな。人がいるってバレる」
誰のせいだと思ってるんだ。
不本意ながら、もう騒がないからと手を離してもらう。
「で、いつまで隠れてなきゃなんないの?」
「とりあえず、ちょっと……考える」
クロはスマホを出して。いじり始めた。
何か調べてるっぽいけど。
「なにやってんの?」
「ちょっと黙ってて」
相手にしてくれる気はないらしい。
ただぼうっとしてると嫌なことばかりが頭の中を回って行くので、とりあえず自分のロッカーを開けた。
喉渇いた。
なにかペットボトルとか買い置きして放置とか、……ないか。
「あ……」
買い置きと言えば、この間の大会の時に買ったスポーツドリンクが残っていたような覚えがある。
共有の備品のロッカーを開けると、開封済みの段ボールを見つけた。
覗き込むと5本残ってる。
「クロ、スポーツドリンクあるよ。飲む?」
聞くと、黒江が視線をあげた。
「なにそれ、部室の?」
「この間の大会の時に買っておいたの残ってた」
「本当は部活のだから、勝手に飲んだらダメなヤツだけど緊急事態だから。半分こね」
そう言って、開けて先に半分飲んだ。
ぬるいけど、喉が渇いてるから贅沢言えない。
「はい」
「……。」
「なに?いらないの?」
「いや……。くれ」
渡すと、クロは受け取って残りを飲みほした。
飲みかけじゃいやだったのかな。そんな神経質じゃないと思ってたけど。
いつも食べ物とか半分くれとかいうくせに、ペットボトルの回し飲みは嫌なわけ?
直接口がついてるから、汚いとか思ったのかな。
昔はそんなこと言わなかったような気がする……、あれどうだったかな?
「……っ」
スカートのポケットの中で、スマホがまた震える。
いきなり、現実に引き戻されたような気分になった。
見たくないのに、手が勝手にスマホの画面をスライドする。
件名:(なし)
汝、狼と契りし娘。誓約を果たせ
迎えの使者に従え。
逃亡はその身の為ならず
……誰だか知らないけど、いたずらにしてはしつこ過ぎる。
さっきまで黒江と話している時は平気だったのに、気持ちが悪くなってきた。
足元に血が下がっていくような感覚に、吐き気がする。
どうしてこんなことするんだろう。
やっぱり、このメールはあの人たちに関係あるんだろうか?
私を捕まえてどうする気なんだろう?
どっちにしろこんなやり方、普通じゃない。
もうやだ。
「……家に帰りたい」
「結子?」
「家に帰りたい。もうやだ」
我慢できなくなってそういうと、黒江が不審に思ったのか手元を覗いてくる。
「どうした、何?……また、メールか?」
黒江にスマホを取り上げられたけど、取り返そうという気にならなかった。
どうでもよかった。
それよりも今この時も、自分を探し回って捕まえようとしている人がいることが気持ち悪かった。
どこかから視線が送られているようで、ぞっとする。
「どうして私がこんな目にあってんの?意味わかんない。私なんにもしてないよ」
「うん」
「こんなのやだ」
瞼が熱くなってきた。
悲しいとか不安とかそういうのもあったけど、何より理不尽さに泣けてきた。
「……泣くなよ」
クロの困ったような低い声が聞こえたけど、涙は止まらなかった。
人前で泣くのは恥ずかしいし、かっこ悪いと思ったけど、それよりも怖い気持ちの方が強かった。
「私どうなんの?あの人たちに捕まったら、何されんの?殺されたりするの?」
「だから泣くなって」
苛立ったような黒江の声に、余計涙が出てきた。
「クロ、家に帰りたいよー……」
そしてベッドにもぐりこんで寝てしまえば、目が覚めた頃には何もなかったことになったりしないだろうか。
そして、嫌な夢をみたなって、それでいつものとおりに。
ふと、その時、家族の顔がよぎった。
「そうだ……うち……家、大丈夫なのかな?」
「ウチ?」
「もし本当に私のこと捕まえようとしてるなら、家にもああいう人たち、行ってるってことじゃない?」
嫌な予感がして、勝手に身体が動く。
「おい、ちょっと待って!どこに行く気だよ?」
腕を掴まれて、振り返る。
「家、あの人たち、……家に来てるかも!お母さんとか、家に一人だよ!」
学校だってわかってたんだ。
あの怖そうな人たちが、私を捕まえるために家に押しかけてるかもしれない。
「だからってお前が行ってどうするんだよ!」
クロの腕を振りはらおうと暴れるのに、バカ力が全然離してくれない。
とうとう胸に抱きこまれるようにして、身動きが取れなくなる。
「……っ……離してよ!クロのバカ!」
無理やり抱きしめられると、動けない代わりにまた涙が溢れた。
「落ち着け、結子!」
「落ち着いてなんかいらんないよ!」
今何が起こってるかなんて、わからない。
どうして、こんなことになったのかも。
でも、もし今お母さんに何かあったら、私のせいだ。
「このまま……っ、放っておいて、お母さんに何かされたらどうすんの!?」
「……結子」
「……っ……ぅえ」
なだめるように背中を軽くたたいて撫でられて、かえって涙が止まらなくなった。
クロの胸に顔を押し付けてしゃくりあげる。
「大丈夫だから、泣くなよ」
「……っ……、クロ……何かあったらどうしよう?……ぉ、お父さんだって、会社に……あの人たち……きたら」
「あぁもう!考えるな、ちょっと待て!」
背後でスマホを操作する音が聞こえた。
「クロ……」
かすかに呼び出し音が繰り返されるのが耳に届いてきた。
「……あ、もしもし、おばさん?」
少しだけ漏れ聞こえる声に、顔をあげる。
「うん。オレ、クロエ。……そう、久しぶりです。うん。……授業中?いや、自習なんだ」
家に電話してる?
お母さんに、つながってる。
無事なんだ。
私のスマホで話すクロを見上げると、目があった。
スマホを差し出される。
「……もしもし」
いつも通りに話そうとするのに、少しだけ声が掠れる。
『もしもし?結子?……ちょっと、あんたどうしたの?』
今朝とまったく変わりのない声に、ほっとして力が抜けた。
「なんでもない。……えっと、今朝、なんか買い物頼まれてなかったっけ?」
『別に、なんにも頼んでないわよ。……ちょっと、アンタどうしたの?泣いてるの?』
「ううん、泣いてない。寝ぼけてるだけ。居眠りしてた」
呆れたようなため息が聞こえてくる。
『そう……いくら自習でも、ちゃんと勉強しなさい。居眠りなんてしてダメよ』
「うん、うん。わかったから。大丈夫。それじゃ……」
『あ、ちょっとクロエちゃんにもよろしくって伝えてね』
「わかった」
能天気な母の声に、苦笑いして通話を切る。
よかった。
少なくとも、自宅には何も起こってない。
「落ち着いたか?」
「うん。……ごめん、ありがと」
お礼をいってはみたが、取り乱したのが今となっては恥ずかしい。
確かにすぐに飛び出していかなくても、まずは連絡してみれば済むことだった。
視線をあげるとクロが見下ろしてくるので、思わず言葉に詰まる。
「……なによ?」
「すげー、ブスな顔」
「わ……るかったわね!」
率直過ぎだ。
確かに、泣いた後なんてブスだけど、改めて言わなくてもいいのに。
「お前、興奮すると何しでかすかわかんねえな」
そう言って伸ばしてきたクロの手の甲に、ぐいぐいと目もとをぬぐわれる。
「やーめーてーよ!」
「ブース、ブース。ブスは泣くともっとブスになるぞ」
「ムカツク……っ、何よ、バカ……」
突き飛ばすと、意外にもあっさりとクロはふざけた調子で両手を上げて、身体を離した。
「……とりあえずさ」
「なによ?」
「決めたよ、これからどうするか」
「え?」
「スマホ貸せ、で、お前はここを動くな」
「ちょっと、ちょっと……」
取り上げられそうになって、思わず後ろ手にスマホを隠す。
「何よ、いきなり。どうするつもり?」
「なんとかしてやる」
「は?」
「だからお前は、大人しくしてろ」
「なんとかしてやるって……」
何をするつもりなのだろう。
「何するつもりよ?アンタみたいなただの高校生が、なんとかできる相手じゃないでしょ?」
言っても、黒江は窓から外の様子を見つつ、こっちの言うことなんて聞く気もないようだ。
「余計なことは気にすんな。ともかくお前が動くと面倒そうだから隠れてろ。ここから絶対動くなよ」
「でも……」
「誰か来ても知らん顔して、なんなら寝ててもいい」
「こんな状況で眠れるほど、神経太くないわよ」
「ま、誰もこないと思うけどな。試験前で部活停止だから」
こっちの話なんて聞いてない。自分ひとりで勝手に納得してる。
黒江の顔つきが変わった気がして、なんだか落ち着かない気持ちになった。
「ねえ……なに?何するつもりなの?」
「秘密」
意味がわからない。
本当に、冷静な顔して、何考えてんだかさっぱり掴めない。
「ほら、スマホ貸せ」
「なんでよ?」
「どうせまた変なメールが来たら、お前パニクるだろうが」
もう一度、スマホを取り上げられそうになって、思わず身体を引く。
「預かっててやるよ。あとでちゃんと返してやる」
なんだろう。変な感じ。
何かひっかかるのに、もやもやしてはっきりしない。
このまま黒江のいいなりになっていいのだろうか。
「結子」
手を差し出されて、ぐっと唇を引き結ぶ。
「……わかった。スマホは渡す」
そういうと黒江が手を差し出してきた。
「でも、なんにも外と連絡方法がなくなるのは、怖いからやだ」
言うと、黒江は眉根を寄せた。
「だからクロのスマホと交換して」
「あぁ?」
「それなら渡す」
一呼吸の間があった。
「……。わかった」
黒江はポケットからスマホを出す。
「ほら、交換」
「うん」
スマホを交換する。
「勝手にメールとか見るなよ」
「こっちのセリフだよ」
黒江がポケットに無造作にスマホを突っ込んで、そのまま出ていこうとした。
「クロ」
「なんだよ?」
「危ないこととか、しないでよ」
念のためのつもりでいったら、皮肉っぽく笑われた。
「当たり前だろ。平凡な高校生ができることなんて、限られてっからな」
「じゃ、ホントに大人しくしてろよ。オレが迎えに来るまで、絶対に出るな」
「しつこい」
何するつもりなのかとか、聞いてもどうせ答えてくれないだろう。
自分の気が向いた時は、こっちが聞いていないことまでしゃべるくせに。
……本当に大丈夫だろうか。
昔からああいうところがあった。
変なところで秘密主義と言うか、いきなりだんまりになったり。
そういう所にはいつもイライラさせられてきたが、今回ばかりは少し勝手が違った。
絶対に、無茶なことしないでよ。
もう一度、心の中で呟く。
なんとなく隠れるように、部屋の隅にいって膝を抱えて座り込む。
こうなってみて初めて分かった。
待つのってすごい……精神的にキツイ。