Act2
「……っ、ひぁ……」
気がつくと、学校の最寄りの私鉄駅の近くにある商店街まで来ていた。
学校から商店街までは2kmはあると思うのに、休みなしで。
「は、我ながら、……すっごい健脚……」
などと言って感心している場合じゃない。
どうしよう。
っていうか、何あいつら。
あんないかにもな人に拉致られそうになる覚えは、まったくない。
私はごく普通の、一般家庭の、なんの変哲もない女子高生だ。
全力疾走のツケでガクガクする足を引きずりながら、それでも一応周囲を見回す。
その時、ポケットで何かが唸りをあげた。
「ぅわ……っ!」
思わず小さく悲鳴をあげたが、よく考えたら自分のスマホだった。
着信があって、バイブで動いていたのだ。
モニタには月子の文字。
「もしもし?」
『あ、結子!?ちょっとアンタ、いまどこ?無事なの?』
「無事……かなあ。とりあえず逃げ切った。今は、駅の商店街」
「商店街って、あのアーケードのところ!?あんたよくそんなところまで走ったね!」
感心されても嬉しくない。
「うん、それより……そっち、どうなった?」
「こっちは警察来てる。なんか先生とかに、いろいろ事情聞いてるみたい。風間は救急車で運ばれたけど、命に別条はないって」
風間は、あの男に吹っ飛ばされた先生だ。
再びぞっとする。
あんなすごい力があるように見えなかったのに、本当に無造作に、腕を振っただけで、校門に大の大人を叩きつけたのだ。
「結子、聞いてる?」
「え、ああ。聞いてるよ」
「だからさ、ともかくアンタ、ケーサツとかに保護してもらいなよ。学校に戻ってこれそうなら戻ってきてさ」
「あ」
警察に保護してもらう、というのは考えてなかった。
でも言われてみれば、その通りだった。
「そうじゃなかったらそこから一番近い交番とか警察署とかいって、事情説明すれば守ってくれるよ、きっと」
「うん、……わかった」
確かに相手が誰であれ、警察に逃げ込むのが一番だ。
月子との電話を切って、もう一度周囲を見回す。
商店街は時間がまだ早いせいか、あんまり人も通ってない。
っていうか、制服目立ってる……?
ともかく警察。
日本は法治国家だもん。国家権力に守ってもらうのが、一番いいに決まっている。
この近くに交番か、警察署ってあったっけ?
学校の近くと言えば近くだが、あまりこの辺は歩いたことがない。いつもバス停の方が自宅に近いから私鉄はあまりつかったことない。
まだシャッターすら開いていない商店街の並びの中でコンビニやファーストフード店を見つけて、急に喉の渇きを覚えた。
ただでさえ寝不足でぼろぼろなのに、全速力で走って汗だくだし、足ガクガク。
ちょっと休んでからでもいいかなぁ。
頭の中整理したい。
目の前のファーストフード店から、フライドポテトの匂いにつられて店内に入る。
「いらっしゃいませー!」
元気なお姉さんの声に迎えられて、なんとなくほっとする。
さっきまでの非日常からいつもの自分の世界に戻ってこられた感じ。
そんなことを考えながら、メニューを見る。
「えーと……アイスティー。あとポテトのM」
「アイスティーにレモンかミルクお付けしますか?」
「いらないです」
カバンから財布を取り出していると、背後から腕が伸びた。
「あ、あとソーセージエッグマフィンのセット。飲み物アイスコーヒー」
は?
背後からの予想外の追加注文に動きが止まる。
だが、お姉さんは当たり前のように笑顔で答えた。
「はい、ご注文繰り返します。アイスティーをひとつ、ポテトのMをひとつ。ソーセージエッグマフィンのセット。飲み物アイスコーヒーですね」
慌てて振り返る。
ちょっと目を引くくらいの赤毛に長身。
本当に日本人?って聞きたくなるような薄い目の色。
幼馴染の乾黒江が突然真後ろに立っていることに、一瞬、ぽかんとしてしまう。
「学校サボって何やってんだ?」
平然と聞かれて、すぐには言葉が出てこないまま呆然と黒江を見上げる。
「クロ、あんたこそ、何やって……」
「お会計失礼しまーす。740円になります」
「おい、会計」
黒江に急かされて、思わず黒江とお姉さんを交互に見る。
「え?あ、……えぇー……」
商品がトレイに揃って、お姉さんが笑顔で自分を見ていた。
しょうがないのでサイフを出して会計をすませると、図々しい幼馴染はトレイを持ってさっさと奥の席に移動してしまった。
「ちょっと、後でちゃんと自分の分払ってよね」
席に座りながら黒江を睨むと
「なんで?」と、軽くさえされた。
なんでって……。
「なんでじゃないよ。なんで私がアンタに奢るのよ」
「この間、購買でジュース買ってやったじゃん」
確かに、昼休みにサイフを忘れた時にジュースおごってもらったけど。
「金額違いすぎない?」
でも多分何を言っても無駄だろうなと思い、しょうがなくため息をついて諦めることにする。
「だいたいさあ、クロはなんでこんなところにいるの?遅刻?」
「うん。寝坊。で、そっちは?学校に行かずになんでこんなところにいるんだよ?」
「行ったよ、学校。でも……」
言いかけた時に、ポケットのスマホが震えるのにびくっとした。
嫌な感じがしてスマホを開く。
新着メール1件。
件名:(なし)
汝、狼と契りし娘。誓約を果たせ
迎えの使者に従え
また。
「なんなのよ、一体……」
「なに、どうした?」
人のポテトに手を伸ばすのに嫌な顔をして見せたが、黒江は平気な顔で口に運んでいる。
「なんでもない」
一瞬、メールをみせようかと思ったがやめた。
それどころじゃないし。
「ともかく学校には行ったの。でも入れなかったの」
「学校に入れないって、なに?」
不思議そうから不審そうに表情を変える黒江に、今朝あったことをかいつまんで話す。
「……ふーん、そんなことがあったんだ」
「お陰で学校は警察くる騒ぎだって言うしさ。わけわかんないよ」
「警察まで来たの?」
「うん。さっき月子が教えてくれた。救急車来て、風間センセー運んで、そのあと警察も来たってさ」
「おおごとになってんな」
「本当だよ」
ため息交じりに言ってアイスティーを口にすると、ちょっと落ち着いた。
人のおごりのソーセージエッグマフィンを3口で平らげ、紙ナプキンで手をぬぐいながら黒江が口を開く。
「そいつらなんで結子の名前、知ってたんだろうな」
「それもそうだけど、その前になんで私のこと連れて行こうとしたんだろう」
顔をしかめて言うと、黒江が
「心当たりは?」なんて、平然と聞いてくる。
「ないよ!決まってるじゃん!あんな物騒な感じの人に攫われる理由なんて、あるわけないよ」
「だよなあ」
能天気にヘラヘラと笑う。
そんな風に平然としていられるのは、あの場に居合わせなかったからだと思う。
「で、これからどうするんだ?」
一通りお腹が膨れて満足そうにしている黒江に聞かれて、腕を組む。
「とりあえず警察行く。事情話して保護してもらおうと思って。月子がそうした方がいいって」
いうと、クロは目を丸くした。
「おいおい、ちょっと待てって」
「何?」
「警察に保護?本当にしてもらえんのか?」
クロの言葉に、こっちが目を丸くする番だった。
「だって外人の怖そうな人たちに、車で拉致られかけたんだよ!?」
「っつーかさー下手に警察なんか行ったら、お前痛くもない腹探られることになるんじゃないの?」
「なにそれ?」
「お前は拉致ろうとした連中なんて知らないって言ってるけどさ、警察はそうは思わないかもしれないじゃん」
「どう思われるっていうのよ?」
「今どきのJK怖いからさ、なんかヤバイことやって、その黒スーツに追われてるとか思われたり?」
意地悪そうに口の端をあげて言うのに、むっとする。
からかっているつもりかもしれないけど、今は笑えない。
「ちょっと、やめてよ」
「関係者と思われる可能性なくもないよな?」
ホントふざけんなと思わないでもないけど、そういわれると警察に行くのもなんだか怖くなってくる。
「ま、生徒に事情聴取とかして、お前が絡まれたこと話す奴もいるだろうから、お前が警察行かなくても、お前のこと探すだろうけど」
「えー、やだ……なんで私が警察に追っかけられなきゃならないの?」
「追っかけるっつか、話聞いただけなら、多分お前からも事情聴取しようとするだろうし、お前らの言うところの保護?みたいなこともしてくれるかもな」
黒江がストローを噛みながらそんなことを言うので、不安になってきた。
漠然とした嫌な感じに、寒気が走る。
「まあ、考えてもしょうがないからさ。とりあえず行こうぜ」
言いながらトレイを手に立ちあがるのに、慌てて後に続く。
「どこに?」
「学校」
「はあ!?」
私のことなど構わずにさっさと行ってしまう黒江の背中を追いかけて、席を立つ。
お店を出て、先にさっさと行ってしまう黒江を小走りに追いかけた。
「ねえ、この状況で、どうして学校なのよ!」
「だって警察に行ってもいいけどさ、どうせいま学校に警察きてんだろ?交番とか行って一から説明するより、学校に来てる警察の人に助けてもらえば?その方が早くね?」
「それは……」
そうかな。
どうなんだろ。
「だいたい、他に行くところなんてあんの?」
言われて言葉に詰まる。
本当は家に逃げ帰ってしまいたい。でも家に変えても親がいるし、親になんて説明すればいいのかなんてわからない。
仮病なんてつかっても、すぐにバレるし……。
他に行くところも思いつかない。
「この近くの交番つったら結構歩くし、それに連中だって、またお前が学校に戻ると思わないから……、あ」
「なに?」
クロが言葉を止めたので、見上げると、遠くを見たままぼそりと呟く。
「お前、追っかけてたのってさー……」
「んん?」
「茶髪に黒シャツの男と、ダークグレーにストライプのスーツにノータイのおっさんと、金髪に……」
クロの言葉が終わらないうちに、視線の先のものに息を飲んだ。
あいつらだ!
こっちに気がついて、走ってくる。
「クロ……っ」
思わず叫ぶと、
「こっち」
何かを言う前に、クロは察して私の手をとって走り出した。
***
商店街を駆け抜け、細い脇道に入る。
「クロ、クロどうしよう、追っかけてくるよ!」
「ホント。お前の言う通りだなー」
「アンタ、アタシの言うこと信じてなかったわけ!?」
走りながら、怒鳴りつける。
黒江の阿呆、走りながら笑ってる。
あんなおっかないのが追っかけてきてんのに、なんでこんなに余裕なの?
それでも知らん顔でクロは人の手を遠慮なく引っ張りながら、狭い路地をあっちにこっちにと駆け抜ける。
お店の中を通り抜けたり、建物の裏手に入ったりしているうちに、どこを走っているのかわからなくなった。
「巻いたかな」
そう呟いてやっとクロが立ち止まった時には、強引に引っ張りまわされて腕も足もよれよれになっていた。
コンビニの裏で、我慢できなくて膝をつく。
「……アンタ、もうちょっと……人のことも……」
「ああ、ごめん。でも捕まるわけにいかないだろ」
そりゃそうだけど。
「大丈夫?歩ける?」
「ちょ……待って」
しゃがみ込んだまま、なんとか息を整える。
「学校までそんなに遠くないけど、歩けない?」
「……今は」
そういって周囲を見回すのに、気持ちは焦るけど身体がついていかない。
いくら陸上部でも自分は短距離専門だ。スタートダッシュに自信はあっても、持久力には欠けるのだ。
「しょうがないな。あんまりこんなところでしゃがみこんでないほうがいいと思うけど」
「また、追っかけてきそう?」
「ううん、単に恥ずかしいから」
「……クソ野郎」
帰宅部のくせに体力あるな。ムカツク。
「しょうがないな。ほら」
しゃがんで背中を向けられて、首をかしげる。
「なに?」
「おんぶ。もう学校もすぐそこだし」
「はあ!?なんでよ、いらないよ!」
子どもじゃあるまいし。
「じゃあ、お姫様だっこ?」
明らかにからかおうという顔で言ってくる黒江を睨みつける。
「そっちの方がよっぽど恥ずかしいよ……。歩く!」
膝が笑うのを我慢して立ち上がる。
その時、またポケットでスマホが震えた。
無意識にスマホを出して開く。
「……っ!」
件名:(なし)
汝、狼と契りし娘。誓約を果たせ
迎えの使者に従え。
逃亡はその身の為ならず
……中身増えてる。
しかも脅迫の方向に。
なにこれ、本当に気持ち悪くなってきた。
「結子?大丈夫か」
「……うん」
スマホを開いたまま、クロに差し出そうとしてやめた。
今の状況とこのメールが関係あるかどうかわからない。
こんなの単なるいたずらだ。
そう思わないと怖すぎる。
結局、黙ってスマホをしまった。
「顔色悪いぞ」
「まだ走り過ぎで気持ち悪いの……。どっち?」
コンビニの壁に手をついて黒江を見る。
「何?」
「学校に決まってんでしょ!どっちに行けばいいの?」
「そっち」言うと、手を引かれた。
「結子って、ホントに学校の周り知らないんだ」
「アンタがへんな裏道知り過ぎなの!」
怒鳴りつけながらも、素直に手をつないだまま歩いた。
変なメールも、追いかけてくる連中も、あまりにも日常とかけ離れ過ぎている。
でも黒江がいると、かろうじて日常とつながっていられるような気がした。