Act15
それから、二日。
誰からも何の連絡もなく、黒江は学校を休んだままで、それ以外は何事もなく過ぎた。
送り迎えの大知洙さんは、あんまりしゃべらない人だったけど、慣れてくると気づまりな気持ちはなくなった。
寡黙なところは劉善さんに似ているけど、いつも無表情で不機嫌そうな劉善とは違って、空気が穏やかだ。
重要な話はさりげなく濁されるけど、世間話くらいはできるようになっていた。
黒江には、ムダだとわかっていたけど、一度だけメールを出した。
ケンカ別れしたままは後味が悪いし、
あんな啖呵を切っておいて、今さらだけど、不安だった。
なんでもいいから黒江と連絡がとりたかった。
別に優しくしてくれなくてもいいから、黒江から何か言葉が欲しい。
絶対に、万が一にもそんなことはあり得ないけど、スマホが取り上げられてないかもしれない。
でも、期待に反してやはりメールの返事は来なかった。
やっぱりスマホ取りあげられてるんだ。
がっかりしたのと同時に、ふと胸の奥でチクリと嫌な考えがよぎった。
もしスマホを取りあげられてなかったら。
単に、自分にだけメールに返事を返してなかったら。
学校では特に黒江の欠席のことを聞かれたりしない。先生が無いも聞かないのは、誰か保護者として連絡しているのだとしても、友達は?
メールの返事がなければ、自分に聞きに来るんじゃないだろうか。
以前、黒江が長い間欠席した時には、数名だが欠席の理由を聞きに来た生徒がいた。
幼馴染で、彼女の結子なら何か知っているんじゃないか?
そう言って、黒江の様子を聞きに来たのだ。
だが、それが今回はまったくない。
不安の正体がわかるより先にぞっとした。
……そんなことない。
あの時の口論だって、……そりゃ本気で殴ったけど、でもクロだって暴言を吐いたのだし、 未だに怒ってるってことはないよね。
もう話すのもうんざりだとか。
全然クロに言うこと聞かずに、無茶な決闘をすることにしたし。
本当に呆れて、もう別れるとか思ってたり……。
首を振って、嫌な考えを振り払う。
ルールで連絡をとれないって決まってるんだから、変なこと考えちゃだめだ。
もっと前向きになれることとか、決闘に備えて何ができるか考えなくちゃ。
そう思ってもできることなんて限られていて、不安な気持ちばっかり大きくなっていった。
***
その日は、家に帰ってから、しばらくすると雨が降り出していた。
すごく寒いのに、いつまでも雪にならなかった。
九時を回った頃にコートを羽織って、リビングに行く。
「ちょっと出かけてくる」
「なによ、アンタ雨降ってるのに……」
「すぐ帰るから」
リビングの扉を閉めると、
「明日、まだ学校あるんだから。適当な時間に戻ってきなさいよ。最近は泊ってないみたいだけど、あんまりお邪魔するのも迷惑でしょ」
そんな母親の言葉が追いかけてきた。
クロの家に行くと勘違いされていているっぽい。
都合がいいので放っておいた。
家の斜め前にある自販機でコーヒーと紅茶を買って、ポケットに入れると、そのまま曲がり角を曲がった。
住宅街の中で唯一の空き地になっている場所に、止まっている車に近づく。
運転席側をノックすると、窓が開いた。
「どうされました?」
少し意外だったのか、大知洙が不思議そうに聞いてくる。
この人本当に四六時中、監視してるみたい。送り迎えはもちろんだけど、他の人に変わってるところを見たことがない。
「少し話をしたいんですけど、いいですか?」
「……どうぞ」
許可をもらったので、助手席側に回った。
傘を閉じて、助手席に滑り込む。車内はエアコンがきいていたので、温かかった。ほっと息をついてコートのポケットを探る。
「コーヒー飲めます?」
「は?……はあ」
「じゃあ、どうぞ」
そう言って缶コーヒーを出しだすと、少し驚いたように目を丸くしてそれを見ていた。
一向に受け取ろうとしないので、首をかしげる。
「えーと、やっぱり敵から送られたものとか、まずいですか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「あ、じゃあ、あんまり私にいろんな話をするのがダメですか?」
「は……」
「ちょっと聞きたいことがあって、話が長くなりそうだから買ってきただけなのですけど……、うーん」
困って俯くと、小さく大知洙が噴き出した。
「いえ、大丈夫ですよ。コーヒーも遠慮なくいただきます」
そういって缶コーヒーを受け取った。
「大変ですね」
「え?」
「御飯とかお風呂とかどうしてるのかなと思って」
「ちゃんと交替しています。御心配には及びません」
そうは言うけど、正直、大知洙の姿しか見たことない。
身支度が整ってなかったり、あからさまに疲れた顔したり、そういう様子の時がないのは確かだけれど、交替といっても一瞬のことなんだろう。
「そういうことを質問しにわざわざ?」
「あ、違います。ええっと……決闘のこと、何か情報が入ってきてないかなと思って」
「残念ですが、何も」
答えは簡潔だった。
それはそうだ。
何か新しいことが決まれば、真っ先に教えてくれるはずだ。
何しろ自分は当事者なのだから。
「あれから何も動きがないから、なんか……落ち着かなくて。すみません」
「謝罪されるようなことは何も。お気持ちはお察しします。せっかく来られたのですから、他にも何か質問があれば、可能な限りお答えします」
親切な、というか紳士的な、と言うのだろうか。
大知洙は穏やかで優しい話し方をする。
これで本当に香港マフィアの一員なんだろうかと思うほど。
質問しやすくしてくれた大知洙の好意を、ありがたく受けることにした。
「決闘って、具体的には何をするものなんですか?」
「その時々で違います。決闘の対象者や状況にもより、調停役が方法を決定します。基本的には武器を使った殺し合いになる場合もありますし、スポーツのような競技になる場合もあります。ですが基本的に命をかける方法になることが多いですね」
「どうして?」
「後々面倒が少ない。デッド・オア・アライブの方が、簡潔で分かりやすいというのも理由でしょう」
要するに負けた方が生きていると後々に禍根を残すことになるから、ということだろうか。
「今回もそういう物騒な方法になる可能性って……?」
「わかりません。今回の調停役は凱月様、場所は日本と言うことで、あまり武器を乱用するような殺し合いは無理でしょう。警察関係者に鼻薬を効かせるにしても、限度がありますし」
少しほっとする。
「ですが相手は斗娜様。生ぬるい方法では、納得しないでしょう」
「もしかすると、あの子……私のこと殺す気満々なの?」
怖くて聞きたくなかったが聞いてしまった。
「おそらく」
そして期待していたのとは、正反対の答えが返ってきた。
「……どうして私、あの子にそんなに恨まれてるの?」
「恨んではいないでしょう。ただ、邪魔だと思われているだけで。……貴方には理解しづらいかもしれませんが」
ため息交じりに言われて、運転的側に顔を向ける。
「基本的に我々は堅気ではありません。三合会という、香港マフィア系の結社です。いくら表の顔を取り繕っても、我らの信条はひとつ。この世に信奉すべきは剛力のみ。唯一にして絶対の戒律。邪魔な物は排除する。道端に転がる石をどけるように。それだけのことなのです。たとえそれが人の命であったとしても」
改めて聞いて、ぞっとする。
マカオで会った華やかなクロの親戚たち。
凱月に、劉善。
そんな風には見えないけど、みんな大知洙の言うところの『絶対の戒律』に従って生きているのだろう。
黒江も。
「斗娜は、あの年にしてすでに狼の気質を強く表しています。プライドが高く、気性が荒い。冷酷で、残忍で非常に頭がいい」
「それってすごく強いってこと?」
「強くて容赦がないと言うことです。彼女は暴力をふるうことに対して躊躇しない」
確かに初めて会った時も、苛立ちも露わに手をあげようとしていた。
紅茶の缶を握り直しながら、口を開く。
「目的を遂げるために、か……大知洙さん」
「なんでしょう?」
「斗娜の目的は、クロの婚約者になることなんですよね」
「そうですね……、いや、それだと微妙に異なります。正確には婚約者になることで、受けられる恩恵が目的。これが正解です。
お聞きおよびかもしれませんが、北米支部はいま、他の組織に押されています。それに表の事業も芳しくない。長老会から何らかの処分が言い渡されるのも、時間の問題かと」
「クロの婚約者になれれば、それって免れることができるんだっけ?」
「免れはしませんが、後継者の婚約者の実家となれば、支部のトップから失脚という自体からは免れるでしょう。立て直すためになんらかの援助を申し出ることも可能です」
頭パンクしそう。
でも、あれだけ攻撃的で、少なくとも黒江のことを好きって感じじゃない斗娜が、婚約者になりたい事情は飲み込めた。
概ね、凱月さんと劉善さんが言っていた通り、そう変わらない。
たった11歳の少女、とかいったら多分怒られるんだろうな。
そういう常識が通用しない世界なんだろうから。
でも、彼女はお家の為に、好きでもない人の婚約者になりたいんだ。
すごいと思う。
自分には絶対無理。
「すごいな」
思わず独り言を呟く。
「ともかく銃で撃ち合ったり、刀で切り合う様な決闘にならないことだけを祈るしかいないのかな」
そう呟いて、空けてない缶紅茶をポケットにしまった。
「いろいろ、ありがとうございました。だいたい聞きたいことは聞けたみたい。……帰ります」
そういって助手席のドアを開いた。
まだ雨が降っている。
足元から這いあがってくる寒さに、小さく震える。
「諫早様」
車から離れた曲がり角の所で呼びとめられる。
振り返ると、大知洙が車を降りて駆け寄ってきていた。傘もさしてないので、駆け寄ってくる大知洙に慌てて傘をさしかける。
「どうしたんですか?」
「お送りします」
「え?……えっと」
あと10メートルも歩かないで着くのに?
……と思ったが、言えなかった。
「コーヒーのお礼に」
「はあ」
でも、たかが130円のコーヒーにそこまで感謝されるのも、なんだか変な気分だ。
少し濡れている大知洙の肩を見て、思いだす。
「そうだ、忘れてた。ハンカチ」
そういってポケットに再び手を突っ込むと、ハンカチを出してスーツの肩をふいた。
それから、差し出す。
「ずっと返すの忘れてたんだ。ごめんなさい。あと、ありがとう」
凱月のオフィスから、最初に送ってもらった夜に借りたハンカチだとわかったのか、大知洙は「ああ」と小さく呟く。
「あの時、本当は自分のハンカチ持ってたんだけど、すでにぐちゃぐちゃだったから、助かっちゃった」
差し出したハンカチを見ている。
「……?ちゃんと洗濯してあるから」
そこまで言った時に、ふいにハンカチごと手を握られた。
「……ぇ……!?」
「諫早様」
「は、はい?」
「あの時も言いましたが、もう一度言います。いますぐに決闘をやめると言ってください。今なら、まだ間に合います」
手を握られたまま、まっすぐに凝視されて動けない。
同じ傘に入っているせいで、すごく顔が近い。
大知洙さんって、美形だから真剣な顔すると迫力だし。
「あの、えっと」
「貴方のような人が、狼の一族と戦うなど自殺するようなものです。いえ、なぶり殺しにあう為に挑むようなものです」
……そうなのか。
そんなに過酷なんだ。
万が一にも、スポーツ的な方法になればなんとかなるかも、とか思っていたのだけれど、それは考えが甘かったのかもしれない。
ちょっと腰が引けたが、それはともかく。
「あの、大知洙さん……?」
「可憐で華奢な手だ。細い指で小さくて、力だって弱い」
「え?」
「我々に比べたら、無力なウサギのようなものだ」
「えー……、と」
あまりにも真剣なので、笑って流すこともできそうもない。
「あっというまに牙にかかり、喉笛を食い裂かれる。そんな光景を私はみたくありません」
どうやらからかわれているわけじゃなさそうだった。
女の子扱いされるのにあんまり慣れてないので、困る。
照れ隠しに小さく咳払いをして、深呼吸した。
「……とりあえず、ありがとう。なんていうか大知洙さんって、よく考えたら敵にあたるのに、そんなに心配してくれてるなんて思わなかった」
何か言いたげに口を開こうとした大知洙を、さえぎるように続ける。
「ご忠告は感謝しますけど、でも決闘はやめません」
きっぱりと言い切る。
「死にますよ」
苦笑いする。
「死ぬとか、正直、なんか実感わかないです。それなりに怖いような気もしてるんだけど」
そういうと大知洙は深くため息をついた。
「貴方は、無謀なのか、器が大きいのか」
「バカだって、よく言われる」
そういって笑ってみせると、困ったような笑顔を返された。
「えっと、それよりも手を……?」
さすがに相合傘で、手を握られているところを近所のおばさんに発見されたりすると、ちょっと面倒……。
そう思って、苦笑いして、ふと周囲を見た。
心臓が、ひとつ大きくなった。
遠く、傘をさしている人影が二つ。
ひとりは劉善。
もう一人は
「クロ」
コンビニの袋を持っているところをみると、買出しにでも行っていたのか。
二人が並んでいるところ見て、ああ、クロの監視って劉善さんなんだなとか、意外に冷静なことを頭の中では考えていたのに。
身体は勝手に動いていた。
大知洙さんに掴まれていた手を振り払って、傘を放り出して、雨の中走っていた。
「クロ……っ」
その声に、我に返ったように、黒江はこちら背を向けて、マンションに入って行った。小走りに。
「クロ、ちょっと待って!」
ほんの数十メートル。
走るほどの距離でもない。それを全力疾走して、寒さでかじかんだ足は無様にもつれた。こけて水たまりの中に突っ込んだけど、すぐの顔をあげた。
「クロ……っ」
叫んだけど、クロも劉善さんもとっくにいなくなってた。
自分の声だけが、むなしく暗闇の雨の中に響いて消えた。
こけてぐちゃぐちゃになった服に、さらに雨が降ってきて、寒さがしみ込んでくるようだった。
身体が震えて止まらない。
「諫早様!」
追いかけてきた大知洙さんが、拾った傘をさしかけながら脇にしゃがみこむ。
「大丈夫ですか?怪我は……」
そういって、助け起こされながら、自分の吐きだす白い息を見ていた。
「あぁ……」
溜息のように呟く。
「なにやってんだろ、私。バカみたい」
「諫早様……?」
「今って決闘前ですもんね。私、他の人と接触しちゃいけないんですよね、……忘れてた」
一瞬、黒江と目が合った気がした。
少なくとも、黒江はこちらに気がついていて、結子たちを見ていた。
「話なんてしちゃいけないんですよね。いくら目の前にいたって……、呼んだって、クロは答えるわけないですよね。そういうルールだもん。決まりだから……、しょうがない」
決まりだから、ルールだから、決闘前だから。
忌々しそうに視線をそらされたのだって、逃げるように背を向けられたのだって、ルールだから。
避けられたわけじゃない。
絶対に違う。
大知洙さんがジャケットを脱いでかけて、立ちあがらせてくれた。
「帰りましょう。風邪をひきます」
そう言われて、促されるままに肩を抱かれて歩きだす。
「……っ……ぅ……え」
泣きたくもないのに涙が出てしょうがなかった。
婚約解消して、記憶も消せばいい。
あの時、黒江が言っていた言葉なんて、本気にしてなかった。
いつもの口げんかの延長で、そんなつもりはないんだって信じてた。
でも、だんだん自信がなくなってくる。
たった4日会えないだけで、こんなにクロに会いたいのに。
拒絶するみたいな後ろ姿が、いつまでも瞼の裏から離れない。
***
マンションのドアを力任せに開く。
「くそ……っ」
足をふみならすようにしてリビングに入り、買ってきたものをフローリングに叩きつけた。
「……おい、物に当たるな」
「うるせえ!」
後ろからついてきた劉善が、苦々しく呟くのに怒鳴り返す。
はらわたが煮えくりかえって、今にも頭の中の理性のタガがきれそうだった。
「アイツ、……殺す」
「は?」
結子の家の斜め前、ほんの数十メートルのところで、相合傘で手を握っていた。
確か、結子の監視に着いている斗娜の部下だ。
「涼しい顔して、人の女に手ぇ出しやがって、くそが!」
呻くように言うと、劉善がうっとうしげにソファに座った。
「もう、お前の女じゃないだろう」
「オレのだよ、まだ!」
「でも近々お前のものじゃなくなる」
淡々とした言葉に、劉善を睨みつける。何から何まで腹が立つ。
「決闘が例の方法に決まったから、とりあえず結子の命は保証されたが、結果は見えている。アレはこれから先、記憶を消されて、我々とは関係のない人生を送る」
「…………改めて言うな」
「いずれ恋人ができて結婚して、幸せに子供を産んで家族と暮らす。お前はいちいちそれに目くじら立てて怒るつもりか」
「うるせえっていってんだよ!黙れ!」
手近にあったコップを投げつける。
劉善がよける必要もなく、それは壁に当たって粉々に砕けた。
「寝る!」
言い捨てて部屋に引きこもる。
嫉妬で頭がおかしくなりそうだ。
結子が他の男のものになるなんて、我慢できない。
そんなことを考えている、諦めの悪い自分もムカツク。
「畜生」
自分の名前を呼ぶすがるような涙交じりの結子の声が、耳の奥に残ってはなれない。
***
「決闘の日時と方法が決まりました」
学校に登校する車中で大知洙に告げられて、自然に背筋が伸びる
「日時は明日正午、セントラルタワー近くの運動公園に集合。方法は……」
思わず固唾をのんで、膝の上で拳を握りしめる。
「鬼ごっこです」
「え?」
告げられたあまりにも懐かしい響きに、思わず自分の耳を疑った。




