Act11
「何か、言いたいことは?」
地底から響くような声だった。
般若より怖い顔で劉善に睨まれて、うつむくしかなかった。
「ごめんなさい」
「謝ってすむか!オレを殴りつけるのとは、訳が違うんだぞ」
「……は、はい!その……なんとなくわかってたの、わかってたんだけど……っ」
さらに何か怒鳴ろうとした劉善さんの声に、思わず頭を抱えると、何か脱力したように深くため息をつかれた。
「お前は……少し考えて行動する癖をつけろ」
「すみません」
「どうしたら、あんなことができるのか。オレにはさっぱり理解できん」
疲れ切ったような声で言われると、なおさら立場がない。
「えーと、いやその、……よくはわかんなかったんだけど、その前からなんかうっすらセクハラ発言とかされていたし……」
「それにニュアンスで、なんか嫌なこと言われてるな~って思ったら、ついカッっと…」
徐々に劉善の視線が冷たくなっていくのに、思わず語尾が小さくなる。
「前言撤回。お前がまず身につけなくてはいけないのは、状況を理解する前に、何があっても我慢する自制心だ」
「…申し訳ありません」
謝るバリエーションも、そろそろ尽きてきた。
劉善もどちらかというと怒りより、疲労の方が濃くなってきた。
「あの」
「なんだ?」
「聞いてもいいですか?」
恐る恐る顔色を見ながらお伺いを立てると、ちらりと横目で見られた。
「…あの時、張大人が何を言ったのか聞きたいのか?」
「それも気になりますけど『我らが血の性の犠牲にならなかったという女性』っていってたの、もしかしてクロのお母さんですか?」
「……そうだ、よくわかったな」
「なんとなく」
「まあ、あの話の流れを聞いていたら、バカでもわかるか」
バカってはっきり言われたけど、劉善にはちょっと何を言われてもしょうがない状況だったので、甘んじて受け入れた。
それはともかく
「クロのお母さんのことは、前からちょっと聞いていたし。普通の人間だったって。……『惨劇にして悲劇』って……どういうことなんですか?」
劉善はすぐには答えずに、一瞬迷ったように視線をさまよわせた。
だが、すぐに何かを決めたように口を開いた。
「黒江の母親はもう死んでいる」
「それは聞いてます」
「死に方は?」
首を横に振る。
「黒江の母親は、生粋の人間だったが、ある『モノ』に憑依された。そのせいで彼女ごと憑依体と一緒に処理された」
殺したでも、殺されたでもなく、処理。
少なくとも、ここではクロのお母さんは、そんな風に言われてしまうんだ。
「憑依って……」
「精神を乗っ取られたんだ。その状態で、一族の長とその妻、それに長の弟を殺した」
淡々と語る劉善さんに言葉もなかった。
「彼女の夫、黒江の父親だが、彼は長の弟にあたる」
「……。」
つまりクロは、実の父親と伯父夫婦を殺されてしまったのだ。母親の手で。
「殺された長には、二人の子供がいた。一人は凱月で、そしてもう一人は凱豊という。凱月の弟だ」
「凱月さんの弟さんって……今日いませんでしたよね」
言うと、劉善は腕を組んで忌々しそうに呟く。
「ヤツは、第一後継者の立場にありながら、絶賛行方不明中だ」
「その人も、何かにまきこまれたとか」
「いや、もともと放浪癖のあるヤツだ。だが、連絡がほとんどつかないので、生きているか死んでいるかもわからん」
「そんなフリーダムな」
「そう、勝手気まま。理由などない」
そういってから、改めて結子を見下ろした。
「ともかく、これだけ聞いただけでも、黒江の置かれた立場の難しさがわかるだろう?」
「…なんとなく」
答えると、再び劉善さんは脱力したが、すぐに気を取り直したのか、鼻先に指をつきつけられた。
「さっき、お前が水をぶっかけたのは、現在、継承権第三位の男だ。しかも、長老会の最年少メンバーでもある。自分のしたことをよーく考えて、反省するんだな」
「……はい」
返事をすると、劉善はまだ何かお説教をしたいような顔をしていたが、そのまま部屋を出て行った。
扉が閉まると同時に、全身の力がぬける。
服も着替えずに、ベッドに倒れこむ。
「はー、どうしよう」
今頃クロはどうしているだろうかと思うと、再び気持ちが重くなる。
あの嫌なおっさんに、嫌なことを言われているんだろうか。
それとも、あの偉いおじいさんたちに説教をされているのかもしれない。
『あんな女を娶ることは許さん!』とか言われてたりして。
………自分の想像がリアル過ぎて、凹む。
ごめん、クロ。
先ほどの劉善さんの言葉じゃないが、謝って済む問題じゃない。
でも、多分。
反省していないわけじゃないんだけど。
同じ状況になったら、きっとまた同じことをしてしまう自信があった。
だってしょうがないじゃん。
クロにあんな顔させるヤツなんて、許せるわけないんだよ。
コップどころか、バケツでかけてやりたかった。
…劉善さんとかには、絶対言えないけど。
あと5人くらい眠れそうなベッドで、ごろごろと転がっていると、ノックもせずに部屋のドアが開いた。
「え…!?」
驚いて起き上がると、そこにはネクタイを半ば緩めて、ジャケットを手にした黒江が立っていた。
「うわ、何お前、こんなところにいんの?」
「クロこそ…」
ノックもなしに、人の部屋に。
慌てて飛び起きて、ぼさぼさになった髪に手をやる。
いや、そんなことより。
「大丈夫だった、クロ?」
「え、何が?」
「何がって、…怒られたんじゃないの?」
そういうと整えられた頭に手をやって、ぐしゃぐしゃとかき回す。
「ああ。……今回はあっちも悪かったと言うことになって、まあ、ケンカ両成敗的なところに着地した感じかな」
「……そっか」
言いながら、ベッドに再び腰を下ろすと、黒江も隣に座った。
別に黒江は何もしてないのに、両成敗はどうかと思ったが、すぐに自分のしたことの責任は、黒江に降りかかるのだと気付く。
「ごめんなさい」
黒江は一瞬目を丸くして、それから噴き出した。
「……なんで笑うの?」
「いや、思い出して」
「思い出して笑うところ、ないよ!」
むしろ頭にくる。
「だってお前、無表情で立ちあがったかと思ったら、いきなりコップの水かけるって……いくら腹立っても、長老会のメンバーにだぜ?」
「偉い人だったなんて、知らなかったし」
「雰囲気でわかるだろ。いやー、ないわ。張大人の鳩豆顔も近年稀に見るヒットだった」
「もう、いいよ!その話は!」
手近にあった枕を掴んで、黒江の頭にぶつける。
「あた……っ、てめ、……そういうところを直せって…お前、今日のこと全然教訓になってねえな!?」
「聞こえない!」
耳を塞いで、背中を向けてやると、背後でため息をついた気配がした。
「でもまあ…一応、言っとく。……ありがとうな」
「…は?」
あまりにも驚いて、塞いでいた手を外してしまった。
「なんで?」
「ん?」
「なんで、ここで『ありがとう』なの?」
迷惑をかけた覚えしかないのに。
「それは、オレの代わりに、オレよりも先に怒ってくれたから」
「それは…、当たり前だよ」
「そうか?」
「そうだよ!ここでは、ほら、……私……仮にも、婚約者ですからっ」
「仮にもかよ」
喉の奥で笑うクロに、思わず見惚れてしまう。
……ホントに自分が阿呆だと思うのは、クロが笑ってくれてほっとしているところだ。
うっかり見惚れていたので、視線が合ってしまう。
慌てて視線をそらす。
気まずいのをごまかすように、大声を出す。
「そ…ろそろ疲れたから寝ようかな!クロも早く自分の部屋、帰りなよ!」
「…?はあ、何言ってんだ、お前こそ自分の部屋に…」
言った瞬間、お互いに顔を見合わせた。
「……!?」
そしてすぐに部屋に視線を巡らせる。
あった。
自分の荷物。そして、黒江の荷物も……あった。
「…なんで?」
最初にここに着いた時には、気がつかなかった。
だって私は荷物を自分で運び入れてないし、さっき劉善に連行されて、初めてこの部屋に入ったのだから。
「多分、同室の扱いだな」
クロの低い声に鼓動が早くなる。
「……こ、こんやくしゃだから?」
「そう」
意識した途端、自分が腰かけているベッドに広大さに気付く。
これ、ダブルベッドじゃない!?
しかもキングサイズ!
確かに一人で寝るなら、こんなベッドいらないよね。
……どうしよう。なんにも考えてなかった。
黒江と視線が合うと、自分の頬が勝手に熱くなるのがわかった。
「あ、の、クロ…部屋…」
しどろもどろになっていうと、黒江が目を眇めて皆までいうなとばかりに片手をあげた。
「ちょっと電話して、部屋用意してもらうから」
そういって腰を浮かせるのを慌てて呼び止める。
「ま、まって!」
クロのシャツの裾を掴む。
「それは、ダメ。だって婚約者なのに…」
「だってお前、嫌だろ」
「いやっていうか、…いろいろ準備が」
「準備?」
「その、ともかく…ちょっと待ってよ。冷静になろう!」
「冷静だよ」
呆れたように言われた。
クロは冷静かもしれないけど、私が冷静じゃない!
「やっぱダメだって!こんな騒ぎ起こした挙句に、部屋分けてくれってお願いしたら、他の人たちにどう思われるか…」
想像はできないけど、どうせ良くは思われない。
そんなの絶対ダメだ。
「……お前、そんな悠長なこと言ってていいのか?」
呆れたような声と同時に、軽く肩を押された。
「え?」
押された拍子に、ベッドにあおむけに倒れこむ。
「ぇ、あれ…?」
黒江の手が顔の脇について、視界が陰った。
覆いかぶさってくる顔が近すぎて、目をそらすこともできない。
「…ぁ…」
「オレたち三か月前から婚約者なんだぞ」
「ぅ、うん」
「お前は何考えてるかわかんねえけど初めてキスして以来、オレはお預け状態なわけだ。その状況で、だ。今日はこんなかわいいカッコ見せられて、これで同じ部屋でなんか寝てみろ。お前自分が何されるか、想像できないの?」
か、かわいいって…そんなのさっき言ってなかったくせに。
顔が熱くて、心臓がバクバクうるさいし、頭の中がめちゃくちゃだ。
「く、クロ…ちょ…」
何か言う前に、黒江の顔が降りてきた。
耳朶を噛まれる。
「…ん…!?」
「間違いなく、喰っちまうぞ」
低くかすれた声に、勝手に身体が小さく跳ねた。
「クロ、あの、それは…」
のしかかってくる黒江の肩を掴んで、なんとか押し戻そうとしながら声を絞り出す。
「…私のこと、本当に好きなの……?」
圧し掛かろうとした身体がぴたりと止まる。
ほっとしていると、ばさっと乱暴に黒江の身体が倒れこんできた。
「ぐ……っ」
おおよそ色っぽさとは遠い声が出たが、黒江は微動だにしない。
「クロ……?」
「……かよ」
「ぇ……?」
「今頃その質問って、お前どっかおかしいんじゃねえのか?」
怒ったように言われて、がばっと起き上がる。
黒江の顔が真っ赤だった。
「だって、……だって好きなんて言われてないし」
「わかるだろう、普通、この流れで。つか、だったらなんでキスしたと思ってたんだよ、あの時!」
「ぇ、あ、ぅ……」
言葉に詰まる。
黒江の怒ったような顔に、どうしていいのかわからなくなる。
身体が小さく震えるのをとめられない。
「お前はオレのこと好きじゃないのかよ?」
好きだよ。
三か月前には答えられなかったけど、今なら答えられる。
そうじゃなかったら、こんなところまで来ない。
でも面と向かって言うのは、ハードルが高い。
「……ほら見ろ」
「え?」
「お前だって言えないだろが」
「それは、そうなんだけど」
ぼそぼとそういうと、頬に手が触れた。
黒江の顔が下りてきて、唇が触れた。
そのまま何度も唇をついばまれて、離れる。
黒江の身体がずれて、首筋に唇が這う感覚に息を飲む。
ちくりと痛みが走って、小さく身を竦める。
歯を立てられたのだとわかって、黒江のシャツを握りしめる。
「…ぃ…痛いの…やだ」
「痛くしない」
噛んだくせに!
そう思っても、口にする余裕がない。
その時に食事会の時の、話が思い出された。
「く、くろ」
「ん?」
「もしかすると、……私のこと、食べたいの?」
勿論、肉食的な、カニバリズム的な意味での質問だ。
黒江は顔をあげると
「そうだな」と、呟いた。
「本当のこと言えば、思いっきり噛みつきたい。お前って本当に……うまそうだから」
「……っ」
もちろん色っぽい意味じゃないですよね!?
そう思うと、別の恐怖が湧き上がった。
正直に言えば、クロとするのは嫌じゃない。
本当は今まで、してもよかった。
ただ、問題はその後だ。
クロは大丈夫って言ってるけど、もし理性が飛んだら、どうすんの?
カッターで指の皮ちょっとそいだだけでもかなり痛いのに、肉を食いちぎられるとか、想像を絶する。
絶対、パスしたい。
クロのことは好きだけど、婚約者だしエッチだって本当は全然いいけど、処女膜以外から血が出るようなのは、やだ。
頭の中でぐるぐる考えている間に、首筋から鼻先を押し付けて、甘えるようにクロの顔が下に下りていく。
「ぅあ……っ!?」
肌に直接触れられる感覚に、声が震えそうになる。
「……柔らかい」
クロの吐息を胸元に感じて、身をすくませた。
「結子……」
「ぅ……」
私、本当に痛いのとか、ダメなのに……ダメ、なんだけど……。
胸に顔をうずめるクロの頭を抱きながら、答える。
「……あの、する……のは、いいけど……、食べるのは、本当にダメだから!」
思わず叫ぶ。
「興奮して、ちょっと歯とか、牙を立てるとか、そういうのはしょうがないから、我慢はするけど、食べるのはいやだからね!……その……だから、あの……!ぁ、……あんまり、痛くしないで……っ」
自分でも何を言っているのか、わからなくなってきた。
でも、しょうがない。
今日はいろんなことがあり過ぎて、めちゃくちゃで、だからもう、黒江になんて言ったらいいのかもわからなくて。
怖いのとは違う、なんか意味もなく泣きそう。
「……ばか……」
「え?」
「…お前、本当に阿呆」
低い呟きに続いて、大きくため息つくのが聞こえた。自分の身体を押さえつけていた重さが、離れていく。
「ぇ…え?」
「…ったく、ほら、とっとと起きろ」
両手を引いて勢いよく起こされる。
またベッドに座る格好になって、ぽかんとしてしまった。
クロは、何事もなかったかのようにネクタイをはずしている。
「………は?」
引き起こされたまま呆然としていると、黒江はひらひらと手を振って見せた。
「冗談だよ。なんにもしない。部屋もお前がいやじゃないなら、このままでいよう。替えてもらうの面倒だし」
そういって腕を上げて、背中を伸ばしている。
「とっととシャワー使って来いよ。先、譲ってやるから」
…ちょっと、何それ。
人が真剣に覚悟決めて答えたのに、その言い草ってあり?
「クロ」
「なんだよ」
「ホンットになんにもしなくて、…いいの?」
「んー。そりゃやりたくないって言ったら嘘になるけど、良く考えたらオレ、ゴム持ってきてなかった」
なんかいきなり、生々しい事情での中止だった。
「今日の所は我慢するっつーか。いろいろ楽しいことがあったから、それで十分かな」
「楽しいことって」
まさか、水ぶっかけたことじゃ…。
「さっきの『痛くしないで』は、結構萌え…」
皆まで聞く前に、枕を投げつけていた。
「ばか…っ!すけべ、エロ狼!」
テンプレートな罵りの言葉しか出てこない自分が恨めしい。
黒江はにやにやしながら、枕を受け止めた。
「なんとでもいえ。一度脳内に録音した音声だ。絶対に消せないぜ」
「変態変態変態ー!……っ、ばかーっ!」
とりあえず手当たりしだいのものを投げつけた。
けど気持ちは少しもおさまらなかった。
どうしてこんな奴と婚約したんだろう、自分。
***
「電気消すぞー」
「んー」
とりあえずベッドの真ん中に、毛布を丸めて境界線にする。
その左と右に別れて横になった。
それでも余裕の広さ。
すごいぞ、キングサイズベッド。
「クロ…、まだ起きてる?」
「ん」
「あのさ」
迷ったけど、やっぱり言っておくことにした。
「帰ったらさ。初詣行こうよ。元旦じゃないけどさ」
「ああ」
「三が日行けば、初詣だし」
「…そんなに行きたかった?」
「ううん。初詣自体はどうでもいいんだけど、クリスマスの予定も潰れちゃったし、それくらいは行きたいかなって」
「そっか。…なあ、いっそ、そこの教会でも行くか?初詣」
「それもいいね。世界遺産なんてめったに見られないし。でも…それはまた今度」
そういって、徐々に眠気が降りてくるのに、自然に瞼が落ちる。
「この街はすごく綺麗だけど、それはまた今度にしよう。まずは、やり直ししようよ」
「高校二年生最後の冬休みの?」
「そう…来年は受験…」
黒江の声が心地よくて、話している途中で眠りについてしまった。
もっと話したいことはたくさんあったのに。
でも、また明日でもいいのか。
今日はたくさんのことがあり過ぎたから、とりあえず眠ろう。
おやすみなさい。
***
寝息が聞こえてきたのを確認して、体を起こす。
音をたてないようにベッドサイドの引き出しをあけ、手を突っ込む。
「やっぱり…」
ゴム製品が指にあたった。
「あいつら見え透いてんだよ」
そう苦々しく呟いて、手にしたものを、もう一度厳重に引き出しの中に戻した。
「余計なお世話だっつーんだよ!つか持ってるよ!」
そう独り言をつぶやいてそうして境界線の毛布に背中を向けた。
俺は何も聞こえない。
理性を破壊する甘い寝息が聞こえないように、耳をふさぎ毛布をかぶった。
誰があいつらの思う通りになんかなるものか。




