Act9
あの日常から切り離されたような、とんでもない1日から3ヶ月経った。
あれから何が変わったかというと、実はあんまり何も変わってない。
学校に行って、適当に授業を受けて、部活に出て、
たまに友達と遊ぶ。
何にも変わってないみたいにみえる。
少なくとも日々の生活は今まで通り。
何事もなく過ぎていった。
クロは。
クロのことは、正直よくわからない。
あの日からちょうど1週間くらい後、家の都合と言うことで、しばらく学校を休んだ。
誰も座っていないクロの席を見るたびに、もう帰ってこなくなるんじゃないかと思って、なんだか胸がざわざわしていた。
でも、4日もするとケロッとした顔をして戻ってきた。
たぶん実家に戻っていて、
その間に『長老会』とかいうのに行ってきたのだと思う。
でも、何をして何を話してきたのは、ぜんぜんわからない。
クロは何も話してくれないし。
……なんて。
本当は聞くのが怖かったんです。
ごめん、クロ。
***
「ただいまー」
玄関から怒鳴ると
「おかえりなさい」と、声が返ってきた。
「んー」
そのままリビングを通り抜け、自分の部屋に向かおうとした時、やっと違和感に気づく。
お帰りなさいのその声は母親の者ではなく、ソファに座っているのはダークグリーンのスーツに身を包んだ美人。
「久しぶり」
「……っ…凱月さん!?」
「三か月ぶりね、元気だった?」
一瞬、目を疑った。
ウチの居間に、…ウチの居間なのに!
凱月さんがいる。
「結子ちゃん?」
「ちょっと、結子。なんなの、アンタは。きちんとご挨拶なさい」
キッチンからお茶とお菓子を持ってきた母親に小言を食らって、
「え?…ぁあ、えーと、こんにちは…?」と、なんだか微妙な挨拶をする。
凱月はにっこりと笑う。
「こんにちは」
「なあに、この子は、もう。そんな挨拶の仕方ありますか」
「まあまあ、おばさま。結子ちゃん、びっくりしたんだと思います」
ええ、そりゃびっくりしましたとも。
ついさっきそこで別れた黒江は、なんにも言ってなかったし。
「…どうしたんですか?」
というか、どういう状況なんですか?
感情がもろに顔に出ていたらしい。
凱月は、そんなに警戒しないでよとにこにこと笑う。その笑顔が、怖いんだけれども。
「久しぶりに姉のところに寄ったら、今年は年末年始、実家に帰省するっていうし。前から結子ちゃん、こちらに遊びに来たがっていたでしょう?だからお誘いにきたのよ」
「…は…」
「姉はあの通り忙しい人だから、代わりにね。私から結子ちゃんの親御さんに、お話ししようと思って」
「…はぁ?」
初耳だった。
…えっと、凱月さんの実家と言うと、クロの実家だから中国だよね?
私が中国に行きたいと…言った?
そんなこと、言った覚えはない。
「もう、アンタは知らないところで、そんなおねだりしていたなんて。クロちゃん家にも御迷惑でしょうに」
「お母さ…」
言いかけた言葉にかぶせるようにして、ずいと凱月が前に出る。
「あら、いいえぇ!こちらとしてはぜひ、一緒に来てもらいたいくらいです。あの子にとっては年寄りばっかりで、同い年の子供がいないから、実家なんてつまらないでしょうけどね」
それからくるりと結子の方を向いて
「でも、結子ちゃんとなら嫌な顔しないで、帰省してくれると思うんですよね」と、微笑む。
怖い。
いつもながら、このごり押しが怖い。
「あらあら、まあまあ」
わが母親ながら実に呑気な反応だった。
この分だと、娘が実は行きたがっていないということに全く気付いてないだろう。
「本当に、大丈夫かしら。ご迷惑じゃないの?」
「こちらが無理を言ってお願いしていますので。お嬢さんは大事にお預かりします」
そういわれると、頬に手をやって小さくため息をつく。
「そうですねえ。せっかくの御誘いをお断りするのも、なんですし…それじゃ、今夜主人と相談してご連絡します」
「はい、お待ちしてます」
あ、だめだ。これ完全に凱月さんのペース。
そう思って、話の流れに呆然としていると、玄関ベルと同時にドアが開く音がした。
そしてバタバタと騒々しい気配。
「…っ…こんちは、おばさん!あの玄関の靴って……ぁ、てめ…凱月!?やっぱり…っ」
転がり込むように入ってきたクロが、母親、私、凱月さんの順番で見た。
息をせききって入ってきたところを見ると、マンション戻ってからすぐにここに全力疾走してきたようだった。
「クロちゃん、いらっしゃい」
「黒江、久しぶりー」
二人に呑気に迎えられて、一瞬愛想笑いを浮かべたが、すぐに凱月を睨みつける。
「何が久しぶりだ…っ!」
何か怒鳴ろうとしていたクロを、凱月さん笑顔でスルーする。
「いま、学校がお休みの間、結子ちゃんを預からせてもらえないですかって、お願いしていたところだったのよ」
「はあ!?」
「以前から言っていたでしょう?結子ちゃん、一度、ウチの実家に遊びに来たいって」
何度も言うけど、言ってません。
「アンタも同い年の友達が一緒なら、帰省しても退屈じゃないだろうし。いつもお世話になってるんだから、観光案内くらいしてあげるといいわ」
だからそんなこと言った覚えないって。
「あのな…」
黒江も呆れたように肩を落としている。
「今年は戻ってくるんでしょう?黒江」
「………この間、戻ったばっかりだろうが」
「この間、帰ったならわかるでしょう?アンタは大人になったんだから、年に一度くらいは顔を出さないと」
「……。」
あれ、なんだろ?
クロ、珍しくふてくされた顔、隠さない。
「ともかく、私はそろそろお暇するから。…それじゃ、そう言うことですので、失礼します」
「はい。わざわざありがとうございました。彩香さんにもよろしくお伝えください。夜にでもご連絡…、あ、彩香さん今日は夜勤かしら?」
「はい。姉は夜勤で留守にしますが、私がいますので。ご連絡いただければ、私の方から姉に伝えておきます」
「看護士さんは大変よねえ、本当に。では、後ほどご連絡差し上げます」
そう言って、最後までにこやかに凱月さんは、玄関に消えていった。母親もそれについて行ってしまったので、クロと二人でそれを呆然と眺めていた。
「……、のやろ」
小さく呟くのに、隣を見ると、大分キレた顔をした黒江がすぐにその後を追っていってしまった。
「後で連絡する」
そう言い残して。
返事をする暇もなく消えて行った背中と入れ替わりに、母親が戻ってくる。
「まったく急な話よねえ。結子、あんた修学旅行の時に作ったパスポート、失くさないで持っているの?」
「持ってるよ、当たり前でしょ…じゃなくて、お母さん」
「なに?」
「クロの実家、中国って知ってたの?」
「旦那さんが中国の人なのよねえ?なんだか貿易関係の仕事って言っていたけど、大変よね、あんまりお家に帰ってこられないみたいだし」
当たり前の顔をして返されて、ちょっと驚いた。
本当はクロのお母さん|(彩香さん)はとっくに亡くなっている。
クロは一人暮しなんだけど、周りの人たちの中ではクロのお母さんはまだ全然元気で、近所のマンションに住んでいて、看護師の仕事をしていると思ってる。
私もついこの間まで、そう思ってた。
でも、父親が中国の人間というのは、いままでの『設定』には無かったはずだ。
凱月さんが、追加したのだろうか。
三か月前まで、私がクロを幼馴染と思っていたように、その条件を追加したのかもしれない。
「結子?」
「……なんでもない」
聞いていたのと、実際、目の前で見るのは全然違う。
こういうことが、できちゃうんだ。
本当に。
ちょっと怖いような気もする。
得体の知れない、何かもやもやする感じがいつまでも胸の奥に残った。
***
しばらく待って、行っていいかとメールをすると、一時間後くらいにOKという返事が来た。
揉めたのかな。
……揉めたんだろうな。
なんとなく前回の騒ぎのことを思い出して、苦笑いを浮かべる。
「ちょっと出かけてくる。クロんち」
「浮かれてないで、遅くならないで帰ってきなさいよ。あちらは親戚の方もいらしてるんだから」
ついさっき、父親との協議の結果、娘の中国行きを許可した母親に、生返事を返してコートを着る。
その親戚が来たせいで、多分あっちは大変な騒ぎだろうな。
心の中で、そう呟きながら玄関を出た。
歩いて10分のマンションまで行くと、すでにクロ一人だった。
「おじゃましまーす。凱月さんは?」
「ホテルに戻った」
ソファに倒れるように座っている黒江の憔悴した様子に、ちょっと心配になる。
「…大丈夫?」
「疲れた」
本当に疲れた顔しているから、本当は放っておいてあげたい気もするけど。
「疲れきってるトコロ悪いんだけど、説明してもらっていい?」
「………あー、要するに」
「うん」
「前回の件で、こっちが譲歩する形で爺どもに挨拶にいったから、あいつら調子に乗って、年末年始の親族が集まる席に出て来いと」
「私も連れて?」
黒江が不機嫌そうに黙り込む。
その様子を見て納得知った。大分ごり押しというか、堀から固められてる感じだ。
「そっかあ」
「そっかあ…って、お前。いいのかよ?」
「だって、良いも悪いも、なんか…これだけどんどん話が進んじゃうと、口のはさみようがないし」
「でもお前、行くの嫌がってただろ」
「うん。でもしょうがないよ、今回は」
そういうと、黒江が眉根を寄せた。
「……ちょっと待て。なんだよ、それ」
「ん?」
「お前あの時、オレや凱小姐の前で、周りに流されて挨拶に行くのは、なんか違う。イヤだって啖呵きったくせに」
「だってあの時とは、状況が違うし」
「違わねえよ。……なんにも変ってない」
苛々した口調に、何か不自然な感じがする。
「…クロ、何怒ってんの?」
「怒ってない」
「怒ってるよ、なんで…」
「もういい」
ひどく冷たい声でさえぎるように言われて、言葉に詰まる。
「今日はもう疲れた。何も考えたくない」
そう言って、背中を向けてソファに倒れ混むのに、本格的にへそを曲げているのだとわかる。
こうなってしまうと黒江は、周りが何を言ってもダメなのだ。
背中を向けたまま、クッションを抱えて寝ころんだままの黒江に、少しむっとする。
また。
そうやっていつも、大事な話はしてくれないくせに。
何がそんなに嫌なのか、全然わからない。
「クロはずるい」
「…何が?」
「そういう態度とられたら、私どうしたらいいのか、わかんないよ」
「だからどうもしなくていいって。お前は…」
面倒くさそうな言い方に、腹が立ってきた。
「また蚊帳の外?」
自分でも驚くほど、冷たい声音だった。
「あ?」
「また私は蚊帳の外なんだ。ハブられて、わけのわかんないまま渦中に放り出されるんだ」
言うと、
「おい、何言ってんだ」と、黒江が顔をしかめて起き上がる。
「この間の時もそうだってし、今回もまた…っ」
言うと、クッションを脇に放り投げて、疲れたようにうつむく。
「ちょっと…勘弁してくれ、マジで。お前に説明するにしても、頭ん中まとまんねえよ。…それに、今のお前に話して、理解できるかどうかって感じだし」
何それ。
ため息のように吐き出された言葉に、クロの顔を見る。
信じられない。
そんな言い方ってあるだろうか。だって私だって当事者なのに。
それでも怒鳴りたいのを、ぐっと抑えて言葉を絞り出す。
「……わかった」
腹も立つし、気になることも山ほどあったけど、
これ以上話していると、嫌な言葉をたくさん言ってしまいそうだった。
クロの言うとおり、今日は引き上げたほうがいい。
「帰る」
短く言うと、クロが顔を上げた。
「送ってく」
「いいよ、近いし」
言うと振り返ることもなく、玄関に向かった。
クロも無理に追いかけては来ない。
最悪。
夜道を歩きながら、心の中で呟く。
夕方、ここを通った時は、休みの間の予定を話しながら歩いてたのに。
あ、いま気がついた。
もしこのまま中国に行くことになったら、
クリスマスに湾岸地区にできたアミューズメントパークに行く約束も無理だし、
初詣に二人で出掛ける予定も自動的に無しってこと?
ホント、最悪。




