Intermission 02
Act1~8までの前日談となります。
クリスマスは嫌いだ。
イルミネーションが派手ならば、派手なほど鬱になる。
だから街の中心地に行くのもいやだ。
せめて寒いのが救いだ。
白い息を吐きながらそう思う。
『ちょっと、聞いているの、黒江!?』
携帯の向こうから聞こえるやかましい声に、眉根を寄せる。
ベランダから見える風景。
住宅街から少し離れた駅周辺のにぎわいを忌々しく眺めながら、ため息をつく。
「…聞いてるよ」
『アンタねえ、そろそろプチ家出も1年になるっていうのに、まだふてくされてるの?』
「ふてくされてねえし。それにプチ家出じゃねえっての。オレは日本に留学しただけだ」
『じゃあ、新年の挨拶には顔を出すのね?』
「……。」
『ほら、ご覧…っ!』
「うるせえよ、受話器越しにぎゃあぎゃあ怒鳴らないでくれ、凱月」
うんざりしてため息と一緒に言葉を吐きだす。
「ともかく、少なくとも大学卒業するまでは、こっちで勉強する。長老会の許可があるのは、アンタだってわかってんだろうが」
『そうだとしても、後見人代理として言わせてもらうわ。せめて一年に一回くらい、こちらに戻ってきなさい。自分がどんな立場か、わかっているでしょう?』
空を見上げると、月が浮かんでいた。
明日には今日かけていた部分は満ち、満月になるだろう。
『後継者候補が二人も不在じゃ、一族の誰もが不安になる』
一族。
血族。
同種。
ああ、本当に嫌になる。
「それを言うなら、『聖夜の惨劇』の生き残りが、後継者として顔を出すのは不安をあおることにはならねえの?」
受話器の向こうの顔は見えない。
だが、大抵のことには動じない女傑の顔が歪むのが簡単に想像できた。
『…黒江、アンタ』
「冗談だよ。でも今年はそっちには帰らない。…切るよ」
相手の返事を待たずに、電話を切った。
ベランダの桟にもたれて、空を見上げる。
「雪でも降ればいいのに」
誰にともなく呟いた。
*
来客の予定もなく、宅急便が来る覚えもなく、デリバリーを頼んだ記憶もないのに、玄関ベルが鳴った。
時計を見る。
8時を回ろうと言うところだ。
「はい?」
『クロー、私ー!』
能天気な声が聞こえて、思わずドアフォンから身体を引いた。
「結子?」
呟きながら、ドアを開ける。
「クロー!メリー、クリスマース!!」
玄関にバカが立っていた。
「………。どういうつもりだ」
「え?なにが?」
「その格好は、どういうつもりだって聞いてんだ?」
「え?クリスマスにはサンタさんでしょう?」
そういって笑う結子は「寒いから早く入れてー」といって、脇をすり抜けてずかずかと入ってくる。
その後ついていくと、結子はとっととリビングのテーブルに両手に持っていた箱をおいた。
油と、香ばしい肉の匂い。
一つは、かの有名な白ひげ眼鏡のおっさんが目印のフライドチキンの箱。
もうひとつは、おそらくケーキだろう。
箱を置くと、
「テレビもつけないで何やってたの?」とリビングを見回す。
「どうでもいいだろ。それより…っ」
「ほーら、サンタさんが、よい子のところにやってきましたよ?しかもミニスカよ?嬉しい?」
「……。」
とりあえず、スカートの裾を掴んでめくってやった。
「ぎゃああああ!何すんのよ、バカクロ!」
「うるせえ、毛糸のパンツなんかはきやがって、邪道だ、邪道」
「信じらんない、小学生!?スケベ!ばか!」
スカートの裾を押さえてぎゃあぎゃあ叫ぶ結子を放っておいて、食い物の入った箱を視線で指す。
「お前の阿呆さ加減はともかく、そっちの食い物らしき箱は?」
「…差し入れ。バイト最終日でお金入ったから」
「バイト?」
「そう。言ったでしょ?今年からは高校生だし、バイト解禁。商店街のケーキ屋さん。クリスマス特設ブースで売り子。さっきまでこの寒空に、この格好でケーキ売ってたんだよ。この格好で」
「なるほど」
状況は納得できたが、どうしてその格好までウチに来たのかが謎だ。
「あれ、そういえば、おばさんは?また夜勤?」
「…あぁ」
「看護師さんって大変だね。あ、ケーキとチキン、おばさんの分もあるから、帰ってきたら食べてもらって」
「ん…、おい、お前。ウチに母親がいるかもってわかってたのに、その格好できたのかよ?」
「え?うん」
「…お前バカだろう?」
「なんでよ、別におかしくないよ。クリスマスだもん」
「すでにその感覚がおかしいんだよ!」
「そんなことないよ!じゃあ、クロこれから商店街とか、駅ビルのあたりにいってみなさいよ。町中サンタの格好した呼びこみとか、売り子さんが溢れてるから」
「知るか!だいたいオレはクリスマスとか苦手なんだよ!」
怒鳴ってからしまったと思ったが、もう遅い。
結子がきょとんとした顔で自分を見ている。
「そうだっけ?」
「…そうだよ」
ふーん、と結子はなにやら呟いたが、どうでもいいと思ったのか、
「ま、いいや。それより食べようよ。チキン。お腹空いたー。昼から何も食べてないんだ」といって、テーブルの上の箱に飛びついた。
少し、ほっとする。
記憶の処理は完璧なはず。
でも、どこでぼろが出るかわからない。
『看護師の母親を持つ幼馴染』と言う暗示は、何処まで効いているのか。
ほんのちょっといたきっかけでほころびが出ないとも限らない。
一年で慣れたつもりだったが、油断していた。
2時間前に嫌な電話を受けたせいで、ちょっと神経が雑になっていたせいだ。
***
くだらないバラエティを見ながら、結子の買ってきたチキンとビスケットとケーキを遠慮なくごちそうになり、ひと段落するとミニスカサンタが、自分の荷物から包装紙に包まれたものをとりだした。
「じゃーん!クロ、これやろうよ!昨日発売のヤツ」
ゲームソフト?
結子の顔と、ゲームソフトを交互に見てから、ふと思いついたことがあった。
「おい、結子」
「なに?」
「お前、まさか…ともかく一秒でも早くそれをやりたくて、バイトの衣装を着替える時間も惜しくて、空腹だけには耐えられないから慌てて食い物買って、そのままここの直行したのか?」
一息に言うと、結子は一呼吸の間、こちらをまじまじと見てそれから、照れたように笑った。
「バレた?」
力が抜けてテーブルに突っ伏した。
「クロ?」
「お前ってホント…阿呆だな」
「なんでよ」
さも心外と言う顔をする結子に、顔をあげて言ってやる。
「とりあえず新作ソフト3本買う金で、本体を買え!そして自分ちでやれ!何度も言わすな!」
「いや!クロのウチにくれば本体あるのに、もったいない。それにウチは居間にしかテレビないもん!何時間もゲームやってたら、絶対にお父さんに怒られる!」
「小学生か、お前は!?」
「いいじゃん!ソフト置いていくから、クロも好きにやれば。タダで新作ソフト出来ちゃうんだよ、お得でしょ!?」
それは単に持って帰ってもプレイできないから、ここに置いていくだけだろうに、よくもそこまで恩着せがましく云々…。
と、いろいろ心の中に渦巻くものはあったが、あえて口にしなかった。
ムダだから。
しょうがないので、別のことを口にした。
「…とりあえず、ゲームはもうわかったから、せめてその服を着替えろ。着替えあるんだろ?」
「うん。でも面倒くさ…」
「ゲームがやりたければ着替えろ。バカがますますバカに見える」
結子は不満そうだったが、諦めたのか
「バカっていう方が、バカなんだからね」といって、カバンを持って洗面所に消えた。
せめて着替えのぞくなとか、そういう捨て台詞は言えないのか、色気のない女だ。
妙に疲れた気持ちになった。
それとも色気がどうこう言う前に、幼馴染と言う安心設定が、そうさせているのかもしれないと思ってなおさら疲れた。
*
新作ソフトで異常にテンションの上がった結子に付き合わされて、気がつくと夜中の3時を回っていた。
「…やべ、うたたね」
二人してテレビの前のソファでうたた寝していたらしい。
「コントローラー持ったまま寝落ちとか…ありねえ…っとに」
呟いて、隣を見ると、気持ちよさそうに人の肩に寄りかかって寝息を立てている。
「いい加減、自分の限界とか知れよ。…おい、結子、起きろ」
「…ぅ…ん」
起こそうとして揺さぶると、眉根を軽く寄せて、むにゃむにゃと何か呟きながら、さらに人に寄りかかってきた。
あまりにも幸せそうに寝ているので、呆れた瞬間、鼻孔を柔らかな匂いがくすぐった。
優しい芳香。
コロンや、香水とは違った。
いい匂い…シャンプーの匂いか?
起こすのをやめて、そのまま凭れてくるに任せる。
日本に来るまで、自分の周りには女性はいたが女の子と呼べる存在はいなかった。
みんな、大人で化粧品や香水の匂いをさせた女性ばかりだった。
女の子がいい匂いがするって、本当だな。
思ってから、なんだか恥ずかしくなって身体を離そうとした時、鼓動がひとつ大きくなった。
…は?
呼吸が苦しい、…浅い?
全身が脈打ち、世界がぶれる。
どくどくと、身体の全部が心臓になったみたいだった。
身体の奥が熱い。
喉が渇く。
さきほどまでまったく感じなかった渇えた感じ。
鼻孔には、優しい、甘い匂い。
口の中いっぱいに唾液が溢れた。
自分にもたれる柔らかな、甘い肉。
「…ゆい、こ」
その華奢な身体を、強く抱きしめ、それから…
それから?
眩暈に襲われ、ソファから落ちる。
床に這いつくばった途端に、身体からどっと脂汗が溢れた。
なんだ、今の?
まだ眩暈に襲われながら、荒い息をつき意味不明な自分の衝動を考える。
甘い匂いはまだ続いている。
ひりつく喉、空腹、下腹の熱さ、欲情と…渇え?
「…っ…」
ソレの正体に気がついた途端、こらえきれない吐き気が襲った。
這いつくばり、それでもトイレに駆け込んで、夕方食ったものをすべて吐いた。
「…ぅ…げほっ…うえ…」
えづきながら、胃がよじれるような痛みに涙がにじむ。
それでも吐き気はおさまらなかった。
むせながら、便器に抱きつく羽目になる。
身体を起こすのもつらい。
頭では分かっていた。
自分は力が強く、身体能力に優れて、そしてなにより肉体を狼に変えることができる。
人間じゃない。
狼の一族。
一族の者なら誰もが目覚める衝動だ。
何も不思議じゃない。
だが、聞いてわかっていることと、身を持って知るのでは雲泥の差だった。
初めて、人を喰いたいと思った。
それがこんなに抵抗あることだったとは。
自分が人間じゃない、獣の血が流れていると突きつけられることの嫌悪。
“満月が近づけば、理性より本能が勝る。
狼同士ならいい。
だが、自分よりひ弱な人間相手なら、愛しい気持ちは食欲に。
かわいい、愛しいと、その柔肉に歯を立て、血をすすることに…。“
「う…げほ、うぇえ…っ」
胃の中に吐くものがないというのに、吐き気が襲った。
さんざん聞かされてきたことだ。
今さら何を…ショックを受けることがある。
そう言い聞かせながら、吐き続ける。
肩で息をしていると、背後で人の気配がした。
「…クロ?どうしたの?」
どたばたと動いた音で目を覚ました結子が、様子を見に来たようだった。
ぞっとする。
「具合悪い?大丈夫?」
トイレのドアを開けっ放しで便器に抱きついている姿に、ただごとじゃないと思ったのか、近寄ってこようとするのに、怒鳴りつける。
「…来るなっ」
「…ぇ?」
「来るな、…あっち行ってろ!」
「でも、…具合悪いんでしょ?」
そういって背後から近寄って手を伸ばしてくる気配に、さらに怒鳴りつける。
「いいから、近寄るな!オレに触るな!」
きつく、こんなにきつい口調で怒鳴りつけたことはないと思う。
結子は、一瞬躊躇したように動きを止めた。
そして、そっと離れていく。
少しほっとする。
鼓動はまだ早いし、身体の熱もくすぶり続けている。
さっきより吐き気もマシになった。
もう少し休めば…。
そう思っていると、不意にぱたぱたと近寄ってくる音がした。
そして、自分の背後にふわりと座り、何かが床に置かれる。
「クロ、水持ってきた」
そういって、何か言う前に背中に手が置かれる。
「ゆい…」
「吐いたの?まだ苦しい?」
聞きながら、背中をさすってくる。
お前な、あんだけ怒鳴り散らされたのに、聞いてなかったのかよ。
そう言いたかったが、気力が続かなかった。
「まだ吐くなら我慢しないで、全部吐いた方がいいよ」
そういって背中を撫で続ける結子の声が、耳に心地よかった。
「具合悪かったんだね。ごめん。気付かなかった」
「結子、もう…」
頼むから離れてくれ。
心の中ではそう願っていた。
いつあの衝動がまた襲ってくるかと思って怖かった。
だが、不思議なことに結子に背中を撫でてもらっているうちに、あの凶暴な浅ましい衝動はなりを潜めた。
結子から発する芳香も続いていたが、先ほどよりは強くない。
トイレットペーパーで乱暴に口をぬぐい、唾を吐き捨てる。
「悪い、水…」
そういうと、結子は持ってきたコップを渡してくれた。
口をすすぎ吐き出す。
なんとか一人で立ち上がると、ふらつきながらリビングに戻る。
「クロ、大丈夫?」
「平気…」
情けなくも支えられて、自室に戻りベッドに倒れこむ。
「結子」
まだ軽い眩暈に襲われながら、結子に家に帰るように言わなくてはと思った。
こんな時間にひどいと思ったが、ここにいるよりは安全だ。
だが、結子はその間逆のことを口にした。
「おばさん帰るまで傍にいるから、苦しかったら呼んで」
そういって毛布の上からあやすように叩かれる。
「居間で起きてるから、大丈夫だよ」
…全然、大丈夫じゃねえよ。
心の中でそう思ったが、結局言えなかった。
部屋を出ていく結子の背中を最後に、失神するように眠ってしまった。
***
翌朝、朝日が差し込むので目が覚めた。
起きてみると、体調は万全だった。
部屋からリビングに出てみると、ソファで結子が客用の毛布にくるまって寝ていた。
健やかな寝息を立てる結子を覗き込む。
「呑気な顔して寝ているし…」
昨日、自分の命が危うかったなど、想像もしてないのだろう。
バカな女。
…違うか、バカはオレの方か。
こんな日本くんだりまで来て。
町中に人間の記憶弄って、幼馴染なんて近づきやすい設定を作っておいて。
ただ、あの時会った女の子がどんな風になっているか、ちょっと気になっているだけ。
気まぐれで来てみただけなんて言い訳は、もう効かないよなあ。
少なくとも自分自身には、もうそんな言い訳はできない。
本当は最初からずっと、オレはあの時、初めてあった小さな女の子のことを好きになって、それからずっとずうっと、結子のことが好きだったんだ。
「…?…クロ?」
人の気配に気がついたのか、結子が眠そうな声をあげる。
「ああ」
「起きたんだ。もう、大丈夫?」
あくびをしながら、起き上がるのに答える。
「もう平気、っつーか、お前、居間で起きてるとかいってたんじゃなかったのかよ」
「明け方クロの様子見にいったら普通に眠ってたから、ちょっと仮眠…つか、なんでそんなに元気なのよ?昨日の具合悪いのはなんだったの?てっきり風邪かと思って、こっちはさー…」
「ちょっと体調悪かっただけだよ。寝たら治った」
「なにそれ?心配して損したよ~…」
そういって毛布を抱きしめながら、もう一度ソファに倒れこもうとするの、を無理やり起こす。
「んなところで寝なおすな。つか、お前一度家に帰れ」
「え~?もうあと少し寝てから」
「ダメだ。お前、いい加減、親に無断でウチに泊るのやめろ」
「メールしたもん。ねえ、おばさんが帰ってくるまで」
「うるさい、起きろ。ほら」
腕を引っ張って起こし、カバンを押しつける。
「なによ、頭ぼさぼさのまんま…」
「歩いて5分、走ったらお前の足なら2分だ」
そう言って背中を押して、玄関まで追いたてる。
「なんで、こんな追いたてるみたいに…ちょっとクロ!?」
文句を言う結子の言葉を最後まで聞かずに、ドアを閉める。
「やれやれ」
呟いて、リビングに戻り散らかり放題の状態にため息をつく。
まだ残る、おそらく人間には感じ取れないだろう結子の体臭。
原初の衝動。
遺伝子に組み込まれた欲望を引き出す、芳香。
換気扇を回し、窓を全開にしてベランダに出る。
朝の清涼な空気を吸って、ほっと一息つく。
下を見下ろすと、ちょうど結子が出てきたところだった。
こちらに気がつくと、憎らしいことに目の下を指で伸ばし、舌を出して見せてきた。
思わず噴き出す。
「…ガキ」
呟いて頬杖をついて、それを眺める。
これからは、いつでも泊らせるってわけにはいかなくなったな。
『幼馴染』設定は継続のつもりだが。
「悪く思うなよ、結子」
かけていく結子の背中に、小さく苦笑いしつつ呟いた。




