雨上がりとコーヒー
週末のある日。
午後三時のティータイム。
寂れた街角にひっそりと佇む喫茶店の、オープンテラス。
その隅にある特等席。支柱に遮られて他の人々の視線から解放される唯一の場所。カップの中の冷めきった残り少ないコーヒーと、降り頻る雨。隣接する道路へと絶えず叩きつけられる無数の雨粒と、それに伴って鼓膜を震わせる、どこか悲しげな雨音。まるで世界は色彩を欠いたかのように褪せて、石灰色の雲が覆う空からは一片の陽も射さない。
暗く、鬱然としていて、湿っぽい。
初夏の昼下がり。子供はおやつの時間帯。
先程追加で注文したコーヒーのおかわりが届くまでの間、持参した小説の世界へと身を投じる。
そうしていると、時間が止まっているかのようだった。
事実、時の流れは緩漫だ。空から降ってきた雨粒が、目で追えるくらいのスピードで風景の中を落下する。断続する雨音が、リズムを遅らせる。そうして生まれた音の間隙に窺える無音の寂しさが、これから叩きつけられて消えていく運命の雨粒たちによる無言の悲鳴のようだった。
「まるで、時が死んでしまったみたい」
「興味深い感性をお持ちですね」
ふと聞こえてきた声は、柔和な印象を受ける喫茶店の店長のもの。
年老いて白髪の多くなった老翁は、しかし寄る年波を諸ともしないような未知の活力に溢れて見えた。背筋は曲がることなく真っ直ぐで、皺の刻まれた頬は緩んでいる。
彼は、微笑んでいた。
その視線は私ではなく、遥か遠方を眺めているように見える。そのことを不思議に感じた私は、彼の視線を追った。
そしてーー。
「綺麗......」
後方を振り返った私の目に飛び込んできたのは、ただただ純粋な色の奔流。いつの間にか上がった雨。雲の切れ間から射す陽光。その光を反射して煌めく水溜まりと、長靴でその上を踏み歩く子供と母親。色彩を取り戻した世界には七色の虹が掛かる。
それはまるでこの世界を創造した神様が、雨上がりのプレゼントにくれた宝物のようだった。
「雨、上がりましたね」
「ええ」
店長は注文の通りに、湯気の立つコーヒーカップを手にしていた。
それを音もなくテーブルへと置き、私へと差し出す。私は軽く会釈して受け取り、角砂糖を投入したコーヒーをスプーンでよく掻き混ぜてから、ゆっくりと口に含んだ。
特徴的な苦味と、砂糖の甘味が口一杯に広がる。
温かい。季節を問わず、ホットコーヒーは私に幸福を与えてくれる。週末のささやかな楽しみ。穏やかな一時。私はふと気になったことを呟く。
「不思議です。ついさっきまであんなに降っていたのに......」
私の呟きに、店長は楽しげに応えてくれた。
「明けない夜がないのと同様に、止まない雨もまたありません。暗闇にもいつか光が射し、空を覆う暗雲もいずれは流れて鮮やかな青色を取り戻す。この世界はきっと、そうやって今日も回っているのでしょう」
「店長さんこそ、素敵な感性をお持ちです」
そう言って、二人で静かに笑い合う。
「では、私はこれで。ごゆっくりと」
そう言い残して去っていく店長の、年齢を感じさせない後ろ姿を見送る。そして再び誰もいなくなった特等席で、私は至福の時を過ごす。コーヒーを飲んで、小説に目を走らせて、偶に店の人たちとの会話を楽しむ。
そうやって私の幸福な世界は、今日も回っているのだ。
体現止め大活躍!
てなわけで習作短編でした。