第7話 夢見の心臓
また嫌な夢を見ていた気がしますが、アルコールが抜けてきたのか、少しは体調が良くなったようです。身体を起こすと鈍い頭痛がしましたが、これくらいなら何とか掃除くらいは出来そうです。
午後は仕事を休みにしましたので、自分を戒める意味も込めて隅から隅まで掃除しましょう。
私は掃除用品を棚から出して、まずは二階へと向かいました。
階段を登り、突き当たりの一番奥まった部屋がロイヤルスイートルームです。ウォルナット材を用いた大きな扉には控えめなレリーフが施されています。重たい扉を開くと、キュイっと扉が鳴りました。
このロイヤルスイートは他の部屋と違い、漆喰で塗り固めた白い壁には六英雄を題材にした見事なフレスコ画が一面に描かれています。幼い頃は、あまりに写実的な壁画が怖くかったと覚えています。
まずは布団とシーツをお日様に当てたいと思い立ちました。大人三人が横になれる程の大きなベッドは、それに合わせて上掛けも大きいのです。ロイヤルスイートルームのキルトには最高級のマザーグースダウンがふんだんに使用され、見た目ほど重くはないのですが、身体の小さな私ではベッドの回りを何度も移動しないと大きなキルトは上手く畳めません。
「よいせ、よいせ」
つい一人事を呟いてしまいました。ついでに歌なんかも口ずさみました。そうでもしないと、ここ数日に見た悪夢を思い出してしまいそうです。ふと無意識に指輪を確認したその時、階下から物音が聞こえた気がして、私は呼吸を止めて耳を澄ましました。とても、とても嫌な予感がします。
突然、何者かに左手首を掴まれました。私は心臓が止まるかと思うほど驚いて、悲鳴を上げてしまいました。
キルトの中から突き出して私の手首を掴む、骨に皮が張り付いただけの細い腕。黒い痣で埋めつされた腕は、沼から突き出す腐った木の棒のようでした。
「いっ、いやあぁ!!」
自分でも驚く程の大きな悲鳴を上げてしまいました。
「どこだ! どこにいる!」
誰かが階段を駆け上る足音が聞こえました。助けを求めようと、私の手首を掴む黒い腕を振りほどいて逃げようとしましたが、膝に力が入らなくて、へたり込んでしまいました。
「助けて! 二階の奥です!」
私はあらん限りの声を振り絞って叫びました。
ベッドに横たわっていた、黒く爛れた小さな遺骸が、糸で吊られた操り人形の様に奇妙な動きで起き上がり、私に向き直りました。
「アアイアイ、二二、キ、キ、キキタアァアヨ」
聞き取り難いくぐもった声でしたが、「あいにきた」と、確かにそう聞こえました。
私は恐怖のあまり、尻餅を突いたまま後退りするので精一杯でした。
「ネル! ネル! 今行くぞ!」
あの声は? あの声は銀ちゃん? 間違い無いです。銀ちゃんの声です。私は目の前にせまる恐怖を吹き飛ばすくらいの気持ちで叫びました。
「銀ちゃん、助けて!!」
ベッドから降り立った黒い遺骸が、天井から吊るされた様な不自然な動きで私に近づいてきました。ぼろぼろと崩れた皮膚が、床に落ちました。
「イッショニィキテェエ」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。私はハナちゃんから逃げ出しました。両親の田舎で、何年かに一度起こる増水が原因の流行病に罹り、親戚のハナちゃんは長く苦しんで亡くなりました。あんなに一緒に遊んだのに、私はハナちゃんの遺体の惨たらしさに耐えられなくて逃げ出したのです。忘れていてごめんなさい。でも、でも、でも一緒になんて行けない!!
「ネル! 無事か!」
悲しさと後悔と自責と罪悪感で、ごちゃごちゃになった頭の中で、救いとなった者の名を叫びました。その美しい髪の色から名付けられた幼馴染の名を。
私の脇を凄まじい勢いで銀色の光が突き抜けました。光はそのまま黒い遺骸を両断し、真っ二つになった遺骸が天井まで跳ね上がり床に落ちる。光の正体は銀色の剣身。
私の傍らに立ったのは白銀の騎士。青い衣の上に銀色に輝く胸鎧を身に着け、光を放つ長剣を構えた姿は、壁画に描かれた六英雄の一人「銀髪の剣士」そのものでした。
「銀ちゃん……」
「よう、久しぶりだな。ネル」
「銀ちゃん、髪伸びたね」
「久々に会って、髪の話か。ところで何なんだ、ありゃ?」
二つに分断された遺骸が床を這いずり、無理に一つに合わさろうと組み合っていました。
昼下がりとは思えない不気味な光景に私は慄き、思わず銀ちゃんの足にしがみ付くと、銀ちゃんは私の髪を優しく撫でてくれました。嬉しくて嬉しくて、もう頭の中身が銀一色です。
「第四、いや第五等級か。ネル、私の後ろに下がってろ」
何だか分からない事を銀ちゃんが呟きましたが、「私」なんて一人称を使う銀ちゃんの格好良さに痺れました。銀ちゃんは長剣を鞘に納め、代わりに結晶で出来た短剣のような物を取り出しました。
黒い遺骸は、分断された身体を、互いの腕で抱きしめるような形で床を這いずっていましたが、その背から勢いよく細長い脚が何本も突き出ました。硬く太い毛が生えた脚に支えられた黒い遺骸は、天井に届くまで持ち上げらて、それは不気味な大きな黒蜘蛛のようでした。
「鋼玉石の剣・封印術式、一式、二式、三式、解除」
銀ちゃんは結晶の短剣のような物を左手に持ち、黒い大蜘蛛に向けました。短剣から銀色の光が噴き出し、長弓のような形を作りました。黒い靄のような・・・あれは蛇?そう、黒い蛇が銀ちゃんの右腕に巻き付いています。
「目前の呪いの完全破壊まで、能力限定解除」
銀ちゃんは神々しく輝く光の弓に、禍々しく蠢く漆黒の矢を番えました。
黒い大蜘蛛が巨体に似合わぬ素早さで銀ちゃんに迫りました。
「銀ちゃん、危ない!」
「鋼玉石の剣! 喰い尽くせ!」
私の叫びと銀ちゃんの叫びが重なりました。銀ちゃんの右腕から放たれた黒蛇が螺旋を描きながら黒蜘蛛に喰らいつきました。
耳を劈く絶叫と咀嚼音に私は耳を覆い銀ちゃんの足元に蹲りました。
「その呪い……粉砕してくれる」
蜘蛛の脚の残骸が床の上を動き回っていましたが、銀ちゃんの短剣から噴き出した炎が跡形も無く焼き尽くしました。
私は、四つん這いのまま、ハナちゃんの残骸、最後に残った黒い欠片を掬いあげて抱きしめました。
「ごめんね。忘れていて、ごめんね。ハナちゃん。ごめんね」
燃え滓すら崩れ去ったのに、私は悲しい思い出と後悔を抱きしめて泣き続けました。
床に蹲り、泣き続ける私の左手を、片膝を突いた銀ちゃんが手に取りました。まるで姫の手を取る騎士みたい。姫が私。すいません。調子に乗りました。
「これは第五等級呪物・夢見の心臓。最も会いたいと願った者を、夢を介して呼び出す呪物」
「私、忘れていたの、ハナちゃんの事を。怖くて逃げたの、ハナちゃんの遺体から」
私はボロボロと涙を零しながら、眼前の白銀の騎士に告解した。
「ネル、あの化物はハナちゃんでは無いんだ。ネルの心の奥底の後悔が形になって現れてしまったんだ」
「銀ちゃん、でも私……」
銀ちゃんは首を振り、私の左手の薬指に結晶の短剣を押し当てました。
「昔、こんな事したよね。懐かしいね。今から指輪を砕くよ」
パキッと乾いた音を立てて指輪が砕け散り、粉々に砕けた赤い宝石がキラキラと部屋中に飛び散りました。それは、まるで夢幻のような一瞬でした。私は美しい光景にぼんやり空を眺めましたが、銀ちゃんは慌てて立ち上がって狼狽えた声を出しました。
「あちゃあ、中途半端にやっちゃったなぁ。大丈夫かな……?」
「銀ちゃん、どうしたの?」
「あぁ、うん、まぁ大丈夫でしょう。ところでネル、もう銀ちゃんは止めて、さっきみたいに名前で呼んでよ」
「えー! 銀ちゃんは銀ちゃんだよ」
「もうお互い大人だしさぁ、銀ちゃんは恥ずかしいよ」
久々に会った銀ちゃんは、髪も背も伸びて、とても大人っぽくなっていた。
私は床に座り込んだまま銀ちゃんを見上げた。あれ? 銀ちゃん太った?
「ねぇ、今まで何をしていたの?」
「ちょっとそこまで大冒険に」
「もう! 私を一人にして!」
「ごめんごめん。でも、もう何処にも行かないよ」
「本当? 本当に本当に本当?」
私は今度こそ逃げられない様に銀ちゃんの腰にがっしりとしがみ付きました。あれ? いま何か動いた?
「ね、ねえ、今、お腹がポコポコ動いたよ?」
「うん。今月で6か月め。ほれ、この辺触ってみ」
「プ、プラティナ……赤ちゃん出来たの?」
「うん。だから帰ってきた。子育て手伝ってね。よろしく!」