第6話 黒い仮面と赤い宝石
本日の御宿泊の御客様は、エコノミールームに御泊りの、二十歳を少し過ぎたばかりの男性客、三名様です。最近、「冒険者」を始められたそうですが、実家が学院都市にあるのに冒険者気分を出す為に、あちこちの宿屋に泊っておられるそうです。
「冒険者」と言う職業はありませんが、学院都市には有志が集まって結成された「冒険者組合」なるものが幾つかあります。冒険者組合に加入すると、組合が請け負った仕事の依頼を登録した加盟員が受領する事が出来ます。
例えば「珍しいキノコ」を五種類採ってきて欲しいと魔導院の「薬学科」から依頼があったとします。それを組合の加盟員が採ってくれば報酬金が得られる仕組みです。その代り、報酬の数%を組合に納める仕組みだそうです。
他にも共済保険制度や融資制度などの冒険をするにあたって便利な各種制度、冒険アドバイザーや冒険カウンセラーまで揃え、冒険者を支えています。
大手の冒険者組合になると加入料も高額になるのですが、その分、サービスも充実しています。病院や託児所まで備え、登録している宿屋やレストランが割引価格で利用出来たり、宅配サービスや送迎サービスなど、冒険には関係の無い事までサポートする姿勢には感心します。ちなみに「ネルの宿屋」の近所にある冒険者組合のスローガンは「冒険王に俺はなる!」です。
学院都市の周りを取り巻く、深く広大な湖の外には豊かな大自然が広がっています。
北門に繋がる橋を渡ると、そこには荒涼とした岩場が広がっています。植物にとって育成に適さない土壌のようですが、珍しい鉱物や結晶が採れる事があるそうです。魔導院の学生さんが良く鉱石採取に出られています。
東門に繋がる橋を渡ると、見渡す限りの草原です。緑色の大海原です。宿に御客様がいらっしゃらない時には、私もお弁当を作ってピクニックを楽しんでいます。でも、学院都市から離れすぎると野犬などの人を襲う危険な動物に出くわす事があるそうです。
南門の橋をわたると、そこは森林地帯です。街道は整備されていますが一時間も歩くと、ちょっと怖いくらいに深い森になります。珍しい植物や茸、木の実や果実などを求めて学者さんから商人まで様々な人々が森に足を踏み入れるそうですが、警戒心の強いエルフ族のテリトリーが近いそうですので深入りは禁物と聞きます。
西門は、門から出た瞬間から湖の対岸に牛・豚・馬・羊の大パレードが見れます。水の便が良いので灌漑にも適し、肥沃な土壌には良い作物が育ちます。宿の料理の材料は、ここで取れた作物が殆どです。西門を出た辺りは一大農業地帯です。
学院都市の周囲は色々な意味で豊かな土地です。無理に危険を冒さなくても、何らかの職業に就けば十分生活出来ます。珍しい鉱石や植物などは魔導院が買い取ってくれるそうですが、危険な動物や怖ろしい怪物の棲む地域まで出向かないと高値で売れる程の物は採取出来ないと聞きます。何故、そこまでの危険を冒してまで「冒険」に出かけるのでしょう?
私には「冒険に出る理由」が良く分からないので、食後のデザートとコーヒーを楽しまれている御客様方に失礼を承知で伺ってみました。
「冒険に出る理由? そう言われると考えた事ないな」
「気が付いたら冒険者でした! じゃ、駄目?」
「俺は冒険がしたくて冒険者になった!」
「お前さぁ、それ、金が欲しくて金持ちになった! と同じじゃね?」
「なんか不毛だなあ……それ」
意気消沈してしまった御客様を前にして、とても申し訳無い気持ちになりました。変な質問をして、すいませんでした。
銀ちゃんは「騎士」になりたくて学院に入ったと言っていました。では、どうして騎士を、学院を、魔導院を捨てて旅に出たのでしょう。
しょんぼりぼそぼそ語り合う御客様方に申し訳なくなり、御詫びに父のコレクションのウイスキーを一本差し入れました。
「え。嘘? 俺たち全然気にしてないよ」
「逆にネルちゃんの言葉で俺たち、もっと深く冒険について考えないとな、って話し合ってたトコ」
「そうそう、例えば六英雄みたいにさ。俺、子供の頃に憧れたんだよ。六英雄」
「でも、いただいた物は、素直にいただきます!」
ウイスキーをお出しした責任なのか、若者の意気を砕いてしまった責任なのか、いつの間にか御酌までさせられてしまいました。
「憧れたよなぁ! 銀髪の剣士!」
「え? お前、そっち派? 俺は青銅の竜騎士だな」
「青銅の竜騎士は無いだろ~。幻覚を破るとは言え、両目を潰すとか無いな~」
「何言ってんの? 青銅の竜騎士の、滝をも逆流させる剣技で狂王を倒したんだぜ。しかも、如何なる攻撃も弾く最強の盾まで持ってるんだぜ」
「六英雄」は五百年前の大戦争を駆け抜けた六人の英雄です。学院都市で、いや、大陸で知らない者はいない歴史上の偉人たちです。未だに子孫を自称する人が跡を絶たないほどの人気があります。中学生の頃、人間族なのに「金色の戦乙女」の子孫だと言い張る女の子がいました。ちなみに「金色の戦乙女」はエルフ族です。
「ネルちゃんも飲んで飲んで」
私は、お酒は苦手でしたが、先ほどの罪悪感もありましたので、水で薄く割ったウイスキーを一杯だけいただきました。ピートの香りを嗅いだだけで酔っぱらいそうです。
「でさぁ、ネルちゃんは六英雄だと誰が好き?」
私は血生臭い英雄譚には苦手でしたが、物語を彩る女性たちの恋物語には興味がありました。
銀髪の剣士を奪い合う、勝気な赤き魔女と青き衣の聖女の三角関係にはゾクゾクしたわ。どう考えても剣士と聖女のカップリングで決まりと思いきや、大逆転で剣士の心を奪う魔女の恋愛テクニック? ツンデレって言うの? あの性格。真似したいですねぇ。隻眼のサムライと金色の戦乙女は終始イチャイチャイチャイチャしててホントどうでも良いわぁ。あぁ、お酒が回ってきた。
「私は、赤き魔女が好きです」
三人が同時に私の顔を見て言いました。
「無いな」
むきー! なら聞くな!
すいません。反省しました。やっぱり私にお酒は合わないようです。
少し酔いを覚ましてから明日の準備に取り掛かりました。閂が不安なので、いつも以上に点検に時間を掛けました。
再び入浴した際に指輪が外れないか試みたのですが、指輪は回ることも無く薬指の節から抜ける気配がありません。ぴったりとくっついてしまった様に感じるほどです。不便は感じませんが、この赤い宝石はトリートメント処理が成されているのでしょうか? 水に濡れたから濃い赤いに色が変わってしまったのかも知れません。近いうちに宝飾店に相談してみようと思いました。しかし、アルコールの入った身体にお風呂は毒ですね。クラクラします。
洗濯カゴに今日一日使ったエプロンを入れて、もう一度、閂を確認してから、しっかり横木を掛けました。
飲酒の習慣の無い私は、ほんの少量のウイスキーでグラグラしてしまいました。気持ちも悪いです。
砂時計だけは間違いなくセットしてベッドに倒れ込み、布団を被った覚えも無く、あっという間に眠りに落ちました。
*****
――――ことん
昨夜と同じ様な音がして目が覚めました。首が痛い。ベッドにうつ伏せたまま寝てしまっていたようです。アルコールのせいでしょうか。身体が思った様に動きません。
――――かたん
確かに近くで物音がしました。身体が言うことを利きませんが、視線は動かす事が出来ました。夕暮れ時の様に橙色の灯りが壁を染めています。魔陽灯に蓋をするのを忘れていました。
「あいにきたよ」
ベッドの傍に誰がいる。私は悲鳴を上げる事も出来ずに凍り付きました。あなたは誰?
「あいにきたよ」
違う。あなたは銀ちゃんじゃない。
「あいにきたよ」
違う。私が会いたいのは、あなたじゃない。
ごめんなさい。忘れていたのは謝ります。でも、私が会いたいのは、あなたじゃない。
「一緒に行こうよ」
黒い仮面と赤い宝石は、黒く爛れた皮膚と赤く充血した白目だった。瞬きも出来ないほど崩れた瞼から覗く、赤い白目に覆われた光の無い瞳が私を見つめていた。
「安息を」の悲しげなメロディーが流れ、うつ伏せのまま目が覚めました。首が、頭が、全身が痛い。私はのろのろと起き上がり、先程まで見ていた悪夢を思い出しました。忘れていた。今の今まで忘れていた。でも、私が会いたいのは、あの子じゃない。
喉まで、せり上がってくる吐き気を抑えながら、何とか顔を洗おうと石鹸を手にした時に短い悲鳴を上げてしまいました。指輪の宝石の色が赤黒く変色していました。それは爛れた瞼の下の色。私は耐えきれなくなり洗面台に吐き戻してしまいました。黄緑かかった胃液まで吐いて、ようやく落ち着きましたが、髪を梳かす気力も無く、何とか三つ編みにして御化粧もせずに朝の仕事に取り掛かりました。
幸いにして今日は予約が無いので、御客様方をお見送りしたら午後は休みにします。頭の芯がずきずき痛み、酷い寒気がします。
御客様には申し訳ないと思いましたが、朝食は簡単に作れるサンドイッチにさせていただきました。それが、今の私には精一杯でした。
「ネルちゃん、大丈夫?」
「俺たちが無理に飲ませたからだね。ホントごめん」
「二日酔いに効く薬草を取ってくるよ」
外まで御見送りしたかったのですが、私のあまりの顔色の悪さに皆様が気を遣って下さいました。
御客様方が出立され、私はカウンター越しにお辞儀だけして、扉が閉まると同時にカウンターに倒れ込みました。宿屋失格。悔しい。自分が情けない。みっともなく涙と鼻水を垂らしながら、
「***体調不良の為、臨時休業させていただきます。店内にはおりますので、御用の方はお声をお掛け下さい***」
と、吊り下げ黒板にチョークで書き、外に出てドアノブに吊り下げました。そのままフラフラと自分の部屋に戻り、今朝目覚めたのと同じ姿勢でベッドに倒れ込みました。
*****
「最後のお別れをしなさい」
大きな手に背中を押された。小さなベッドの上に置かれた黒い人形が怖くて怖くて仕方なかった。違う、あれは人形じゃない。あれは黒く爛れた、かつて子供だったモノ。
「お別れを」
さらに強く押されて踏鞴を踏んだ。思わずベッドに倒れ込みそうになり、手を突き、ベッドに横たわるモノの顔に覆い被さる格好になった。
古い土壁の様に崩れた皮膚には黒い痣が浮かび、充血した白目に囲まれた虚ろな瞳は何も映していなかった。鼻は爛れて形を無くし、二つの細長い穴が空いているだけだった。半開きになった口の中には白いカビだらけの舌が見えた。
「嫌だ! 気持ち悪い!」
私は行く手を遮る大人たちを掻い潜って走った。
私はお別れしませんでした。流行病で死んだハナちゃんと。
私は逃げ出しました。真っ黒になって死んでいったハナちゃんから。