第12話 私の可愛い娘たち
給仕のセハト君に案内され、その小さな背中を眺めながら階段を登った。跳ねるように階段を駆け上がる様は、木に駆け登る小動物を連想させる。
小動物といえば、ディミータはマタタビに酔った猫のようにフラフラと帰って行ったが、曲がりなりにも特殊清掃部隊の副隊長だ。危険の方が避けて通るだろう。
「ところでセハト君。庭にいた巨大な熊だか犬だかは何だろうね」
「パブロフのことですか? ボクの友だちですよ」
「へえ、友だちか」
二階の奥まった部屋がロイヤルスイートルームだ。重厚で立派な扉だが、この素朴な宿には似つかわしく無いようにも思えた。
「では、明朝七時に起こしに来ますね。お休みなさーい」
部屋の案内も無しで行ってしまったが、早く休みたかったので正直ありがたかった。宿自慢を長々とされるのは聞かされる身としては辛い時がある。ただ、あの巨獣が熊なのか犬なのかは聞いておくべきだった。考え出したら寝られなくなりそうだ。
よっこらせ、と声に出して押さなければならない重たい扉だったが、一度弾みがつけば自重で開いた。せっかくなので、閉める時には「どっこらせ」と言っておいた。
なかなか良い部屋だ。一流ホテルとは、また違った風情だね。何というかノスタルジーを掻き立てるくせに、魔陽灯や錬金暖炉などの今時な設備をさり気なく配置するセンスが憎い。
大きなベッドに横たわってみた。ふわふわでふかふかだ。素晴らしい。横になったまま体を跳ねさせて反発力を試してみた。不必要な跳ね返りも無く、ギシギシいわない。高級なコイルを使っているなぁ。
ベージュかかった白い壁に目をやると、長閑な田舎に遊ぶ少女たちの絵画が架けられていた。
――――ねえ、自分の娘くらいの年齢の女の子たちに会いたいの
ふと、ディミータの声を思い出した。
私は胸ポケットにしまった小瓶を取り出して天井に翳してみた。透明な瓶の中には橙色の粉が入っている。
コルクの栓を抜き、一言、「出てきなさい」と呟いくと、橙色の粉が湯気のように瓶から立ち昇る。そして、煙のように広がった橙色の粉は、中空の一点に集まった。
私は徐々に形を整えつつある煙を凝視し続けた。一塊になった煙が人の形になり、そのうちに掌に乗る程度の大きさの少女の形をとる。半透明の少女の背には、透けた羽が生えていた。
これこそ私の可愛い娘、「錬金妖精」と名付けた。私の最新作だ。
――――アイザック。水を差したな。覚えていろよ
ふと、ネイトの声を思い出した。
ダークエルフのネイト、彼女は魔導院最強の近接用戦闘兵器だ。数百人の特殊戦闘部隊に匹敵する殲滅能力を持つ、私の最高傑作の一つだ。
だが、『最高』だからこそ先が無い。最高の先に行ける者が超一流なのだ。故にネイトは超一流の戦闘兵器にはなれない。己の生命を厭わないくせに、仲間の犠牲を極端に恐れる彼女は、余りにも精神構造が脆すぎる。
居心地の良い場所を護る為に、命懸けで闘う哀れな娘。実に有用にして、実に悲しい錬金仕掛けの戦闘兵器だ。
「戻りなさい」
自由気ままに部屋の中を飛び回る錬金妖精に声を掛けた。
妖精は私の周りをぐるぐると回り、ふうっと霧散したかと思った次の瞬間には瓶の中に納まっていた。
コルクで栓をして瓶の中の橙色の粉を眺めてみる。間違いなく錬金妖精には知性がだろう。少なくとも、こちらの意思を読み取るだけの知恵を備えているようだ。
――――アイザック博士。良いのですか? 現在、「錬金仕掛けの腕」は調整中です
ルルティア君の声を思い出した。
彼女に錬金妖精を見せたらどうなるかな。現在、錬金妖精を知るのは私しかいない。同様の圧縮精製を行っても精製に成功したのは、この個体のみだ。
魔陽灯の光の源、「魔陽石」を限界まで圧縮精錬した結果、錬金妖精が生まれた。この形になるまでに高純度の魔陽石を七個も使った。更に大量の魔陽石を使えば、もっとはっきりとした形を取れるかも知れないが、実験には莫大な金がかかる。その資金の為の錬金軌道だ。早期に稼働させたい。
「くくっ、楽しみだなぁ」
ついつい独り言が漏れる。
錬金妖精を何度かルルティアに見せつけようと思った。あのツンと澄ました美貌が驚愕の形に歪むのを見るのは、私にとっては何事にも代えがたいエンターテイメントの一つ。だが、このところ、彼女は多少の事では驚かなくなってしまった。彼女が私の領域に届きつつあるからだ。
子が親を、弟子が師匠を追い越すのは自然の摂理。ルルティアの成長は喜ばしい事実だ。私の後継は彼女の他には考えられない。
だが、彼女の成長速度は想像を超している。まだ成人前の小娘だというのに、あれ程の能力を発揮するのは危険だ。もっと人生経験を積むべきだろう。もっと青春を謳歌すべきだろう。恋愛は子供を大人に、賢者を愚者にもしてくれる。
だからこそ私はカースが欲しい。ルルティアにはカースが必要だ。
速すぎる馬は脚を折りかねない。彼くらい平凡な騎手ならば、駿馬を故障させる事なく栄光のゴールに導くことが出来るだろう。
カースは超一流の凡俗だ。一流の戦士、一流の鑑定士、一流の商人になれる素質を秘めているくせに、全てを諦め果てて、全てを放棄している若者。
だが、それがいい。彼を取り巻く奇妙な倦怠感に人は安心を覚える。
誰も拒絶しない振りをして、そのくせ誰も受け入れない。何が彼をそうさせるのかは知らないが、そうやって自己を磨り減らしていくのだろうね。なんとも気の毒な青年だ。
若者の分析は楽しいが、いよいよ眠くなってきた。久々に飲んだワインのせいかもな。風呂に入らず着替えもしないで柔らかなベッドに身を沈め、高級な部屋に泊まる。ふはは、贅沢至極。
さあて、ロイヤルスイートルームは、私にどのような夢を見せる?




