第11話 皆様に愛されるカレーの凡俗性について
「ほうほう、これは中々に良い建物じゃないか。たまには街に散歩に出るのも良いかもね」
ディミータお勧めの「ネルの宿屋」は、決して豪華な造作の建築物とは言えなかったが、落ち着いた佇まいの趣ある旅館だった。急勾配の切妻屋根と暖炉の煙突が郷愁を掻き立てる。
建築材こそ魔導院推奨、灰色の耐火煉瓦だが、それを逆手に取ったかのように瀟洒な庭園風に仕立てたエクステリアが良い風情を演出している。
ただ一点、庭に鎮座する巨大な白熊の置物が気になった。いや、あれは犬の置物か。しかし大きいな。お、動いた?
「ドクってデザインにもウルサイよね。カースもフォルムだシルエットだ、ってウルサイけど、何なの? オトコって皆、そんな感じ?」
「ふはは。拘るオトコは皆、そんな感じだよ。私だって若い頃、教師になるか、錬金工業デザインに進むか迷っていた時期があったからね」
「うわぁ、また明かされる新事実。ドクがデザイン系……ふぅん、意外にアリかもねぇ」
「そういうディミータ君だって、昔は報道に……あぁ、すまない。失言だ」
「良いのよ。今は楽しいから。錬金術の騎士団の皆がいるから。あぁ、ついでにドクもね」
喋りが乗ってくると、ついつい口が軽くなる悪癖だけは直らないんだよね。自覚はしているのだが。
冷たい風が吹き抜ける。革製のオーバーコートだけでは、そろそろ物足りない季節だ。
「さあさ、中に入ろう。冷えてきたよ」
部下と言えどもレディファーストだ。先に扉を開けて、ディミータを通す。
アーリースタイルの大きな暖炉が目に入る。部屋の中は暖かな空気に満たされていた。
「いらっしゃいませ! ネルの宿屋にようこそ!」
ハスキーで元気の良い声は印象が良いね。おや? 珍しい。ホビレイル族か。
「遊ぶ栗鼠」の異名を持つホビレイル族は、あまりの集中力の無さから定職に就くのは珍しい。小柄な体格とエルフ族ほどでは無いが尖った耳はホビレイル族の特徴だ。
きりりとした濃い眉と好奇心の強そうな瞳が印象的だ。ベストにネクタイの給仕服姿は、まるで体験学習の中学生のようで微笑ましい。
「本日は御宿泊ですか? 御食事ですか?」
「食事で二名だが、空いているかな」
「はーい! では二名様、こちらへどーぞ!」
朗らかな笑顔を振りまき、軽快にターンする少年。ホビレイル族は憎めない愛嬌があると伝え聞いたが、こういう事なんだね。
「いやん、カワウィーわぁ。あの子、お持ち帰り出来るかしらん」
「はは……冗談に聞こえないよ、ディミータ。魔導院青少年保護法に引っ掛かるよ」
「青少年保護法? あぁ……ドクの『金色の瞳』も性能が落ちたんじゃない?」
「どういう意味だい? 先日、調整したばかりだぞ」
ディミータは返事を返さず「サカナサカナサカナー」と、何処かで聞いたがフレーズを口ずさんでホビレイル族の後に付いて行った。
疑問符が頭の上に浮かんだが、案内された食堂に漂うカレーの香りに思考は雲散した。
カレーか。カレーは良いね。カレーは紛れもなく普遍的でいて、これ以上なく凡俗だ。
木製のコートハンガーに上着を掛ける。ディミータのコートも預かって掛けておいた。
私と彼女は、名目上では上司と部下の関係だが、プライベートでは友人、いや戦友だと思っている。ディミータはどう思っているかは知らないが。
「本日のおすすめはシーフードカレーですよ」
椅子を引きながら、小柄な給仕が伝えた。食堂に充満する、この魅惑的な香りを嗅いでカレーを選ばないとしたら、それはカレーアレルギーか何かだろう。
「この香りを嗅がされてしまったら、そのシーフードカレーしか選べないな。ディミータ君はどうする?」
「甘口で。限りなく甘口で。温めで。限りなく温めで」
「はーい。あと、ライスとナン、どちらにしますか? ちなみにライスはサフランライスです」
「へえ、ナンがあるのか。珍しいね」
私はふと、「探し物はナンですかぁ」と、若い頃に流行った歌謡曲を口ずさんでみた。
「はい! ナンですね!」
「う、うん。ナンで。頼むよ」
「私はサフランライスで」
ディミータ君のジットリした視線が痛い。なんだい、普段からバックラーと駄ジャレを言い合っては楽しんでいるくせに。
四人掛けのテーブルが四卓あるだけの小さな食堂だったが、 燭台の蝋燭とランタンの灯りに照らされた土壁が素朴な異国情緒を醸し出している。
土壁に触れてみた。ざらりとした感触に何とも言えない懐かしさを覚える。
「失礼しまーす。御飲物のご注文はありますかぁ」
情緒溢れる室内を見渡していると、水が運ばれてきた。喋り倒して、喉が渇いていたところだ。ありがたく頂戴しよう。
良く冷えた水を一口含むと、舌にかすかに残る柑橘系のフレーバー。良いね。ますます気に入ったよ。
「赤! と、言いたいところだが、シーフードカレーだからねぇ。甘口の白ワインをいただけるかな。グラスで良いよ。ディミータはどうするかね?」
「同じので良いからボトルにしましょ。ねぇ、あなたがネルさん?」
ディミータはメニュー表を眺めてから、ホビレイルの給仕に顔を向けた。
「違いますよ。ボクはセハトって言います。手伝いなんです。オーナーは、このあと団体様の予約があるので厨房にかかりきりです」
「そう。ありがとう、セハト」
「ワインはすぐに持ってきますか?」
私とディミータが頷くのを確認して、セハトは厨房に下がって行った。
「カース君も、良い店を知っているね。意外に存外で望外だ」
「子供の頃から通っているそうよ。ここのパエリアを食べて育ったって」
「パエリアかぁ。それも捨てがたい。たまには外で食事も良いもんだね。新たな発見がある」
「そうよぅ。ドクは学生食堂ばっかりでしょ。肉盛りプレートばっか食べてたら死ぬよ」
「まるで肉盛りプレートを食べたら即死しそうな物言いだね。私は好きな物を食べて、好きな事をして早死にするなら本望だよ」
ディミータとの対話は楽しい。彼女は、元々は報道関係を志望していたくらいだ。鋭い観察眼とユーモアのセンス、少々変わった角度から物を見る感性が面白い。そこがガッチガチに頭の固いネイト隊長とは違うところだ。
「ワインお待たせしました。契約ワイナリーが醸造したオリジナルワインだそうですよ。ボクには良く分かりませんけど。チーズはサービスです」
「あら? このチーズ、魚の匂いがするわ」
「チーズに魚のすり身が練り込んであるみたいです。何個か摘まみ食いしたら、とっても美味しかったので、ボクが勝手に選びました。美味しくなかったら交換します」
「ふはは。摘まみ食いしたのかい」
私の呟きを聞いてか聞かずか、黒猫がチーズを摘まんで口に放り込んだ。途端に顔を覆うディミータ。
「あぁっ、ダメよ……これ、私の本能を刺激するぅ」
「ダメでしたか? 交換します?」
「交換なんてダメ。このチーズ、山盛り追加でお願い」
「おいおい、キミはチーズを食べに来たのかい」
ほど良く冷やされた白ワインは、私には少々甘口だったが、女性には丁度良い味わいだろう。
チーズを一口齧ってはワインを一口啜るディミータは、酒に酔っているのか、チーズに酔っているのか心ここにあらず、と夢見心地な表情だ。
「ふぁあ……私をこんなに酔わせてどうするつもりぃ」
「何言ってるんだい。人聞きが悪い。キミが勝手に調子良く飲んでるだけじゃないか。もう半分も無くなっちゃったよ」
私はボトルを持ち上げて振って見せた。黒猫の瞳が爛々と輝く。
「追加? 追加する? 追加しちゃう? 追加しよっ!」
「何だい? その四段活用は? ダメだよ。飲み過ぎだ。ほら、カレー来たよ」
「にゃー! ステキ!」
テーブルの上に置かれたカレーは、想像以上のシーフードっぷりだ。イカエビアサリ、ホタテの貝柱。大きな二枚貝に、大きなカニの爪。これは採算が取れるのだろうか。思わずメニュー表を手に取って確認してしまう。
ディミータは完全に目の前のシーフードの山に心を奪われているようだった。
「ナンとサフランライスは、おかわり自由ですので声を掛けて下さいね」
「ねえ、セハト君だったかな。こんなにシーフードを乗せて、採算は取れるのかね」
「さあ? 料理はネルさんの趣味だから良いんじゃないですか」
にべも無くセハト君は厨房に戻って行った。さあて、このシーフードの山をどうやって攻略するかね。ディミータは、これ以上ないくらいに幸せそうな顔だ。良かったね。
「そうそう、さっきの話の続きを教えてよ。カースの魅力」
シーフードカレーを半分平らげたあたりでディミータが思い出したかのように質問してきた。
「カース君の魅力は、カレー以下だと証明されたね」
「カースとカレーのどちらを選ぶと言われたら、私はこのカレーを選ぶわ。一縷の迷いも無く」
「良くも酔っぱらって、そんな言葉を使えるね。まぁ、それが彼が凡俗である、何よりの証明だが」
「んん? カレーとカースに何の関係があるのよぅ」
私は白ワインで口を湿らせた。うん。甘い白ワインはスパイシーなカレーに合うね。絶好の組み合わせだ。
「ディミータ、錬金軌道を山王聖堂都市まで通すには、錬金軌道が走る為のレールを一千㎞ほど敷設しなければならない。その間に停車駅をいくつか作るべきなのだが、いくつ作ると良いだろうか」
「はぁ? 何よ? 私にそんなの聞かないでよぅ」
「では、カレーの具は、シーフードとチキン、どちらが良いかな?」
「あぁん。悩ましいけど、いまはシーフードね」
「カースの魅力はそこだよ。彼とカレーは似ている。なんちゃって」
ディミータの冷たい視線が痛い。自分はバックラーと駄ジャレを楽しんでいるのにねぇ。
「カースの凡俗性は大したものだよ。錬金軌道を理解出来る女性は少ないが、カレーが好きな女性は多い。私は、そんな彼を、皆様に愛される『オール七十五点の男』と呼びたい」
「ねえ、褒めてるの? 貶しているの?」
シーフードカレーをすっかり平らげたディミータが、呆れたような、だが楽しそうな苦笑いを浮かべる。
「考えてもみなさいよ。まぁまぁな顔で、それほど悪くない性格で、能力もそれなりの男だったら、ある意味では文句の付け様が無いとも言えるだろう?」
「そうね。カースは浮気する甲斐性も無さそうね」
「そうそう、ルルティア主任や、ネイト隊長のような女性は、得てして彼のような男性を好む傾向がある。人畜無害、産地直送、安心安全な七十五点の男、その名はカース」
「産地直送の意味が分からないけど、カースが、それを聞いたら怒り出しそうよねぇ」
ワインを飲みながら楽しそうに笑う黒猫。
そうだよ。彼の凡俗性は素晴らしい。是非とも「錬金術の騎士団」に欲しい。ルルティア君の硬く尖り過ぎたインテリジェンスに、丸さと柔軟性を与えるのは彼しかいない。彼女、「琺瑯質の瞳の乙女」なんて作って何をするつもりなんだかね。家政婦型錬金人形なんて嘯いていたけど、あれには近接戦闘能力があるね。何を企む? 賢い悪戯娘。
「ねえねえ、ドクは結婚とかしようと思わなかったの?」
「いきなりだなぁ。そうだね。まだワインも残っているし、ワインの肴に昔話でもしようか」
「うにゃん。コイバナ?」
「なんだいコイバナって? あぁ、恋の話か」
獲物を見つけた猫のような瞳。 一言一句逃すまいと猫耳がこちらを向く。まるで猫を前にした鼠になった気分じゃないか。
「大した話じゃないんだよ。さっき、教師になるか、錬金工業デザインに進むか迷った、って話をしたよね。その頃、半年だけデザインの学校に通ってみたのだよ。そこで、ある女性と出会ってね。結婚まで考えたのさ」
「いやぁん、イイじゃない。本格的なコイバナね」
「でもね、結局は将来の安定性を取って教師の道を選んだ。彼女と早く結婚したかったのさ」
「あはぁん。ドクにもそんな青春な時代があったのねぇ」
「そりゃそうだよ。若い頃から、こんなじゃないさ」
私は色つきゴーグルに触れてみせた。私の「金色の瞳」はディミータのそれのプロトタイプだ。
「ところが初等科の錬金術の実験中に、生徒たちの悪戯が原因で事故が起きてね。子供たちを庇った私は瀕死の重症を負って、生死を彷徨った」
「そんな事があったのね。私、いつも自分の話ばっかり聞かせていたから、ドクの事を全然知らなかったわ」
「こんな話、大して面白くも無いからね。まだ続き聞きたいかい?」
ディミータが空になった私のグラスにワインを継ぎ足す。続きを話せ、との催促だろう。
「それで彼女はどうしたの?」
「それがね、生徒の何人かは怪我をしてね。私は子供の親御さんたちに損害賠償を求められた。私は彼女に負債を負わせたくは無かったんだ」
「ひゃあ。酷い話ね。事故の原因は子供の悪戯なんでしょう? ドクは悪くないじゃない」
「自己弁護すれば、そうなんだけどね。でも、監督者の不徳の致すところってヤツさ」
一人分の材料しか入れてはいけない錬金釜に、五人分も投入すれば事故も起こるよね。
「魔導院は、半死半生の私に選択を迫った。当時、始まったばかりの錬金手術の実験台になるか、死んで全てをチャラにするか」
「魔導院法第九条ね。魔導院の提案に従うか、死ぬか」
「そうだね。私もキミもネイトも受け入れたんだよ。第九条を。我々『錬金術の騎士団』の面々は全員ね」
短い間だが、テーブルの上の空気を沈黙が支配した。ディミータにはディミータの、私には私の過去がある。
「結婚しようと思っていた彼女には、『アイザックは死んだ』とか伝えたの?」
「いや、彼女は、私が死んだなんて伝えたら、後を追うような弱い女性だったからね。適当に誤魔化してもらった」
「彼女に会いたくならなかったの?」
「うーん。そこが不思議なんだよね。錬金術に夢中になっちゃったのかな」
「何よそれ? ホントに彼女を愛していたのぉ?」
「愛も裏切りも、嘘も真実も、同じ数だけ潜んでる、ってことさ」
残ったワインを一気に煽った。甘さの中に渋さを感じる。ほら、ワインの中にすら愛と裏切りが潜んでいるんだ。
会いたくない訳では無かった。寧ろ、会って私を救って欲しかった。だが、顔と身体の一部を欠き、視力と男性としての機能を失い、教師はおろか、彼女と幸せな家庭を築く道も絶たれた。私には錬金術しか残っていなかった。自暴自棄とは違う暗澹たる感情は、未だに私を支配している。
「ねえ、彼女に会いと思わない?」
「何だい突然? 藪から棒に。垣根から猫?」
「どこの諺よ? 実はねぇ、この宿屋って美味しい料理の他に、もう一つ凄い売りがあるのよ」
黒猫が目を細めて口元を歪める。おぉ、児童文学に登場する猫の妖怪みたいだ。何といったかな?あの猫の名前。
「ほほう、興味深いね。その売りとは何だろう?」
「この宿のロイヤルスイートルームには『もう一度会いたいと強く思っている人と再会できる』って不思議な力があるんだって」
「へえ! それは驚きだ。じゃあ、いま学院都市で大人気のナントカ48に会えるかね?」
地道な活動でジワジワと人気を得て、ここ数年でスターダムに駆け上がったアイドルグループの名前を上げてみた。
「ねえ、自分の娘くらいの年齢の女の子たちに会いたいの?」
「いやぁ、可愛いじゃないか、彼女たち。あんな可愛らしい娘が家にいたら、毎日が楽しいだろうねぇ」
「ドク、あんた結婚もしていなければ自宅すら無いじゃない」
「ふはは、願望だよ願望。言ってみただけさ。だいたい、主要なメンバーの名前と顔が一致しない。学生たちに何度聞いても覚えられない始末さ」
首を傾けて肩を竦めるディミータに、私は思わず笑ってしまった。
「私の可愛い娘たちは、キミたちで十分だよ」
「はいはい。何とでも言いなさいよ。私は早朝から『仕事』があるから帰るけど、ドクは試しに泊まってみたら?」
「私には、別に会いたい人なんていないよ」
「効果があったら教えてよ。そうしたら、私も泊まってみるから」
ディミータが席から立ち上がった。彼女の会いたい人は誰だろう。地下訓練施設に消えた妹だろうか。
だが、会ってどうする。悲しみが深くなるだけじゃないかい? 後悔が強くなるだけじゃないかい?
ふむ。俄然、興味が湧いてきた。私が会いたいのは誰だろう。
「良し、では今夜は曰くのロイヤルスイートルームに泊まってみるとしようか」
問題は、ロイヤルスイートルームが空室かどうかだね。私はホビレイル族の給仕係を呼んでみた。




