第1話 いらっしゃいませ!ネルの宿屋にようこそ!
「いらっしゃいませ! ネルの宿屋にようこそ! あら、珍しい。こんな時間にどうしたの?」
「ネルさん、今晩は。俺の店さぁ、いま、バルヨン焚いてるんだよね」
「あの『隅々まで効く、害虫にバルヨン』のバルヨン?」
「そう、それ。半年に一回は燻蒸しないとさ、古い魔術の巻物とか虫に食われるんだよ」
――――ぐうぅ
「うふふ。今、お腹なったでしょう?」
私は可笑しくなって、ついつい笑ってしまいました。
あっ、いけない。彼とは長い付き合いとはいえ、御客様は御客様。笑うなんて失礼でした。
「笑っちゃってごめんなさい。でも、小さい頃からお腹の虫は正直ね」
「夕飯、まだでさ。昼食ってから、飴玉しか口にして無くてね」
「いつものが良い?」
「当然、いつものが良い! いつものいつもの!」
私の宿の自慢は魚介料理。彼は昔から、私の作るパエリアが大好物。
大きな平たいパエリア鍋に、新鮮な魚介と長細い米に水を加えて炊き上げるパエリアは「ネルの宿屋」の人気のメニューです。
ネル流パエリアは、色付と風味付けにサフランを入れるのは当然として、ローズマリーやローリエを全体のバランスを崩さない絶妙な配合で使うのがコツ。ハーブを入れ過ぎると、お米の甘さが死んじゃうんです。
でも、彼は鍋の底にくっついた「おこげ」が大好きで、もしかしたらパエリアじゃなくて「おこげ」が目当てじゃないかしら。
「うまーいっ! これが毎日食えるなら、俺、ここの子になっても良い。いや、むしろなりたい」
「養子に入るってこと? 私をお嫁さんにはしてくれないの?」
「げはははは」
彼はパエリアを口いっぱいに頬張りながら大笑いしています。行儀が悪いのも昔から変わらない。
「そういえば最近、お店に女の子が出入りしてるでしょう。すっごい美人な眼鏡の子」
「メガネっ子? ……あぁ、アレか。あれは客だよ。いや、客ですらない。俺の店を喫茶店代わりに利用する迷惑な通行人だ」
「ふうん、怪しいな。まぁ、そういう事にしておくね」
レモンの果汁を少量混ぜた冷水を一気飲みした彼は、満足そうな顔で「おかわり!」と一声張り上げました。
「はいはい。そう言うと思って、多めに作ってありますよ」
「さっすが! こんなに美味い料理を食わしてもらえる上に、宿賃だって格安とは同じ商売人として恐れ入ります」
「そんな事は無いわ。私は、もっともっと勉強して御客様に喜んでもらいたいの」
これは本心です。お料理もサービスも、改善する余地が沢山あります。当然ボランティアでは無いので宿賃はいただきますが、お金をいただく以上は相応のサービスを提供するのが宿屋の仕事であり使命です。
「俺なんて、『お前ら! 武器屋に感謝しろ!』って気持ちしか抱いてません」
「じゃあ、私も『君たち! 宿屋に感謝なさい!』って気持ちを抱けば良いかしら?」
「うーん。何だか似合わないな。どうぞ今のままでいて下さい」
私は、おかわりのパエリアを取りに厨房に戻り、おこげがたっぷり乗ったお皿を彼に差し出しました。
待ってましたとばかりにパエリア皿に覆いかぶさって、夢中でパエリアを掻き込む彼の頭を見ていると、懐かしい気持ちでいっぱいになります。とってもキレイな銀色の髪。特上品の春雨みたい。なんでも食材に例えるのは私の変な癖です。
申し遅れました。わたくし、「ネルの宿屋」の店主のネルと申します。