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遺言

作者: あるちゅん

見沼美由紀は泣きはらした目で、弁護士・大島大輔を玄関に迎えた。


「奥さん、この度はご愁傷さまで」

「いいえ、先生。さぁどうぞ中へ」


犬の散歩に通りかかった隣人の男性に気づいたのか、美由紀は軽く会釈をする。気の毒でしたな、と顔を歪ませ、男性が礼を返す。


美由紀は大島弁護士に居間のテーブルで待つようにいい、紅茶を二人分用意する。てきぱきと準備を終えて、するりと居間へ戻る。


「では、美由紀さん。彼からの遺言を読むよ。開封していいかな」

「えぇ、お願い」


*********(包みに書かれた内容)


遺言


妻に宛てて、友である大島君に預ける。

私にもしものことがあれば、大島君と妻2人で読んでほしい。


                見沼大輔


*********(以下本文)


 拝啓、と書き出してよいのだろうか、体裁をあまり調べずに書き出してしまったことを早くも後悔しているが、構わず筆を進める。こういうことは思いついたが吉というからね。

 さて、ありきたりの文句になるが、この手紙を君たちが読んでいるということは、私は既に死んでしまったということになるのだろうね。想像するだけで、とても強い感情に襲われる。冷静に筆を進めるつもりだが、一部感情的になるかもしれない。だが、それでも最後まで読んでほしい。私の最後のお願いだよ。

 美由紀。君は結婚して以来長く私のよきパートナーであってくれた。ありがとう。結婚の当初こそ、家族・親類が君を財産目当ての酷い女だと、讒言してきたものだったが、日が経つにつれそのような言葉も耳に入らなくなった。それだけ、君はすばらしい奥さんだったということさ。

 大島君。私の会社で文書のミスから天地のひっくり返りそうな損害が生まれようとしたのは、そう、3年前になる。私は美由紀を得て2年、幸せの絶頂から奈落へ落ちた気分だったんだ。それを救ってくれたのが、大島君、君だった。君は颯爽と私の事務所に現れ、テキパキと処置と忠告をくれた。最初、私は疑心暗鬼になって失礼な発言をした。それをここに侘びる。君のおかげで会社に損害は一切かからず、嘘の様に問題が片付いてしまった。君の手腕にほれ込んだ私を受け入れてくれたその度量には頭をいくら下げても足らない。そうそう、その私の英雄を招きいれたのも美由紀、君だったね。私がふさぎこんでいるのを見て、弁護士を当たってくれたその心意気に、きっと神様が英雄の派遣で答えてくれたのだと信じている。大島君を選んだ理由が、私と同名だから、だなんて、なんとも運命的じゃあないか。

 さぁ、こんな死人に煽てられても、生きている君たちには何の面白みもないだろう。私は筆不精だし、そろそろ本題に入ろうか。勿論、私の遺産のことなのだ。そんなこと聞きたくない、純真な君はそういうかもしれないね、美由紀。でも大事なことだから聞いておくれ。

 本来なら親類縁者にも分配するべきなのだろう。しかし、私はここにしっかりと書く。美由紀以外の親類縁者には一切遺産は与えない。そして極めて強い調子でここに加える。大島大輔氏を遺産振り分けの対象に入れることを。


*********


「やったわ!やったわね!」

「あぁ、ここまでお人よしだと流石に可哀想だな」


美由紀は小躍りして喜び、紅茶に角砂糖を入れる。


「はぁ緊張しちゃった。紅茶冷めちゃった」

「でも結果がこれなら文句ないだろう?」

「えぇ、最高。本当に最高の夫だわ」

「しかし、あの帳簿改ざん、全然気づいてないんだな」

「そりゃ、うまくやったもん!褒めて褒めてぇ」


よしよししながら大島が冷ややかに語る。


「あんなもん普通間違えない。間違いじゃないとしたら改ざん。内部からしか改ざんなんかできない。普通気づくだろうに」

「だぁかぁらぁ、うまくやったんだって!大体あの人、人当たりの才はあるけど、組織管理とか資料整理とか完全丸投げだったからね。それよりむしろ、あんな手際よく解決したってところに疑問が行ってもおかしくないのではないですかな?英雄殿?」

「ふふっ、中のカラクリ全部知って事前にあれだけ準備すりゃあね。とはいえ、まぁ、僕もうまくやったってことかな」

「よしよし、さぁ!続きだ続きだ」


大島の頭をなで返して、美由紀は遺言の続きを催促する。


*********


 私がかくなる結論に至ったのは、2人の心意気に強く心動かされてのことだ。その心意気というのは、私に深く関わることであり、その在り様を知ったとき、私は電撃に打たれたような、すさまじい激情に襲われた。そして、この遺言を書く決意をしたのだ。

 美由紀。君のその心意気を知るきっかけとなったのは、君が毎日私に出してくれた料理さ。その晩、いつだったろうか、1年ほど前だったかな。その晩、私は君の料理に口をつけた途端、吐き出しそうになった。とてもとても嫌な味がしたんだよ。例えば、石鹸みたな、ね。私はむせた振りをして、それを吐き出したんだ。その時だったよ。その時の君の顔。その時の君の目。その時の君の口。羊をかる獅子の目、いやいや、もっともっといやらしい、鼠を狩る蛇の目だった。私は戦慄というものを初めて経験したよ。恐ろしかった。そして、憎しみという感情がいかなるものかを知ったのもそのときだったよ。私は君に怪しまれないように料理を適当にかき込み、タバコを買うと家を出た。わかるかね?50を過ぎた身の男が公園のトイレで自分の喉に手を突っ込んで、妻の手料理を無理繰りに吐き出す時の惨めさが。

 それ以来、私は君の全ての行動を監視し始めたのだ。興信所にかけた金は君に上げたドレスの総額に比べれば安いものだったよ。どうしてもっと早く手を打たなかったのかと自己嫌悪さ。

 さて、そうして行き着いたのが君だ。大島君。君の心意気にはつくづく感心させられた。当初はともかく、その後、私は君に弁護士としての仕事を各所で斡旋し、君の名誉を広めてきた。君は既に十分私に恩義のかけらくらい感じてもいいはずだった。ところがだ、盗聴という姑息な真似までしてきた卑劣な興信所によるとだ、君には恩義のオの字もない。それどころか、私を殺してその財産をどれだけ自分のものにするかだけを考えているじゃないか。すばらしい態度だ。誠に感服だったよ。君の素顔を知って、私が怒ったと思うかい?あぁ、怒ったとも。だがね、最初に感じたのは悲しみだった。絶望だった。現実であることを疑った。とても、悲しかったんだよ。


*********


「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


蒼白。美由紀と大島には重苦しい沈黙が降りていた。


「ば、ばれてた」

「そう、みたい」


目を見開いた大島が、問う必要もないほど明らかな事実を美由紀に確認する。当然あほのように肯定され、大島もあほのように口をパクパクする。


「お、おお」

「な、なに?」

「おおおお、お前が!お前が!もっと、もっとうまくやれといっただろうが!石鹸?何してくれたんだ、おまえ!」

「石鹸なんて!洗剤よ!耄碌してるから大丈夫って言ったのあんたでしょ!?」

「ぐぅぅ、そ、れにしても、もっとやりよう・・・・・・はぁ」


激昂していつの間に立ち上がっていた自分に気づき、力無くソファに座り込む。そんな大島の不甲斐なさに不安と失望を感じ、美由紀は一気に“冷める”。


「とりあえず、続きを読んでよ。どうせあの人はもう死んでるんだし。ここでジタバタしても仕方ないわ。どうすればいいか、どうしなければならないかのヒントが書かれてるはずよ」

「あ、あぁ、そうだな・・・・・・」


どうしてこんな男と。美由紀の頭脳は、夫の思惑を知ることと同時に、その後この男をどう“切る”かに素早く回転し始めた。――にやり――と微笑んで、冷めた紅茶を口に含む。片や今はもう死人。片や弁護士だが、この憔悴ぶり。自分は夫に先立たれた可哀想な妻。その立ち位置をしっかり守れば何とかなるはずだ。


*********


 私が君達に復讐しようと決意したことは想像に難くなかろう。君たちを盗聴した興信所、というよりゴロツキがそのまま探偵に納まったような男に君たちへの徹底した盗撮盗聴を依頼した。これはドレス代にしては足が出たが、そんなことは気にならなかったよ。いろんなことがわかった。君たちが遺産を餌に私の親類を買収し、私への讒言をやめさせたこと。君たちがひそかに私の財産を美由紀名義に変えていること。私の出張につけてしばしば私のベッドで“仲良く”していたこと。石鹸の件以来なにかと理由をつけて家で食事を食べなくなった私をヒ素でもって殺そうとしていること。

 ヒ素という薬物はいつかカレー混入事件で聞いたきりだが、調べて驚いた。とても強力な薬物でほんの少量でも致死量だという。どこでそんな薬物を、と思ったが、その探偵は根回しよくそこまで調べておいてくれたんだ。かなりの額をふんだくられたがね。あのような闇ルートに美由紀や弁護士の大島君がどうやって関わることになったのか。とても興味深いことだ。おそらくは美由紀の過去に関わることなのだろうが、聞けないことがとても残念だ。

 さて、大島君。美由紀は今生きているかな?


*********


この男は何を言っているのだろう。そう思いつつ、読むのを止め、大島は顔を上げた。

 美由紀はソファで横になっていた。この重大事に眠ってしまったのか、と怒りがこみ上げる前に、その顔に目が行く。美由紀は横になっているのではなかった。倒れていた。口から泡を吹き、明らかに死んでいた。

 大島はソファから飛び上がり、居間の入り口まで一気に後退した。いっそこの家から出て行きたかったが、この状況では絶対自分が疑われる。だが、どうして?なぜ美由紀は死んだのだ。震える手で遺言の続きを読む。もはや音読はしない。


*********


 美由紀がまだ生きていたなら、私の計画は失敗だ。私の負けだよ、美由紀。遺産は君のものだ。親類に法に従っての分配はあるだろうが、ほとんどが君の手の内に納まるだろう。おめでとう。君への復讐はまたの機会としよう。

 死んでいたのなら、満足だ。ありがとう。君ならきっと、私のこの遺言を読みながら、大好物のダージリンティに舌鼓を打ってくれると信じていた。本来旦那の遺言を聞くには華やかに過ぎる紅茶を、角砂糖を二つ入れて飲んだのだろう。君に私への敬意が欠片でもあったなら、ミネラルウォーターかブッラクコーヒーになったのだろうがね。

 ヒ素の入手ルートを知った私は金にあかせて大量に仕入れたのだよ。そして、我が家で君だけが、紅茶のためだけに使う角砂糖の一個一個一面一面にこすり付けておいたのさ。あんなもの舐めただけで死んでしまう。紅茶に二個も入れたなら、一口であの世行きだろうね。閻魔さまに正しい採決を下されるといい。

 もちろん、私が死ぬ前に死なれたのでは私が殺人者だ。私は君のために汚名を着ることは嫌だったのだ。そこで私は君たちの計画を利用することにしたのだ。

 9月6日。そう、私の死んだ日。そうだろう?そこまで調べがついていたのだ。探偵にそこまでやらせた、という方が正しいがね。案外誰かを騙している連中というのは騙し返されてるとは思わないものらしい。結構無理のある調査だったのだが、私が9月6日に死んだのなら、君たちは随分間抜けだったね。

 私は9月6日の朝、毎朝常飲している瓶牛乳を飲んで死亡した。勿論、蓋から注射針で混入された致死量の砒素によってだ。君たちは買収した医者に死亡報告書を書かせ、役所に届けた。普通なら不審死だから解剖されてすぐにわかってしまうものね?でもそんな大金を要す買収工作、夫である私が調べればすぐにわかる。

 ここが一番の勝負だった。君たちに良心が欠片でも残っていたなら、と残念でならない。

 さて、もう右手が痛い。要点だけを書こう。大島君。9月6日に間に合うように、しかしぎりぎりになるように、妻と私の死亡保険の受取人を君にしておいた。夫が急死し、財産分与目前にその奥方も死ぬ。その死亡保険が夫婦同士や親類を通り越してお抱えの弁護士に入る。なんともいえない状況だろう?

 勿論、・・・・・・


*********(大島、読むのを止める)


「ば、ばかな!そんなもの、これを、この手紙を見せれば」


その時、大島は背後から押さえつけられ、口に布をかがされた。明らかに有毒で、それ以上に致命的な薬品が鼻腔から容赦なく吸い込まれる。大島は程なく意識を失った。


「これで、おしまいですな」

「ああ」


感情を感じない声の男と疲れきった男性の声が、頭数だけなら4人もいるはずの部屋に寂しく響く。声だけでなく、全身隈なく疲れているのか、男性はゆわゆらゆっくりと、大島の手紙を取り上げる。そしてそれを朗々と音読し始めた。


*********


 勿論、ここまで調べた私がまんまと君たちに殺されてあげるはずはない。君たちの末路をこの目で見極めないことには、死んでも死に切れないのだ。

 私は例の金さえ出せばなんでもやってのける汚らわしい探偵の助けを受ける算段を立てている。火葬の前の脱出するのだ。そして、君たちから全てを奪う。

 美由紀。君の持ち物は全て私が買い与えたものだ。今更返せなどと女々しいことは言わん。だから、唯一といってもいい、君自身の持ち物、即ち君の命を奪う。

 大島君。君が一番大事にしているのは苦労して得た社会的ステータスだ。弁護士としての地位だ。信用だ。依頼人の財産を狙い殺人まで犯した狂人として余生を過ごすがいい。

 私かい?私は、君たちの最後を見届けた後、君たちにも明かしていない、脱税で作った金で悠々自適に暮らしていくつもりさ。


どうか、この手紙が私の目論見どおりに開陳されないことを望む。私には最後まで君たちを信じる気持ちが残っている。9月6日は明日だ。どうか心変わりされることを祈って。


早々


*********(とある雑誌記事)


 ****年9月10日、同年9月6日に急死した見沼大輔宅で、その妻・見沼美由紀が死亡しているのが発見された。事件は通報(通報者不明)によって発覚し、駆けつけた警察官は丁度家から飛び出してきた男性・大島大輔と遭遇する。

 大島氏は見沼夫妻と公私で交わりの会った弁護士であり、その後の調べで死亡保険が大島氏に入ること、その他の財産関係においても不審な点があること、夫人との間に浮気関係があったことなどが判明し、当局は大島氏を重要参考人として連日事情聴取をした。

 夫人はヒ素によって殺害されており、捜査の結果、夫人がヒ素の販売ルートと接触があったことがわかった。当局は大島氏を夫人殺害について、見沼氏殺害をも視野に入れて取調べ、とうとう夫人殺害について起訴した。大島氏は当初から犯行を否認していたが、既に死亡している見沼氏の陰謀であるなどと明らかな虚言を弄したため、捜査当局に付け入る隙を与えたようである。

 2年の裁判の後、大島は無罪判決を受けたが、ヒ素とのつながりを責められ社会奉仕活動を命ぜられた。社会に戻った大島を待っていたのは社会の逆風であった。弁護士の職は当然辞めざるを得ず、新たな職を得ても数ヶ月で理由も無く解雇される。著者が氏に出会ったのはこの頃であったが既に気を病んでいたようで、虚ろな目で見沼氏が見張っているなどと呟いている有様であった。そんな大島氏はこの春に自宅で首をつり自殺した。

 見方を変えれば、彼は夫妻の信用を勝ち取り死亡保険すら託されるすばらしい弁護士だったのではないだろうか。そんな有能な人間が警察のずさんな決めつけ捜査の犠牲となった、私にはそう思えてならないのだ。

 ・・・・・・(以下、冤罪について語り続ける、云々)・・・・・・


*********


「見当違いも甚だしいね・・・・・・」


探偵は根も葉もない憶測を偉そうに並べる三流雑誌をごみ籠に投げ捨てる。タバコを一本終わらせての去り際、ポケットから宣伝カードが落ちる。


*********


裏まで探偵やってます  主人の命令にはメイドのように服従します

090-****-**** 〒***-**** 東京都**区**** 冥土(めいど) (あばく)


裏探偵・冥土暴、誕生の瞬間です(笑)


まぁ、当然シリーズ化!・・・・・・は多分しないかな。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ただの良い話かと思いきや、二重三重に読者の期待を(良い意味で)裏切る展開ですね。先の展開が全然読めなくて、どんどん読み進めてしまいました。 [一言] こんにちは、先程感想頂いた黄葉です。調…
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