32.私の居場所 3
「ほんじゃま、親父二人に電話入れて叱られてくっか」
ひとしきり話し終わると、鮎川はそう言って立ち上がった。
「親父二人?」
私はその言葉に首を傾げた。一人は私のパパだと分かるけど、もう一人が分からない。鮎川のお父様は鮎川が小学校6年の時に亡くなっているのだ。と言うことは、まさか……
「俺の新しい親父様、タケちゃんだよ」
そして鮎川から予想通りの答えが返ってくる。
「ダメだよ」
私は、鮎川から返ってきた答えに即座にダメ出しをした。
私たちが結婚するにあたって、武叔父様は自分の養子になるように鮎川にごり押ししていた。だけど、姉と妹がいるとはいえ、鮎川は長男。鮎川はまったく意に介さない様子で気楽に、
「俺櫟原になっても良いぜ」
と言うが、私がそれを阻止してきた。そう、私が結婚を遅らせているのは単に仕事の問題だけじゃない。このこともあったからだ。
だって、櫟原にはちゃんと絵梨紗だって英雄だっている。わざわざ鮎川が縁組みまでして跡を継ぐ必要なんてない。
「良いって。さっきねーちゃんに電話入れて櫟原になっても良いかって聞いた。
『まかせといて、私が間違いなく鮎川の家を消滅させてあげるから』だとよ」
「だから、やっぱりそれ、ダメじゃん」
私はそれを聞いて頭を抱える。いかにも鮎川の姉、紀子さんらしい発言ではあるんだけどね。
「元々俺んちは、こだわりなんてねぇし。鮎川だろーがが櫟原だろーが俺が俺であれば、それで良いんじゃねって。たぶんお袋も反対しないだろうしってさ。
それに、タケちゃんはタケちゃんなりに考えてんだよ。次期社長は姪っ子の婿より、義理でも息子の方が風当たりが少ないってさ」
「そんなこと言ったら、櫟原にはちゃんと跡を継ぐ人間いるじゃない」
あとでお家騒動だなんて、私イヤよ。
「確かにな、けどよ、絵梨紗が継ぐにしたって、あと何年ある? 英雄なんか待ってたら、20年以上かかっちまうだろ」
「それって、武叔父様が小説書きたいっていうわがままからじゃない」
「確かに会社的にはわがままだろうけどよ、お前も市原健の小説読んでみろよ。マジですごいぞ。少なくとも俺は、タケちゃんに自由な環境でどんどん書いてほしいと思った。
タケちゃんだって、ホントはこんなむさい男より、もっときれいなねーちゃんを養子にしたいだろうけどよ、俺としては、また親父って呼べる男ができるのがちょっと嬉しかったりもするんだぜ。
それも、天下の青木賞作家だぜ、正式に成立したら、昔のツレとかにバンバン葉書だして、思いっきり自慢してやんだ」
と鮎川は晴れやかに笑う。そうか、鮎川は会社のためだけでなく、純粋に櫟原武個人に惚れ込んでこの縁組みを受けるわけか。なら……私が言うことはもう何もないよね。
「鮎川、ありがと……」
「ん。けど、実際俺も恩恵を受けるわけだし、別に礼を言われる筋合いはないぜ。
それにさ、いま言ったばかりだろ。俺はもうすぐ鮎川じゃなくなる。あ、櫟原もNGだぞ。お前も櫟原になるんだからな」
「そうね、呼び方を考えなきゃね」
「では、ご主人様と呼び賜え」
だけど、鮎川は続けて
「そいで裸エプロンでお出迎えしてくれれば最高だよな」
と言った。点滴につながれていたからだとは言え、速攻殴らなかった私を誰か褒めてほしい。
そうだ、谷山薫じゃなくっても、鮎川薫でも、ううん、櫟原薫でも私は私だ。それ以上でもそれ以下でもない。
トール、宮本君、そして……幸太郎。私、やっと本当の私の居場所を見つけられたような気がする。




