30.私の居場所
「何で、何で別れなきゃなんないのよ!!」
「だってお前怒ってんだろ」
「そりゃ、多少は……でも、でも……」
だからって別れるなんて言ってないじゃない。
「泣くなよ、薫。言い過ぎた、謝る」
ボロ泣きする私の髪を撫でながら、鮎川はそう言っておろおろと謝った。
そうね、トール。私今まで、この鮎川の優しさに甘えきっていたのかもしれない。
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「薫様は鮎川様の優しさに少々甘えすぎておいでです」
彰幸くんの個展の会場で、トールは鮎川と宮本君が作品に見入っているのを確認して、私だけを少し離れてたところに引き離すと眉に皺を寄せてそう言った。
「確かに薫様は仕事にやりがいを感じておられるのかもしれませんが、それはそもそもご婚儀を延々と先延ばしにしてまでせねばならないことでしょうか」
「別にあなたには関係ないでしょ、トール」
さらに続く小姑みたいな言種に私はそう言って鼻を鳴らした。
「いえ、関係はあります。今こちらで薫様が無理をなさってもしものことがあれば、オラトリオの方も無事では済みません。
そんなことになれば、殿下や妃殿下はもちろん、グランディールの国全体が悲しみに沈みます」
トールは実はパラレルワールドの住人。鮎川の話では、あっちの世界には宮本君そっくりのトールだけじゃなく、鮎川や私や絵梨紗、それから武叔父様やお祖父様のそっくりさんまでいるという。
私のそっくりさんは王太子妃らしい。
「見たこともないパラレルワールドのために、私が何をしなくちゃならないって言うのよ! そんなのゴメン、私は私よ!!」
私はそう言って、トールから離れて奥の展示の方に向かおうとした。
だけど、トールはそんな私の腕を掴んで、
「お子を産み育てることも立派な仕事だと存じますが。しかもこれは私ども男性には逆立ちしたってできません。ですのに、ニホンの女性たちは蔑ろにしておられる方が本当に多いのに驚きます」
なんて、一昔も二昔も前の論理でお説教を垂れる。
「そんなこと言ったって、この日本じゃ二人で働かないと生活できないのよ」
私がそう言うと、
「世間様はそうでも、鮎川様はそうではないでしょう。見習いと言えども会社の長、薫様とお子さまを養えないような薄給とは思えませんが」
と言って、反論する。
そうよ、鮎川は正直このマスオさん状態の中、すごくがんばってると思う。私が今すぐ専業主婦になったところで別に何の問題もないと思う。
だけど、それじゃ私の居場所は? 存在価値が何もないような気がする。バリバリ仕事をする鮎川を見ているだけの生活なんて耐えられない。社会から取り残されていくような感じがするもの。
「あなたに何が分かるって言うの、トール」
「私には薫様の心情は解りかねますが、今の事態は看過ごすことができません。臣下として私には殿下のお子さまを守る義務があります故」
睨みながらそう言った私に、トールはそう返すと私の視界が反転した。