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食育令嬢はやるべきことをやっただけ

作者: にふゆ
掲載日:2026/06/23

「アデラ、俺との婚約を解消してくれないか」

「……一応、理由をお伺いしましょう」


閉じた扇子を手のひらに叩きつけながら、私は言う。

正直なところを言えば、その理由はもう察しがついていた。


このはっと目が覚めるような美貌の金髪の青年は私の婚約者であるトーマス様だ。ただし、今のところは、という言葉が頭には付くが。


「すまない。ミレイユを愛してしまったんだ」


そして、その傍らにいるのは妹のミレイユだ。トーマス様にぴったりとくっついて、それはおよそ婚約者でもない男に対する距離ではない。


そう、彼女こそが私が察した婚約解消の理由である。


妹のミレイユはとても可愛い。

ふわふわのミルクティー色の髪に、こぼれ落ちそうなくらい大きな瞳。誰もがつい守ってあげたくなるような外見をしていて、女にしては背が高くてキツめの顔立ちの私とは何もかも対照的だ。

でも、ものすごく性格が悪い。その愛らしい見た目を利用して他人を使うのはまだ序の口で、他人から物を奪ったり気に入らない人間を陥れたりする。

そして、その最たる被害者が姉の私だ。誕生日にもらったブローチも、お気に入りのドレスも、仲の良かった侍女も全部全部妹に奪い取られてきた。


「あたくし、トーマス様と結婚したいの。だから、譲ってくださらない?」


しかし、婚約者までもというのはいかがなものか。

譲られて当然というその態度にも頭が痛くなってくる。

 

「結婚したいって……、あなたも既に婚約をしているでしょう?リシール様はどうするの」


リシール様はミレイユの婚約者で、うちと同じ公爵家のご子息だ。先日、陛下の誕生パーティーで見かけたけれど、相変わらず折れそうなくらい細く暗い雰囲気のお方だった。ミレイユを擁護するわけではないけれど、あの様子じゃあこのわがまま娘の相手は難しいだろう。

正直、彼にとってもミレイユが婚約者じゃない方がいいと思うけど、婚約破棄はした方もされた方も醜聞にしかならない。だから、咎めた。けれど。


「だって、トーマス様の方がずぅっとかっこいいんだもの!あたくし、トーマス様が婚約者の方がいいわ!」

「ミレイユ、婚約者はドレスや宝石じゃないのよ……」


私は呆れてしまって、もう何も言えなくなってしまった。それを了承ととったのか、ミレイユはにわかに勢いづいて喋りだす。


「ねえ、お姉様。リシール様とトーマス様を交換しましょうよ!」

「そんなこと、許されるはずがないでしょう。そもそも、婚約は家同士の決め事でもあるの。私達だけでは決められません」

「え?お父様がそうすればいいって言ったのよ?家の組み合わせは変わらないんだしって」

 

うちは公爵家で、トーマス様のうちは伯爵家。トーマス様は我が家に婿入することになっていた。

私とトーマス様の婚約は、トーマス様の家から頼み込まれて成ったもの。ほとんどの決定権は家長である父にある。

両親はミレイユのことを目に入れても痛くないほどに可愛がっていて、どんなわがままも叶えてあげていた。けれどもこんなこともほいほい聞き入れるとはさすがに思わなかった。

本当なら、両親はミレイユを叱って身勝手な婚約破棄に反対しなければいけない。


それなのにこれとは、私の立場も気持ちも、彼らはどうでもいいらしい。


「……ミレイユ。あなたはトーマス様の妻として、トーマス様をきちんとお支えできるのね?トーマス様が健やかに公爵の務めを果たせるように、手助けができる?」

「できるわ!」

「わかりました。婚約解消いたしましょう。リシール様の了承を得られたら、私がリシール様と婚約したいとも思います」

「ありがとう、お姉様!」

「すまない、アデラ。ありがとう」


もうここに私の居場所はないし、いたくもなかった。そうして、私はリシール様と婚約し直し、そのまま彼の家に嫁入りしたのである。





「お姉様、どういうこと!?トーマス様に何をしたの!」


婚約破棄から一年ほど後のことだ。王妃様の誕生パーティーに参加していると、ミレイユが般若の顔で私たちのところに怒鳴り込んできた。


「どういうことって、それこそどういうことかしら?」

「どうしてトーマス様はこんな風になって、リシール様はそんなにかっこよくなっているの!」

「ミレイユ、やめないか……」


荒ぶるミレイユをトーマス様が気まずそうに止めている。

ミレイユが『こんな風』と言ったトーマス様は、確かに以前とは別人になっていた。

歩く度に揺れるお腹、ぱんぱんに丸くなったフェイスライン。明らかに肥えていた。遠目に見ると小山のようで、あの細マッチョ体形だった時の面影はない。


そして私の傍らに立つリシールもまた別人になっている。

痩せ過ぎていた身体には程よく肉が付き、優しげな顔立ちの美形になっている。幽霊のようだった彼はもうどこにもいない。その美しさは評判で、黒髪と輝く金の瞳から『夜空の君』なんていう二つ名がついたほどだ。


「お姉様が何かしたんでしょ!」

「……そうね」

「やっぱり!早くトーマス様を元通りにして!」

「ミレイユ。あなた、何か勘違いしていないかしら?私はトーマス様には何もしてないわ。したのはリシール様の方」

「じゃ、じゃあどうしてトーマス様はこんなにぶくぶく太ってしまったの!」

「何もしなかったから、かしらね。私は食事の内容を考えていただけだから」


トーマス様と私が婚約を結んだのは、今から十年前のお互いに八歳の頃。その当時の彼はボールみたいに丸々と太っていて、ご家族も同様。油物や甘いお菓子を好まれていて、それをよくよく反映した食生活と体型をしていた。

私の前世は栄養士だった。その知識を生かし、生活習慣病真っしぐらだった彼らの食生活を改善した。

具体的に何をしたかといえば、我が家が婿入り先かつ身分の高いことをフル活用し、ヘルシーでお腹いっぱいになれるレシピをトーマス様の家の料理人に覚えさせて、普段はそのレシピで作った料理を食べるように約束させていたのだ。

それもこれも、未来の旦那様が早死にしないため。しかし、旦那様ではなくなったので、レシピを覚えていた料理人を引き抜きそのまま嫁入り先に連れて行った。


そしてリシールの方はというと、彼は小麦アレルギーだった。

この世界ではまだアレルギーに対する知識がまったくといっていいほど広まっておらず、その上主食はパン。食事の度に原因不明の苦痛に襲われることとなったリシールはすっかり食事をすることが嫌いになってしまっていた。

そこに嫁入りした私が彼の小麦アレルギーに気づいて、アレルギー対応食を連れてきた料理人たちに作ってもらい、そこから彼もだんだんと食事をとれるようになったわけだ。

リシールはもともと領地経営に意欲的だったから、食事を十分に取れるようになってからは馬であちこち駆け回り、おかげで筋肉もついた。今では健康そのもので、年ごろの女の子なんかは彼を見てよく頬を赤らめている。

リシールは私の腰を抱き寄せながら、ミレイユに向かって言った。


「アデラの話していたことは本当だよ。彼女のおかげで苦痛でしかなかった食事を楽しめるようになった」

「じゃあトーマス様のこともなんとかしてよ!」


私の援護射撃をしてくれたリシールの言葉を聞いて、ミレイユはまたきゃんきゃんと噛みついてくる。けれども、私はそれに素っ気なく返した。


「夫の健康管理は妻であるミレイユ、あなたの役目でしょう?そう約束したはずだわ」


トーマス様の妻はミレイユ。そもそも、私はリシールの元へ嫁いだのだから、面倒を見てやる筋合いはもうない。

しかし、ミレイユはそれで聞き分けるような性格じゃない。


「酷い!あたくし達を見捨てるっていうの!?」

「酷いのはどちらの方なのかな?」


ミレイユが掴みかかってこようとしたところをリシールが私の前に進み出て庇ってくれた。その顔はとても険しい。

ミレイユも怯んだようで、一歩後ずさった。


「あ、あたくしはお姉様に話してるの!どいてちょうだい!」

「それは出来ないな。今後は、アデラに用事があればまず僕を通してもらいたい」

「なにそれ……!お姉様に話しかけるなって言ってるの!?」

「おや。ご理解いただけようで幸いだ。……これ以上会話を続けるというなら、こちらにも考えがある。よろしいかな?」

「……っ!覚えてなさいよ!」


テンプレートな負け惜しみを言い吐いて、ミレイユはどすどす荒い足取りでどこかへ行ってしまう。当然のようにトーマス様は置き去りで、彼はふうふう言いながら巨体を揺らして追いかけていった。


「……ああは言ったけれど、きっと君はなんだかんだ手助けしてしまうんだろうね」

「レシピを教える程度よ。それを使うかどうかはあの子たち次第だわ」

「君は優しいなあ」


やれやれと言わんばかりにため息を吐きながら、リシールは私の肩に顔を埋める。言葉だけは褒められてるのに文句にしか聞こえなかった。


その後、私はトーマス様専用レシピを作って送ったけれど、どうやらそれが活用された様子はないらしい。トーマス様はますます大きくなり、ミレイユは男遊びをするようになって、夫婦仲は完全に冷え切った様子なんだとか。あれだけミレイユを可愛がっていた両親も頭を抱えていて、今では顔を合わせる度にケンカになっていると聞いた。


「大変そうね……」

「そうだね。けれど、助けに行こうと思ってはいけないよ?君だって大変な時期なんだから」


その話を教えてくれたリシールが先手を打つように言った。そもそも、この話をしたのも私が勝手に手助けしにいかないように釘を刺すためだったのかもしれない。

でも、私にもそのつもりはない。


「わかっているわ。私だってこの子とあなたの方が大事だから」


私の腕の中には、この前生まれたばかりの赤ん坊がいる。リシールは我が子の寝顔をとろけそうに幸せそうな顔で見つめていて、私はつい笑ってしまった。

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