森の奥で、君だけを待っている
私があなたに贈る執着——。
森の奥、暗い木のトンネルの小道の先に、私はいる。
誰も来ない、誰にも触れない。
陽の光を通さない木々が、冷たい空気と冷えた地面を作る。
座っている私の背中を通る冷えた感触に、小さく息をつく。
あの子のことを思い出す。
泣いていたあの顔。
「ずっと必要としてあげる」——そう言った私の言葉。
あの子が泣くのを止めたのを覚えてる。
言葉が檻になる。
私は閉じこもっている。
外の世界は遠く、森の向こうに広がっているはずなのに、私の世界はここだけ。
足音も、人の声も、物語も、まだ届かない。
でも、ときどき知らない人が街にやってくる。
見知らぬ旅の人が、静かに微笑む。
そのたび、心のどこかがそわそわして、止まっていた時間が少しだけ揺れる。
それでも私は戻る。
あの子のことを忘れられないから。
あの子の泣き声が、私を呼んでいる気がするから。
私はここにいる。
誰も気づかなくても、私はここにいる。
◆◇◆
少し大人になった私に、結婚の話が時折り舞い込む。
私は首を横に振るだけ。
私は待つだけなのに、いつか、ここから連れ出される。
それは私にはどうする事もできない。
それが決まっている事だから。
ずっと同じ場所に留まる事は、この世界で罪になる。
決められた法律は無いけれど、それはルールだ。
目に見えないルールはたくさんある。
あの子の捉えられていたルールはもっと複雑だった。
あの子がルールに捉えられた時。
私の檻は開かれた。
「誰もが俺を邪魔者扱いする——」
誰にも必要とされないあの子はもういない。
だから、私がずっと必要としてあげるのは、お終い。
あなたに出会った森を出て、ずっと街で暮らそうか……。
でも、鍵が開いても出る方法を忘れたの。
森のざわめきよりも確かな嘆きをあの日聞いた。
◆◇◆
まだ私は子供だった。
あの子と会って、悲しみの涙を知った。
ただ同じ年頃の男の子と遊べるのが嬉しくて一緒に森で遊んだ。
木に登るのも、川を渡るのも最初は私の方が上手だった。
毎日遊ぶうちに男の子はだんだん上手になっていく。
ついてこれる様になった男の子と同じ速度で遊ぶ。
いつの間にか男の子が先に行く。
——待って!
転んだ先に地面がなかった。
私は一段下の窪地に落ちていた。
血の出ている膝に驚いて泣く。
男の子が上から私を見つける。
でも、助けてくれる事は出来ない。
伸ばされた手は届かず、涙が降ってきた。
ただ心配そうにそばにいてくれる男の子。
夜の闇が森を包む頃に、明かりの一団がやって来る。
私を探しに来た。
抱き上げられてホッと安心した私は父の腕の中で眠る。
「これは、領主様の所の厄介者か——」
誰かの声が聞こえた。
男の子も一緒に森から戻る。
男の子を探す人はいなかった。
誰にも必要とされない悲しさを私は知った。
「誰もが俺を邪魔者扱いして、死ねばいいと思っている」
大人びた声で男の子が言う。
遠くに行きそうで、私は男の子の腕を掴んだ。
見つめた先に、男の子の綺麗な瞳があった。
私をただ見つめて泣いていた瞳に、何も映さず雫が溢れる。
その涙は私のもの。
「私が、ずっと必要としてあげる」
そう言うと、男の子はうつむいた。
「どうせ、すぐに忘れる」
「絶対に、忘れないよ」
信じて欲しかったけど、どうしていいか分からなかった。
近づいた男の子の耳元に、星の様な形のアザがあるのが見えた。
近づかなければ分からない。
「素敵な模様……」
そう言って、私は思わず口付けした。
「こんな模様を持ってるなら、あなたは特別な子だよ」
男の子は真っ赤になっていた。
「——絶対に俺を忘れるなよ!」
木のトンネルが影を作る冷えた場所に熱が残った。
それが最後の日だったのだろうか?
覚えてはいないけど、いつの間にか会えなくなった。
名前も忘れてしまった男の子。
ただ約束だけは残った。
◆◇◆
森の奥でずっと待ってる。
少し大人になった私。
日課になっていた儀式は、いつの間にか日を減らしていく。
それでも週に一度は必ず訪れる。
夏は木陰が涼しく、冬は雪の積もる音が心地良い。
私の檻はもう開いている。
無数の手が出て来いと呼んでいる。
幾つもの縁談が母の口から語られる。
私は首を横に振る。
私の人生に新しい儀式が加わりかけた——。
領主様の息子との縁談がくる。
断ることは難しい。
ただ、彼とは会った事がある。
遊んだ事もある幼なじみだ。
私が男の子との約束に固執している事を知っている。
「一時期は彼と一緒に暮らしていたけど、人を寄せ付けない子供だった」
男の子の事を話してくれる。
「森に行った日、君と遊んだ日は機嫌が良かったよ」
知らない話を聞かせてくれた。
「だから、君を好きになったんだ——」
そう真剣な瞳を向けられる。
私は何も答えられない。
男の子の思い出を映すだけ——。
領主様の息子の縁談が無くなってからは、他の縁談も途切れるようになる。
針で縫う手だけが私を森から遠ざけた。
◆◇◆
森の中であなたを待っている。
変えたのは見知らぬ旅の人——。
静かに微笑む。
この場所が他人に知られた事が怖かった。
私は走って逃げ出した。
もう戻れない——。
街の中で、あの見知らぬ旅人に出会う。
「怖がらせて悪かった」
私は首を横に振るだけ。
旅人とは何度か顔を合わせた。
私をただ見つめる瞳。
いつの間にか怖くはなくなっていた。
「俺と一緒に来てくれないか?」
でも——。
結婚する気にはなれない。
断ると旅人は去っていく。
◆◇◆
新しい皇帝が即位したと聞いた。
私と歳が変わらない。
「あの厄介者が皇帝か……」
誰かが言った。
領主様の家に一時期いた厄介者。
あの男の子が皇帝になった。
前皇帝の隠し子だった彼は、兄弟が死んで、皇帝になる。
必要とされない男の子はもう居ない。
あの子がルールに捉えられた時。
私の檻は開かれていた——。
皇帝陛下とお妃様の結婚式が盛大に執り行われたと、少し遅れてこの街に伝わってきた。
◆◇◆
旅人が来る。
何度目かの季節の変わり目の来訪を、心待ちにしていた自分がいた。
でも、結婚は出来ないと断った。
約束はなくても、あの場所は未だ残っている。
ただ、待っていたいの。
少し遅れて旅人が訪れた。
——いつもの様に、待っていた私。
旅人が森に現れても今は怖くない。
儀式の様に彼は繰り返す。
結婚の申し込みを私は断る。
いつもの儀式——。
ただ、今回は近づき過ぎてしまった。
彼の唇が私の唇に重なる。
驚いて、でも——。
旅人の耳元にアザが見えた。
近づかなければ分からない、星の形の小さなアザ——。
あなただったの。
「やっと会えた」
約束通り、私は彼を必要としている。
季節の変わり目の公務の日に1日だけ会いに来てくれていた。
「君を約束から解放したくて——」
かつての男の子は言う。
「あなたを必要としてくれる人がもうたくさんいるのね」
約束の終わり——。
ただ、私はあなたをずっと待っていたかった。
泣きながらずっと私を見てくれるあなたを、
ずっと私のモノにしたかった……。
最後に手をあなたに伸ばしてしまう。
「でも、本当に俺が必要な人は君以外いない——」
あなたはもう別の檻にいる。
私は入れない檻。
「約束よりも、もっと強く君を縛りたい」
捕まえられたウデは、今なら振り解ける。
でも、開いた檻はもう要らない。
◆◇◆
兄弟たちが死に俺が皇帝になる。
厄介者と言われて過ごした日々。
誰かに必要とされたいと思っていた。
皇帝を、求める声が聞こえる。
その椅子に座り、家臣の声を聞く。
美しい妃が囁く。
誰かじゃなかった——。
俺に必要なのは、待つだけの君。
冷たい森の、陽の当たらない場所。
約束の場所はまだ守られている。
俺を見上げるしか出来ない君。
……戻らない事も出来たんだ。
◆◇◆
彼は、私を本当の檻に閉じ込める。
古い城の一室に、たまに彼がやって来る。
皇帝の愛人と人は私を呼ぶ。
ここは私がずっといた場所で、私は何も変わっていない。
外に、彼を縛る檻があるだけ。
皇帝に後継が産まれたと、幸せな知らせが続く——。
彼の檻の中の、私の檻。
彼は、逃げられない。
あの日、私を見つめていた男の子。
男の子を見つめる私。
ただ、時だけが私たちを変えていく。
待つ私の歪な笑顔が、彼を惹きつける。
――待つだけのつまらない女、俺を裏切らない。




