第20話 ルビー色の記憶と、青い奇跡
緑が青々と色づき、もうすぐ夏の訪れを感じさせる今日この頃。
ライラック宮殿には珍しい客がユリシスとダイアナを訪ねに来ていた。
「やあ、ダイアナ元気にしてたかい?ユリシスも大きくなったね」
客室でにこにこと人が良さそうに笑っているのはダイアナの兄でユリシスにとっては叔父のハービー・アッシュフォード伯爵だった。
アッシュフォードの土地は肥沃で作物がよく育ちやすい。
シャルパティエ王国でも有数の穀倉地帯を有し、食料自給率は脅威の200%を超える。
海があり漁業も盛んだ。
そのため他国へ輸出したり、他領へ売ったりしている。
第2夫人のエレオノーラは田舎貴族と嘲ったが、彼らに食料の流通を止められて困るのはアッシュフォードではない。
「そういえば、第1王子様の婚約式が無事終了したようだね。おめでとう」
エドガーとグレイスはこの度無事に婚約式を終えた。
そして結婚式は来年の春を予定している。
「フィラネンス伯爵家のご令嬢も修道院へ移送されたね。移送先の修道院は戒律が厳しいと聞くし簡単には里帰りも出来ないようなところだね。かわいそうに」
ハービーは紅茶をひとくち飲むと、ハッとしたようにユリシスとダイアナを見た。
「ごっごめん、僕ばっかり話してたね。いやあ、ユリシスも歳の割に落ち着いて……僕たちとは大違いだよ、これが王族ってやつか、ははは……うわあ!」
動揺と同時に足をローテーブルにぶつけガシャンと食器が鳴る。
幸い食器も割れなかったし倒れなかったので被害はなかった。
ユリシスとダイアナは半目になってことの成り行きを見守っていた。
「お兄様が相変わらずのご様子で安心しましたわ……」
「うん?」
ハービーはわかっていない様子で、大きな目をぱちくりさせている。
「それで、叔父様はどうしてこちらへ?」
話を切り出すとハービーは思い出したかのように頷き、カバンから香水瓶を取り出した。
「じゃじゃーん。こちら、今年の薔薇の香水になります」
ダイアナはそれを受け取り香りを確認する。
「とってもいい香り。今年は薔薇が沢山採れたのね」
薔薇の香水や精油の出来を左右するのは如何に多くの薔薇を栽培できるかにかかっている。
量が多ければ香り高い香水や精油を作れるし、量が少なければ使える薔薇の総数が減るのでその分香りも薄くなる。
不作の年は香りの悪い薔薇の香水が高値で取引されるような、そんなチグハグな現象がおこったりもする。
「沢山採れてるならいいじゃない。なんの問題があるの?」
ハービーは困ったように頭をかいた。
「それが、採れすぎちゃって困ってるんだよ」
ユリシスはハービーの意図を瞬時に理解した。
「つまり、品質の良いものは作れているけど、数が多くなって市場価値が下がることを懸念されてるんですね?」
ユリシスがそう言うと、ハービーは顔を明るくしてにこにこと微笑み頷いた。
「値段を下げて在庫を市井に売ってもいいのだけどね。毎回同じようなことをしていてもなんの成長にもならないし……。だからこれを機会に何か別のものを作るなりなんなりできないかなと思って」
ユリシスは目を瞑り、かつての記憶を呼び起こす。
前世で、一世を風靡した薔薇を使用した食べ物があった。
今の時間軸からすると数年後に外国から献上品として持ち込まれ、王妃が好んで何度も取り寄せたことから貴族の間でも瞬く間に広がった。
見た目にも美しく、食べる宝石と持て囃された。
紅茶に入れても薔薇の香りが鼻腔を擽り、紅茶で踊る薔薇の花びらが可愛らしい。
そしてパンやスコーンに塗って食べても、ほんのり広がる上品な香りと甘さが贅沢な体験を助長させる。
大量の薔薇と砂糖を使うことから貴族の中でも贅沢な食べ物とされ、贈り物や自分の富を表す道具としても使われた。
それの名は。
「薔薇でジャムを作ったらどうです?」
「薔薇で、ジャム?」
ハービーとダイアナの声が重なる。
「外国では昔から高級品として王族や貴族の間で食べられているそうですよ。アッシュフォードでは砂糖は採れませんが充分に手に入れられる財力と伝手があるでしょう?それに薔薇ジャムを売れば砂糖の仕入れ値など簡単に回収できます」
ハービーは考え込む。
そして何かが繋がったのか急に立ち上がった。
「薔薇を食べるなんて発想、今までになかったことだね!ありがとう!早速領地に帰って作らせてみるよ」
せこせこと退出しようとするハービーにダイアナが慌てる。
「ちょっとお兄様!まだ社交シーズンは終わってませんよ」
「しょうがないじゃないか!薔薇の時期はこれからが最盛期で年に1度しかないんだよ?!どっちが大事かなんて、言うまでもないじゃないか!……って、うわあっ!」
半分後ろを振り返りながらせっかちに前に進んでいたハービーは派手に転んだ。
わらわらと近くに控えていた使用人たちがハービーを起こしに行く。
ユリシスとダイアナは頭に手を当て深いため息を着いた。
1ヶ月もしないうちにハービーはまたライラック宮殿をたずねてきた。
「いやあ〜この前はありがとうねユリシス。お陰でいいものができたよ」
そう言って瓶をひとつ差し出した。
鮮やかなルビー色をした薔薇ジャムだった。
「綺麗な色ですね……」
「だよね〜、僕の自信作だよ。それに、その色を出すのにすんごく苦労したんだよ。煮詰めたら香りはいいけどすぐに茶色くなっちゃってね、正直不味そうだった」
たはは、と正直に笑うハービー。
「それで、ユリシスが外国では王侯貴族が好む食べ物だって言ってたのを思い出してね。そんなものがこんな不味そうな見た目なわけないんじゃないかって思い直して、煮込んでる時に色々混ぜてみた」
「………何を入れたんです?」
ハービーは不敵に笑うと、じゃじゃーんとあるものを取り出した。
「なんですかこれは」
ハービーは使用人に小さな食前酒用のグラスにその液体を並々と注がせユリシスに渡した。
ユリシスはそれを口に含む。
「……これは、リンゴ酢?」
「そう!これを試しに入れてみたら見事な赤色に変わってね、感動したよ。これだったら薔薇の香りを邪魔しないし、酸味もまろやかで美味しいんだ」
そして今度は薔薇ジャムを試食するために紅茶とスコーンを使用人に用意させた。
ユリシスは薔薇ジャムを一掬いすると、紅茶にいれかき混ぜた。
薔薇の良い香りが全面に広がり、不思議と心地よい気分になってくる。
「味も美味しいですね。これなら王族や貴族に出しても誰も文句は言いませんね、いや、取り合いになるかも」
ハービーは穏やかににこにこと微笑む。
「本当にありがとう。ユリシスのおかげで新しいビジネスができそうだ。これは試食用に持ってきたやつだけど、ちゃんと売り出す様にラベルを付けたものもいくつか用意したからそれもあげるね。必要になったら言ってくれれば優先的に在庫を用意するからね」
「こちらこそ、ありがとうございます叔父様。お母様も今日ここにいれれば良かったんですけどね。丁度風邪をひいてまして」
「こればっかりはしょうがないよ、お大事にと伝えておいてくれるかな。……あっ!そういえばこれがあったんだった……!」
ハービーは慌ててまた鞄をゴソゴソと漁り始めたかと思うと、茶葉を取り出した。
「それは?」
「ああ、これはユリシスはまだ見たこと無かったか。誰か、これをいれてきてくれるかな」
暫くすると使用人がティーセットを持ってきた。
そしてカップにお茶を注ぐと、目にも鮮やかな水色をしたお茶が出てきた。
「…………なんですかこの飲み物」
こんな飲み物、前世でも見たことがない。
ユリシスが驚きを隠せないでいると、ハービーはなんてこともないように笑う。
「これ初めて見るとびっくりするよね。なんてことない、ただのハーブティーさ。丁度今の時期に青い色をした花びらを集めて干してお茶にするんだ。……飲んでみて」
ユリシスは進められるがままに口に運ぶ。
「喉がすーっとする……」
「でしょう?僕の領地ではね、風邪の時にこれをよく飲むんだ。喉がイガイガしてる時に最高の薬になる」
ハービーはウインクをした。
「でも、実はこれも夏の限られた時期の限られた地域でしか採れないから、実質飲める人は限られてるんだけどね」
ハービーは申し訳なさそうに鼻をかいた。
ユリシスは絶句した。
この青いお茶は透明感もありながら、空よりもずっと濃い色の青で南国の海を思わせる。
そして数が採れない希少性。
これも、薔薇ジャム同様に貴族の間で特権意識を刺激するものになるだろう。
「叔父様、良ければ母に渡す分だけでなくいくつか買わせていただけませんか?」
「え?どうしたの急に。別にいいけど」
ハービーはあまりよくわかってないようだった。
母も特に言及したこともなかったから子供の頃からありふれたもので、特に気にも止めていなかったのだろう。
そしてハービーがまた鞄を漁ろうとした時、彼の肘がリンゴ酢の瓶に当たり倒れた。
「いたっ!……ってうわあぁ!!またやっちゃった……!」
勢いよくリンゴ酢が流れ出し当たりにツンと鼻をつく酢酸の香りが充満する。
「全く叔父様……大丈夫でしたか?気をつけてくださいよ?」
「ははは……、ごめんごめん」
全く……、と手元を見ると、先程まで青いお茶だったのに紫色に変色していた。
「……これは…………」
ユリシスとハービーは顔を見合わせる。
「…………これは、とんでもない発見になったかもしれないね」
********
それは、遠い遠い、過去の記憶。
「久しぶり。クリスティナだろう?」
コーネリア宮の端で自室に戻ろとしていたクリスティナは恐る恐る後ろを振り向く。
そこにはこの国の第3王子、ユリシスがいた。
彼は偶にふらっと立ち寄っては取り留めのない会話だけして去っていく。
正直、クリスティナにも何がしたいのかよく分からなかった。
敵国の姫と蔑まれ、忘れ去られた自分を気にかける人間など、この国にはいないのだから。
警戒するクリスティナにユリシスは気にしたそぶりも見せずにこにこと近寄る。
「これあげるよ」
ユリシスはポケットから瓶を取り出すと、それをクリスティナに差し出した。
それは綺麗なルビー色をしていた。
よく見ると花びらのようなものも入っている。
「……これなに?」
「薔薇ジャムだよ。最近流行ってるだろ?」
「……知らない」
クリスティナは俯く。
学校では無視されたり虐められたり、いないも同然だったため流行りにはとんと疎かった。
クラスメイトがそのような話で盛り上がっていた気もするが、クリスティナには関係のない話だった。
「そう?」
ユリシスはうーんと考える。
「じゃあ食べてみて。紅茶に入れても香りがいいし、スコーンにつけて食べても美味しいよ」
ユリシスはクリスティナに薔薇ジャムを渡すと、「じゃ」と手を振って去っていく。
「あっ……」
クリスティナはユリシスと薔薇ジャムの瓶を見比べて途方にくれた。
ただ、久しぶりに人の温もりに触れた気がして、心が少しだけ暖かかった。
薔薇ジャムという存在を初めて知った学生時代。
すごく衝撃を受けたことを覚えています。
こんなに美しい食べ物がこの世に存在するのかと笑
世の中のことって、知った気になっていてもまだまだ知らないことだらけですね☺️




