第19話 老獪な共犯者、戴冠式の雫
ユリシスが誰もいない王宮の長い廊下を歩いていると、そこにいたある人物を目に止めた。
ある人物は廊下に飾られた絵画を見つめていたが、ユリシスが来るのをわかっていたかのようにユリシスの方を振り返った。
「おや、奇遇ですな殿下。こんな所でお会いするとは」
「白々しい嘘はやめてください。ここで私を待っていたんでしょう?」
フィラネンス伯爵は参ったと言わんばかりに両手を上げた。
「殿下は何もかもお見通しのようで」
「なぜもう少しごねなかった?伯爵なら罰則を軽くすることもできたでしょうに」
ユリシスが眉を顰めると伯爵は薄ら笑った。
「この会話も、何処かに筒抜けておるのですかな」
「いいえ。通信機は使用していません」
「そうですか、あの魔道具は通信機と言うのですか」
ふむ、と伯爵は白髪の混じった髭を撫でた。
「質問に答えてもらおうか」
「おやおや、これは困った。殿下は意外とせっかちであらせられる」
フィラネンス伯爵は少し慌てたようにわざとらしく自分の頭を撫でた。
「私はね、別にあの権限は要らなかったのですよ。過ぎたものだと思っております。いずれは捨てねばならぬものだった、それが今だったと言うだけです」
伯爵の青白く光った目がユリシスを射抜く。
「あれは先祖の功績ですが、悪用すれば我が家を破滅へ導く諸刃の剣になりかねない。ユリアのような何も理解していない未熟者が簡単に手を出してしまえば、すぐにフィラネンス家はおしまいです。殿下とて、我が伯爵家にあれを捨てさせたかったのでしょう?身の程知らずが権力を振りかざすと面倒ですから」
ユリシスはため息を着いた。
フィラネンス伯爵は前世で何度も顔を合わせてきた仲だ。
その度に王になれと口煩く言ってきたのもこの御仁だった。
最終的にユリシスは王の座を拒み続け、ユリアは第2王子妃となり政争に明け暮れることとなったが、フィラネンス伯爵は娘を諌めるでもなくただ傍観していた。
そしてさっさと領地へ戻り、領地が戦禍から逃れるよう尽力することになる。
アーサー王はこの人物を嫌っているが、先見の明と老練した政治手腕で彼の治世を裏で回してきたのは紛れもなくフィラネンス伯爵だった。
彼がいなくなれば政治を回すのが間違いなく難しくなるだろう。
「ユリア嬢が目に余ったのでね」
「利害の一致ですな」
くくく、と伯爵は喉の奥で笑う。
「そういえば、父の元へユリア嬢を第1王子妃へ推挙しに行ったそうですね。父は伯爵がまたなにか企んでいるのではと頭を抱えていましたよ」
「ユリアに王妃など相応しくないが、ああやってピエロになれば、王は私を悪者にしたくなるでしょう?」
ーーー断罪へと、躊躇いなく向かわせたくなる。
「やはり、老獪ですね。あなたは」
「最上級の褒め言葉ですね。私はこう見えてこの国の行く末を憂いているし、我が伯爵家の未来も一番に考えているのですよ」
フィラネンス伯爵は目の前の絵画を仰ぎ見た。
初代の王と王妃が革命を起こし、屍の山を超えて手と手を取り合い国旗を持ち進む姿が描かれている。
「私はあなたが王になってくれればとずっと思っているのですがね」
「ご冗談を」
「まあ良いですよ、あなたが兄君の玉座を守るというのなら応援しましょう」
伯爵とユリシスの視線が交差する。
「それにしても殿下、その遠くの人の声を届ける魔法具……。これは殿下が発明されたので?」
「それがなにか?」
「それはそれは、これからの軍事力の要となりそうですな。いや、それだけでは足りない。常識が変わるでしょう」
伯爵が面白いおもちゃを見つけたかのようにユリシスに笑いかけ、それだけ言うとサッと一礼した。
「お時間を取らせましたな」
「いいえ、よい夢を」
伯爵が去っていくのを見届けてユリシスは近くのソファに腰掛けた。
背もたれに体を預け、深く深く沈み込ませる。
ふーっと息を吐く。
ひとつ、クリスティナにとって悪となる存在を消すことができた。
そして次はなんだと思いを巡らしていると、通信機が反応した。
「なんです?」
『おまえ、まだ王宮にいるか?』
「居ますけど……」
『だったら今すぐ俺の私室にこい。打ち上げ会をするぞ』
「今からするんですか?早く帰らないとクリスティナが……」
『お前に拒否権は無い。じゃ、そういうことだから』
「あっ、ちょっと兄上……」
ブツッと一方的に通信を切られ舌打ちしそうになるが頭を掻きつつ立ち上がる。
「今日ぐらいはいいか」
ユリシスはエドガーの自室へ向かう事にした。
心なしか歩調は軽かった。
エドガーの私室にはエドガーが待っていて、既にワインを開けくつろいでいた。
「やっと来たな。そこに座れよ」
エドガーがグラスを差し出してくるので受け取ると、赤ワインを並々と注がれた。
ユリシスはワインを光に当てる。
中心部は光を一切通さないほどに濃密な深紅だった。
グラスを回すとゆっくりとグラスの壁を伝い落ち、エッジで微光を放つマホガニーの色気が長い年月の洗練を物語っていた。
そして 、熟しきった果実が重厚なスパイスとともに煮込まれたかのような凝縮感と、最高級の葉巻箱を開けたときのような、乾いた木質とタバコの葉の官能的な香り。
「このワイン……戴冠式の雫?」
「なんだ、ワインの銘柄までわかるのか?」
戴冠式の雫という名を冠するこのワインは、基本的に一般市場には出回らず外交の道具として、あるいは特権階級の間でのみ賄賂や贈り物として取引される最高級品である。
「いいえ、少しわかる程度です」
ユリシスはにっこり微笑んだ。
かつての世でしこたま飲んできたなどとは口が裂けても言わない。
「それにしても一口目からフルボディですか?」
呆れたように言うとエドガーは気持ちいいぐらいいい笑顔になった。
「でも、今日にふさわしい名前だろう?」
「それは確かに」
エドガーはワイングラスを掲げる。
「じゃ、改めて今日の良き日に、乾杯」
「乾杯」
口に含むと渋みがあるはずなのに、一切ザラつかない。
最高級のベルベット生地が滑るような、極限まで磨かれたなめらかさがあった。
スパイスと古い木の香りが口内を支配し続ける、圧倒的な存在感だった。
「そういえば、兄上と二人でこうして呑むのは初めてですね」
「確かにそうだな」
前世では顔を合わせれば挨拶する程度の希薄な関係だった。
俺の方へ付けと激情を向けられたこともあったが、その後のことはよく覚えていない。
そして2人は政治的な話など一切無しに、取り留めのない日々の生活や好きな物について語り合った。
エドガーとは気が合うのか、エドガーの人柄がそうさせるのか気づけばユリシスは酔い潰れてしまっていた。
「おーい、もう終わりか?意外と酒に弱いんだな」
茶化すような言葉にムッとしてテーブルにうつ伏せたまま口を尖らせる。
顔は赤くなり目はエドガーの方を見ているが何となく焦点が合っていないようにも見える。
「私が弱いんじゃなくて兄上が強すぎるだけです……」
「はいはい。お前にも可愛いところがあって安心したよ」
エドガーは涼しい顔をして気分よく笑っていた。
「で?お前、クリスティナのことはどう思ってるんだ?」
「……なんですか藪から棒に」
「こういうことって、今みたいな時にしか聞けないだろ?」
エドガーがずいと顔を近付けてくる。
ユリシスは既に頭が回らなくなっていて、強烈な睡魔に襲われていた。
そして少し思いを馳せ考えを口にする。
「クリスティナは、私にとって…………」
その先は続かなかった。
長い沈黙が続き訝しんだエドガーが確認すると、ユリシスはもう小さな寝息を立てていた。
エドガーは苦笑いを浮かべながらユリシスの頭を撫でた。
ユリシスの手入れされた見事な薄金色の髪がサラサラと机に落ちる。
王室という特殊な環境の中で、母も違えば育ってきた場所も違うのに、こうして分かり合える兄弟と出会えたことをエドガーは心の底から嬉しく思っていた。
「ありがとうな」
エドガーの呟きは部屋の暗がりにゆっくりと溶けていった。
ユリシスがライラック宮殿に戻ったのは次の日の昼を過ぎてからだった。
玄関の前には眉を跳ね上げ口を膨らませたクリスティナが立っていた。
「ユリシス!朝帰り!なにしてたの?!」
「朝帰りじゃなくて昼な」
「そんなことはどうだっていいでしょう?!」
ユリシスは目を覚ましたら王宮の客室のベッドだった。
起き上がると頭がズキズキと痛み酷い喉の乾きがユリシスを襲った。
エドガーと呑み明かしていた記憶はあるが、薄ぼんやりしていて内容ははっきりとはしない。
記憶が曖昧になるほど呑んだのは久しぶりで、二日酔いのしんどさも久しぶりだった。
そして二日酔いを覚ますため休んでいたら日が真上に来ていた、ただそれだけだ。
キンキン声をあげるクリスティナに頭痛が再燃しそうだった。
「兄上と酒を飲んでただけだよ、二日酔いだ。兄上からも連絡が来てただろう?お子様にはわかんないか」
「お子様……!」
「あらあら、二日酔いだなんて珍しいこともあるのね。程々にしなさいよ」
ダイアナがひょこっと顔を出してくる。
「わかりましたよ……」
うるさくなりそうなので2人をさっさと巻き、自室に閉じこもることにした。
そして疲れがどっと押し寄せてきたためベッドに潜り込んだ。
暫くするとうとうとと微睡み、ユリシスはまた意識を手放した。




