第14話 毒を食らうなら、皿までも。
午前の会議が終わり貴族たちが退出し始めた頃、フィラネンス伯爵は王に耳打ちをした。
「陛下、このあと少しお時間頂戴できませんか」
王は眉を顰めるも、王国で絶大な権力を誇る貴族の1人にこう声をかけられては無視をする訳にもいかない。
「手短にしろ」
「仰せのままに」
王は朝議に使っている室ではなく、個人的な会談で使われる部屋にフィラネンス伯爵を通した。
「それで?用途はなんだ」
碧玉色の瞳がフィラネンス伯爵を射抜く。
彼がそこに座しているだけで、部屋の空気が数センチ沈み込むような錯覚を覚える。
それは一国という巨大な錘を背負い続けてきた男だけが纏う、物理的な重厚さがあった。
一方フィラネンス伯爵は、常に完璧な角度で唇を吊り上げていた。
射抜くような視線を、彼はあえて楽しむように浴びていた。
細められた瞳の奥、死んだ魚のような光を宿したその眼球だけは、王の放つ威圧の隙間を縫って、次の一手を冷酷に計算し続けている。
「私の娘を第一王子殿下の妃としていただきたいのです」
「理由を聞こう」
王は机を指でトントンと叩いた。
「陛下、今この国の貴族たちは、若木のように勝手な方向へ枝を伸ばそうとしております。彼らを束ね、王室への忠誠という名の檻に繋ぎ止めておくには、誰よりも強固な根が必要でございましょう」
伯爵は薄い唇を吊り上げ、碧玉色の視線に曝されながらも、その瞳の奥にある冷徹な野心を隠そうともしない。
「我が娘が妃となれば、フィラネンスの全権威をもって他の門閥を沈黙させ、次代の王座を盤石なものといたしましょう。……それは陛下にとっても、決して悪い取引ではないはずです」
「私の息子では事足りぬと?」
フィラネンス伯爵は笑みをさらに深く、歪に形を変えた。
「第一王子殿下は清廉であられる。ですが、王道とは時に泥を啜り、毒を喰らわねば維持できぬもの。私が外戚としてその傍らに侍れば、不埒な貴族共の野心は私がすべて飲み込み、殿下の御手は一滴の返り血すら浴びせぬとお誓いしましょう」
王は答えない。
碧玉色の瞳が、射抜くような鋭さを保ったままフィラネンス伯爵を凝視し続ける。
フィラネンス伯爵はその重圧を、まるで上質な外套でも羽織るかのように平然と受け止めていた。
「賢明な陛下であればきっとよりよいお返事をいただけると思っております」
フィラネンス伯爵は不気味に笑うとこの部屋を後にした。
後に残されたのは、氷のように冷え切った沈黙と、伯爵が置いていった毒のような余韻だけだった。
王はため息を吐き、ソファの背もたれにもたれかかった。
長いことあの老獪と渡り合ってきたが、未だに慣れた気はしなかった。
「………毒を以て毒を制すか」
呟きざま王は自嘲気味に笑った。
そのような気骨のある人間は、この平穏な世の中では生まれにくい。
しかし、王はふと末の息子を思い浮かべた。
自分の若い頃によく似た容姿をしていながら、性格は真反対と言ってよかった。
いつも何を考えているか分からない笑みを浮かべ、権謀術数の貴族社会に上手く溶け込んでいる。
第一王子を次代の王とするため裏で糸を引くその手腕には、王である自分ですら喉元に刃を突きつけられているような錯覚を覚える。
盤上を見下ろしているつもりの自分も、実はユリシスが並べた駒の一つに過ぎないのではないか、そう思わせるだけの静かな狂気が彼にはある。
前まではあのような性格ではなかったはずだ。
柳に風で、自分の身に厄災が降りかからないようにしていた。
自分は関係ないのだと、第一王子、第二王子の応酬を、舞台の観客席からいつも冷めた目で眺めているような子だった。
(何があれをあそこまで変えたのだ)
歳に合わず成熟した精神と思考、微笑みの裏にはロジックの歯車が常に忙しなく動いている。
王はふと隣国の王女を思い浮かべたが、すぐに考えることをやめた。
ユリシスが毒となるか薬となるかは長い目で見なければ分からない。
王は静かに、深く嘆息した。
コンコン、扉をノックする音がする。
返事をするとユリシスが何食わぬ顔で入室してきた。
例の微笑みをたたえて。
「如何しましたか父上。随分お疲れのようですね」
「…………なんでもない。要件は手短に言え」
しっしと手を振る父王に、ユリシスは口を開いた。
「フィネンス伯爵家の権限と、保有する鉱山について」
あっという間に今年度初めての社交界の日になった。
ユリシスは朝から準備に終われ慌ただしくしていた。
服を着替え髪型を整えているともう王宮へ行かなければならない時間になった。
玄関ホールではクリスティナが見送りに来ていた。
胸元で手を組んで顔を赤らめてもじもじしている。
「ユリシス、きょ、今日は、一段と、すてきね……」
「ありがとう」
ユリシスは漆黒の燕尾服を身にまとっていた。
仕立てにこだわってミリ単位で調整している。
ウェストコートは光沢を抑えた重厚感のあるシルクを使用しており触れずともその上質さが伝わってくる。
小物の金属は金色、カフスも色を統一し、全体的にエッジがありながらも正統派に仕上がっており、着る人の品格を際立たせていた。
「最近学校の様子はどうなんだ?」
その問いにクリスティナは少し顔を明るくさせた。
「最近は、ローズ様もユーフェミア様も学校に来てくれてて嬉しいわ。あ、お二人とも事情があってお休みされてたの……。それに上級生のお姉様たちが私のクラスに顔を出してくれるようになったわ」
最近、学校の力関係が変わってきているなとクリスティナは思っていた。
ユリシスに迎えに来て貰ってから、まず攻撃されることが無くなった。
遠巻きにはされているけど、質問したら応えてくれるようにはなった。
逆にこれまでは知り合い程度で、それほど仲良くなかった人と付き合いが増え、特に上級生が頻繁にクリスティナの所まで来て雑談をして帰っていくようになった。
その筆頭がエルザ・ベネット伯爵令嬢で、ユリシスと幼なじみなのだと言った。
クリスティナの知らない幼い頃のユリシスの話などたくさん教えて貰い、クリスティナはエルザのことが大好きになった。
クリスティナに陰口を叩いていたポリーンやクラリスといった数人はもはや空気のように透明人間になっていた。
ユリアは相変わらずこの学園の女王様のように振舞っていたが次の社交界での準備も着々と進んでいるようで、こちらまで気が回らないのか最近では接触することはない。
ユリシスはクリスティナの頭に大きく骨ばった手を乗せポンポンと叩いた。
「楽しそうにしてるなら何より」
ユリシスが微笑むとクリスティナは顔を赤くさせる。
「ねぇ!絶対他の女の人と喋ったりダンス踊ったりしないでよ?!」
「そんなの無理な話に決まってるだろ………」
ユリシスはクリスティナの申し出に辟易する。
社交界の場は重要な情報交換の場でもある。
ユリシスが令嬢たちとダンスを踊るのはそうした意味もあるのだ。
クリスティナは口を尖らせた。
クリスティナだって社交界のことについて教育されているし、意外と聞き分けが良いことからそれ以上は何も言ってこなかった。
「それじゃ、そろそろ行くから」
「気を付けてね!」
ユリシスは手を振ってクリスティナに応える。
馬車に乗り込むとユリシスはブローチ型の通信機を手に取った。
「兄上、そちらはどうです?」
『これといって特に問題は無いな。グレイスからも問題無しと連絡をもらってる』
「そうですか、それならば安心です」
ユリシス、エドガー、グレイスはユリシスが通信機を渡してから頻繁に連絡を取り合っていた。
何か問題が起こればユリシスがその都度対応していた。
今回のパーティーでもお互いなにかあった時のために懐に忍ばせておく算段だ。
ユリシスは暫くエドガーと雑談し通信を切った。
馬車は程なく王宮へ到着し、ユリシスは侍従に案内されながら廊下を進む。
今年初めての舞踏会が今始まろうとしていた。
仕事が忙しすぎてなかなか更新できませんでした:( ;´꒳`;):
少し落ち着いたのでこれから更新していきます!
そしてやっとパーティー編突入しました!
よろしくお願いします!




