第1話 プロローグ
月が静かに夜を照らす頃、ユリシス・シャルパティエは自分の研究室に篭り、ひとり魔法の研究を続けていた。
その時、空気のわずかな揺らぎに気づき後ろを振り向いた。
そこには1人の女が立っていた。
銀糸の長い髪にアメジストの深い色の瞳。
そして陶器人形の様に美しい肌を持つ、神が創造したとしか思えないほど恐ろしく容姿の整った女だ。
ユリシスは彼女のことを知っていた。
「久しぶりだね、クリスティナ。随分遊んでいる様じゃないか」
知り合いとはいえ突然降って湧いた女に
緊張感のかけらもなく話しかける。
「あなたのことは殺さないであげるわ」
女の美しい唇からは氷のように冷たい音が紡がれる。
「なぜ?兄さんたちの様に遠慮なく殺したらいいじゃないか」
ユリシスはこのシャルパティエ王国の第3王子だ。
兄2人は国王が亡くなったあと王位継承権を巡って激しく対立した。
王宮は二つの派閥に分断し、市民を巻き込んだ大きな戦争に発展した。
そしてこの戦争に深く噛んでいたのがクリスティナだった。
「王宮も国土ももうめちゃくちゃだよ。たくさんの人が飢え、そして死んだ。兄さん達も責任を取らされて断頭台の塵に消えた」
クリスティナの持つ魔法は闇魔法。
黒く深い闇を司る魔法だ。
魔法の威力もさることながら、闇魔法は精神にも作用し相手を奈落へと突き落とす残忍で残酷な魔法。
クリスティナはそれを利用し、国王を殺め2人の王子を唆しそして最後には2人とも彼女の手によって処刑台に上げたのだ。
今やクリスティナは闇の魔術師として世界を恐怖に陥れている悪女として広く知られていた。
クリスティナは口角だけを僅かにあげる。
「あなたは私になにもしなかった。ただそれだけよ」
クリスティナがポツリと呟く。
ユリシスはこれには苦笑するしかなかった。
「そうだね。逆を言えばなにもしてあげなかったね」
ユリシスは兄たちとは違い比較的影響力の低い地方貴族の母を持って生まれた。
本人自身王位に微塵の憧れがもなかったため自由気ままに過ごしてきた。
王立の学校を卒業して宮廷魔法師となってからもこの研究室をもらい、自分の興味のあることだけして生活してきた。
王宮の根無草と呼ばれるほど地に足をつけて歩んできたためしはない。
ユリシスはじっとクリスティナを見つめた。
「それで、これからどうするつもりだい?このシャルパティエ王国は壊滅した。破壊の限りが尽くされた。この焦土が再建されるには長い年月が必要だろう」
「次はバウスフィールドへ行くわ」
ユリシスはなるほどと頷く。
「君の気が済む様にしたらいいと思うよ」
「もちろんそのつもりだわ。今日はバウスフィールドへ発つからあなたには最後の挨拶に来たの」
「それはご丁寧に」
「それじゃ、最後に顔を見ることができてよかったわ」
クリスティナは言い終わる前に魔法を行使し闇の中に姿を消した。
ユリシスはその闇の残滓をいつまでも見つめていた。
その瞳には言葉にならない小さな悔恨の色が僅かに滲んでいた
「……ま、………さま、ユリシス様!」
ユリシスはハッと意識を浮上させた。
「ここは……」
「なにをぼーっとしてらっしゃるんですか!これではお支度が整いません」
ユリシスの前には等身鏡が置かれ、侍従達が忙しなくユリシスを着替えさせていた。
ユリシスは鏡に映り込む自分をじっと眺める。
「なんだいこれは。流石に若すぎやしないかね」
ユリシスは呆れ嘆息する。
この鏡に映る自分はどう見てもーーー。
侍従は怪訝な表情を浮かべる。
「お召し物はユリシス様に合わせてあつらえておりますので…これぐらいがちょうど良いかと思いますが……」
侍従の頓珍漢な返答にユリシスは声をあげて笑った。
「ははははは!こりゃ傑作だ。違う違う、私は今いくつかな?」
侍従はまた怪訝な顔をしている。
「ユリシス様は12歳におなりです」
ユリシスはふむ、と頷く。
辺りを見渡すとここがかつて暮らした自分の宮の自室であることがわかる。
そして周りの調度品の位置や物品がユリシスの記憶にあるものとは異なっていた。
身支度を手伝っている侍従達やメイド達がまだ若い。
メイドの中にはとうの昔に結婚して辞めたものもちらほら見受けられる。
(なるほど、これが夢でなければ私は15年前に戻っているということか)
「ねぇ、今日は何があるんだっけ」
ユリシスが尋ねると侍従はさっと手帳を取り出した。
「本日の予定はバウスフィールド王国の第一王女クリスティナ・バウスフィールド様のご到着に合わせ先に謁見を済まされてから夕食を共に取るご歓談の場が設けられます。ユリシス様のお席は………、ユリシス様?」
「………なんでもないよ。続けて」
ユリシスは目眩を起こした様な気持ちになっていた。
(クリスティナが、シャルパティエ王室に来る日に戻っている)
クリスティナはバウスフィールド王国から政治的目的から留学生としてシャルパティエ王室にやってきた。
留学生と言えば聞こえはいいが、平たく言えば「人質」だ。
シャルパティエ王国とバウスフィールド王国は隣国同士だが、そうであるが故に昔から諍いの絶えない関係だ。
近年、バウスフィールドがシャルパティエへの侵攻の準備を進めているとの情報が入り、お互いの国同士が調整に調整を重ねた結果、バウスフィールドからは多額の補償金と人質がシャルパティエへ送られることになった。
その人質こそがクリスティナだ。
前の世界では誰からも歓迎されず冷遇され、王宮の貴賓が使う部屋でも最下級の部屋があてがわれていた。
そこでの生活は伝え聞いた話だが悲惨なものだったらしい。
メイドはついており衣食住は保証されていた様だが、メイドや他の貴族達にバカにされて育った。
教育も不十分で初めての社交パーティーではエスコートのものもおらず大恥をかいたという話も聞いている。
ここまで考えたユリシスはそっと嘆息した。
かつての自分は何をしていたんだ?
らしい?聞いている?
(どれほど自分は他人に興味なく生きてきたのだろう。……クリスティナは最後に会ったあの日、私を殺さなかった。なぜだろう)
こればかりはいくら考えても答えの出るものではない。
そうこうしている間に身支度が完了し謁見の間に着いた。
謁見の間ではすでに王と王妃、第二夫人、母である第三夫人が着席しており、その近くに異母兄である第一王子のエドガーと第二王子のミカエルもいた。
エドガーが口を開く。
「遅いぞユリシス。皆着席しているぞ」
ユリシスはエドガーを見て目をぱちくりさせて次いでにっこりと笑った。
「懐かしいな!お前」
「なっ……」
エドガーはあまりの事に驚き言葉を失っている。
「ミカエル兄上も。ぶははは!その服装も懐かしすぎ……!ゴテゴテ飾りすぎだろ」
「なっおまっ……!!」
ミカエルはあまりのことに顔を真っ赤にさせ憤慨するだけで言葉が出てこない。そんななかで1人の女性だけは違った。
「こら!ユリシス!お兄様達に向かってなんてこと言うの!早く座りなさい!」
ユリシスの母の第三夫人のダイアナが鬼の形相でユリシスを叱りつけた。
「王妃様、エレオノーラ様申し訳ございません」
ついでぺこぺこと王妃と第二夫人に頭を下げる。
「私は気にしてなくてよ。」
「私も別に良いのですけれど……。少し教育に力を入れた方がよろしいんじゃなくて?」
第二夫人にちくりと嫌味を言われダイアナはしおしおと項垂れる。
「返す言葉もございませんわ……」
そしてユリウスをもう一度キッと睨みつけた。
「はいはい。風来坊の三男はさっさと自席に座りますよ〜」
ようやくユリシスは席についた。
「お前、ついに頭もおかしくなったのか」
席の近いエドガーに声をかけられる。
ユリシスはうーんと唸る。
「そうかも」
今周りにいる人々は第三夫人のダイアナを除いて皆ユリシスの知る世界では命ない者だ。
ユリシスが宮廷魔法師として自室に篭っていた27歳の段階で王、王妃、第二夫人のエレオノーラは死亡して数年が経過していたし、第一王子のエドガー、第二王子のミカエルが死亡したのも3ヶ月は経っていた。
だからといって彼らに特段の思入れがあったわけでもないが、懐かしさだけは感じる.
例え裏で非人道的な行いをしていた人たちであっても。
ユリシスは彼らとの付き合いを極端に避けていた。
のらりくらりと喧騒を避け自分に王位継承権争いという火種が飛んでこないよう生きてきた。
宮廷魔法師になる前に通っていた学園だって、目立つことを避けるため参席で卒業した。
本来であれば主席の実力はあった。
(私が動けば、未来はもう少し変わっていたんだろうか)
ユリシスが物思いに耽っているとクリスティナの入場を知らせる号令が鳴った。
木製の重い扉を衛士が開けると、小さなクリスティナが側近と共に入場してきた。




