精神の回廊
「あのう、すみません、生きていますか?」
遠くから、僕を呼ぶ声がする。
「あの、すみません、ここはどこでしょうか?」
何だ、夢か?
「あの、すみませーん」
目を開ける。目の前には、僕と同じくらいの年に見える少女が立っていた。
柔らかく笑ったその顔は、何処かで見たことがあるような気がする。
「あの、すみません。ここはどこでしょうか。」
何を言っているのだろう。ここはドロムの・・・。一気に昨日のことを思い出す。魔物の大群と戦って・・・この木の下にきた。ここは、戦場だ。だとすると、この少女は一体誰だ。まだ痛むからだを起こし、立ち上がった。
「君は、一体誰だ?」
言葉など考える余裕のないぼくは、率直に聞く。
「え、えと、私は、リアって言います。」
「リア………」
「はい」
「………………」
「………」
「……………………」
「あのう?」
「ちょっと待て。君はなんでこんなところにいる?」
頭が混乱している。
「それがわからないんです。」
頭がショートしそうだ。
「病院から出て、森に行ったら何故かここに………」
「びょういん?びょういんってなんだ?」
「え?いや、ただの病院です。」
「わからない」
「あの、どこか悪い人たちが、治療を受ける………」
治療………。少女がなにかに気づいたようにハッとした顔つきになる。
「もしかして、これって異世界転移というやつでしょうか。」
「異世界?それは、別の世界のことか。君はこことは違う世界から来たのか?」
「おそらくそうだと思います。この状況や、あなたの格好を見ると。」
「そうか」
「はい。異世界………。異世界?私、異世界に来た…?」混乱したかのようにボソボソとつぶやき始める。
「おい、大丈夫か?」
状況を自覚したのだろう。泡を吹いて僕の足元に倒れ伏した。
「なるほど。やっぱりここは異世界で、あなたはこの世界の勇者、ですか。」
「うん。」
「こんなの、ライトノベルによくあるやつですね。最近よく耳にしますし、アニメもたくさんあります。」
らいとのべる・・・。彼女と話していると知らない単語がたくさん出てくる。倒れた彼女を介抱し、状況を確認した。彼女の名前は、リア。こことは違う、別の世界から来たらしい。そこには日本、という国があって、彼女は学校というところに行っていた。なぜこの世界に来たのかは不明だ。僕も、自分のことについてざっくりと彼女に説明する。
「なるほど。ルカさんは、ここの世界の勇者で、邪神を倒しに旅をしていると。」
「ああ。」
「街がたくさんあるんですね。そこに行けば、元の世界に戻る方法などがあるかもしれないです。」
「そうだね。」
もう何もかも面倒になっていた僕は、適当に返事をする。
「あの。」
「なに?」
「街に、連れて行ってもらえませんか?」
いきなりのお願いだ。
「街に?」
「はい。人のたくさんいるところに行けば、きっとなんとかなると思うんです。」
そういうものなのだろうか。でも。
「悪いけど、それはできない。さっきも言ったけれど、僕は勇者だ。戦って、世界を守らないといけない。もっとも、こんな世界、滅ぼしたいくらいだけど。」
無理な笑いを浮かべる。でも、リアには見抜かれた。
「なにか、あったんですか?」
この子は、多分すごく優しいんだろうな。それに甘えて、すべてを話したくなってしまう。意図せずに口が動く。
「ここ、荒れ果ててるだろ。これは、昨日の戦いの跡。この戦いで、唯一の仲間を亡くしたんだ。それで、なんかもう、どうでも良くなった。この世界なんて、滅べばいい。そう、思うようになった。」
しばらく沈黙が続く。彼女が口を開いた。
「とても・・・辛かったんですね。わかります。」
カッと頭に血が上る。
「君にわかるはずないだろう!!この痛みが。この悲しみが!!」
思わず大声で叫ぶ。彼女は目を伏せた。
「確かに、あなたの過去は知らないですから、すべてが分かるわけではありません。でも、何かを失う痛みはわかっているつもりです。私も、前に大切な、本当に大切な人をなくしましたから。」
予想していなかった返答に戸惑う。僕は馬鹿だ。悲しくて、苦しいのは自分だけではない。そんな事はわかりきっている。
「ごめん。」
俯いたままのリアに、そう言うことしかできなかった。
「異世界、か。」
リアは、こことは別の世界から来たのだという。本当なのだろうか。それを確かめるすべはない。薪を拾い終わって、隠れ家にしている岩陰へと戻る。そこでは、リアが寝ていた。急な展開で、疲れたのだろう。もし彼女の話が本当だとして、僕が彼女の立場だったらどうしただろう。想像すらできない。寝ている彼女の横に腰を下ろし、手のひらを掲げる。そこに、火の玉を生み出した。
「こんな力………なんで僕だったんだ。もっと、ぼくよりも強い、誰かのものだったら………。」
僕はあまりに弱すぎる。僕という存在も、心も。いや、僕は。きっと僕は、逃げているだけだ。この先の、運命から。
「あ、これって・・・」
いそいで持ち物のなかから勇者手記を探し出して、開いた。
「やっぱり。僕、50代目勇者と同じような状況になってる。仲間を失って、右目を怪我して、もう諦めたくなってる。」
かつての勇者たちも、僕と同じような状況にあったのだ。それでも彼らは成し遂げた。この世界を守りきってみせた。
「すごいなあ。本当に。」
諦めそうになっても立ち上がる。すべてを捨てて進んでいく。そういう力が、僕に存在しているのだろうか。それに、今はわからないことが多すぎる。
「この、りあ?って子は、一体何なんだ?異世界から来たとか行ってたけれど⋯。」
彼女を見て、思う。この世界に魔法があるんだから、異世界だってあるのかもしれない。ふと思いついた。
「そうだ。リアの、記憶を見ればいいんだ。」
勇者手記の6ページ目、昔の勇者が考え出した魔法。寝ている彼女にそっと手のひらを向け、詠唱した。
「我が名、勇者ルカのもと、記憶を蘇らせたまえ。精神の回廊。」
目の前が光に包まれる。
眩しさに閉じていた目を開ける。目の前には、先へと続く、真っ白な廊下がある。そして、その両脇には一つ一つ、色の違うドアがあった。精神の回廊。それは、人間が経験したこと、思ったこと、感じたことを可視化するもの。記憶の回廊とも言えるだろう。僕が生み出した魔法というわけではないのに、何故かすんなりと情報が入ってくる。
「これで、ほんとうに異世界から来たかどうかがわかる。」
1つ目のドアのノブにそっと、手をかける。淡い黄色の扉。黄色は・・・
「嬉しさの、記憶・・・。」
ゆっくりと開く。
「リア!こっちこっち!」
「ちょっと、待ってよー!」
もう一人の子供と砂浜で遊んでいる様子だった。視点が地面に近い。これはリアの目線だ。もう一人、男の子は知らない。彼女の友達だろう。男子が滑って転ぶ。
「ちょっと、気をつけてよ!泥がいっぱいはねちゃったじゃない。」
「ごめんごめん!」
「あはははは!!」
楽しそうに駆け回っていた。これが、リアが嬉しいと感じた記憶・・・。僕にはない経験だ。見ていられなくなった僕は、思わず力を込めてドアを閉めてしまう。
今度は、そのドアの反対側にあった、淡い青色のドアに手をかける。
「リアの、寂しさの記憶・・・」
ゆっくりと開く。
「リア。おれ、しばらく病院ににゅういんすることになった。」
「にゅういん?」
さっきの男子と、リア。まだ5、6歳にもなっていないように見える。
「そう、病院ににゅういん。だから、おれしばらくがっこうにいけないくなっちゃった。」
「うそ。」
「ほんとだよ。ままがいってた。」
「もう、いっしょにがっこう、いけないの?」
「ううん。からだがよくなれば、またいけるようになるんだって。」
「ほんと?じゃあ私、これからまいにちおみまいにいくね!」
「ほんとに?」
「うん。やくそく」
「やくそくだよ!」
ずっと一緒にいた幼馴染がどこかにいくのだろうか。びょういん、にゅういん。聞き覚えのない言葉だ。幼い彼女の声からは、ほんの少しの強がりと、明らかな寂しさが感じ取れた。ゆっくりとドアを閉める。
「本当に、異世界から来たんだな・・・。」
彼女の目に写っていたもの。それは明らかにこの世界にはないものだった。
「これ以上見るのはリアに悪いし、戻ろう。」
そう言って、踵を返したとき。目の端に、あるはずのない色が映り込んだ。
「黒・・・!?」
感情の色に、黒はなかったはずだ。回廊を進み、ゆっくりと真っ黒に染まったそのドアに近づく。よく見ると、それは黒色ではなかった。黄色、緑、オレンジ、青、赤。数え切れないほどの種類の色が混在していた。よく見ると、一つ一つがうごめいて見える。
「私も、前に大切な、本当に大切な人をなくしましたから。」
彼女のことばを思い出す。あの時、リアはなんとも表現できない顔をしていた。この扉の奥。その感情のもととなった出来事がある。そう、確信していた。
「開いちゃ、だめ、だよな・・・。」
ドアのノブを見る。うごめく感情の嵐が、取っ手を隠そうとしていた。
「見られたくない・・・、いや、この記憶を、自分で消そうとしている?」
突然、その黒色が濃くなったように感じる。気がつくと、そのドアから黒い瘴気のものが溢れ出ている。思わず後ずさる。しかし、その一歩は地面を踏まず、空を切った。
「何だ!?」
必死に掴まりながら、後ろを振り向く。
「な、なんだ、これ・・・」
さっきまで形を保っていたはずの回廊が、徐々に形を失い、歪んでいく。一つ残った黒いドアも、侵食されようとしていた。異常で、初めての感覚だ。
「どうなってる!ヴィス!」
その名前を叫んでから気づく。ヴィスはもう居ない。
「く………」
どうにかしなければ。思いきり手を伸ばしてドアのノブを掴もうとする。
「く!」
指先が一瞬ノブに触れた。でもその指は無情に滑ってしまう。歪んだ床を踏み抜いて、僕は黒に飲み込まれた。




