失うものは
「続きが・・・書かれていない・・・。」
この人は、帰ってくることができなかったのだろう。その日記には、続きがなかった。ポタン、と、一粒涙が流れる。この人は望んで勇者になったわけではない。そして、それは僕も同じ。いつの間にか、ヴィスが中に入ってきていた。クウンという声を出してすり寄ってくる。
「なあ、ヴィス。僕だって勇者なんてなりたくなかったんだ。僕は、死にたくないんだ。もう、どうにもできないのかな。」
クウン。
「でも、この人と一つ、違うところがある。」
クウン?
「僕には、心配してくれる人達がいる。それに、仲間だって。そうだろ?ヴィス。」
「ワン!」
「僕達は、絶対に死なない。絶対に、生きてこの街に返ってくる。」
「ワン!」
ずっと前、自分が勇者であることを知ってから、本当に憂鬱に思っていた。そして今、出発の日が迫っている。もう終わりだと思っていた僕の人生に、希望が見えた。
「ありがとう、50代目勇者さん。あなたの希望は、僕が絶対に叶えてみせます!」
この本は、肌身離さず持ち歩こう。それに、ここにある魔法も、なにかに使えるのかもしれない。
ペロペロ。ペロペロ。毎朝感じる衝撃が来ない。その代わりに、なにか湿ったもので顔が撫でられている。ヴィスも、今日から始まることをわかっている。僕はたくさんの感覚を噛み締めながら、立ち上がった。
「食料よし。水よし。武器よし。」
これからの旅で必要になるものを、一つ一つ確認していく。
「今日でここともお別れか。やっぱり少し寂しいな。」
小さい頃の僕の落書きが沢山書かれた壁に触れる。僕の13年間を作ってくれた場所。本当は、ここから離れたくない。しんみりとしていた僕を心配したのだろうか、ヴィスが僕の手をペロペロと舐める。
「ヴィス。ありがとう。でも、やっぱり少し怖いんだ。」
これまで、この世界に勇者として、99人の勇者が生まれてきた。いずれの勇者も、最後にはこの世界を救った。ただ、調べたことで一つ、気がかりなことがあった。それは、邪神討伐から帰ってきた勇者が、過去にいないこと。
「僕は、どうなるんだろうね、ヴィス。」
「クゥーン。」
ヴィスがまた僕の手を舐める。最後に扉の前に立ち、もう一度だけ部屋の中を見渡す。もう心は決まった。
「ヴィス。行くよ。」
「ワン!」
これは、了解!のワンだ。今日だけはそれがわかる。朝、まだ日が昇る前。街は静けさに包まれている。
「ヴィス。僕とヴィスで、絶対、またここに戻ってこような。」
「ワン!」
城門を出た僕らは、まっすぐに、振り返ることなく駆け出す。僕達は気づかなかった。それでも、このまちに住む沢山の人々が、確かな思いとともに、僕達を見送っていた。
はてしない道を進み、山を越え、谷を渡り、森を抜けた。街を出て半日くらいが経っただろうか。
「グルルルルル!」
ヴィスが急に立ち止まり、唸り声を上げる。
「敵か!」
どこだ!
「我に敵するものを示せ!索敵!」
脳内に地図が浮かび、敵の位置がわかる。周りに敵は居ないように見える。いや違う!何かがおかしい。明らかに敵がいるはずなのに。僕らがいる場所を中心とする、広範囲が赤く染まっている。この範囲は、もともと青だったはずだ。まさか・・・。
「上だ!!シールド展開!!」
直後、ものすごい爆風が僕達を襲う。立ってられないほどだ。
「空から来るなんて!相手は・・・」
声を失う。信じられない光景があった。目の前に居たのは、何百を超える空の魔物。空一面が、埋め尽くされていた。
「嘘、だろ・・・」
こんな大群の相手をしたことはない。目の前が絶望の闇に落ちていく様子。
「ヴィス!!」
固まっている僕をおいて、ヴィスが大群に向かって切り込んでいく。あっという間に姿が見えなくなった。何をしてるんだ、僕は。勇者として生まれて、勇者として生きることを誓ったはずだ。僕は、こんなところで諦められない。僕は腰から大剣を引き抜き、前傾姿勢になる。そして、詠唱をしながら敵の群れに突っ込んだ。向かってくる一体一体を切り捨て、魔法で撃ち落としていく。クソ・・・なんて数だ。これではこちらの体力が尽きてしまう。
「ヴィス!!一旦後退!!」
魔物の群れをかいくぐって、ヴィスが戻ってくる。ヴィスは精霊獣という、精霊の一種だ。だから、ぼくに引けを取らないくらいに強い。精霊術を使って蹴散らされた魔物の残骸がチラチラと見える。
「流石だ、ヴィス!」
「ワン!」
僕達は素早く魔物たちから距離を取る。そして魔法の詠唱をした。
「雷神よ。我が前に立ちふさがる悪を断ちたまえ!広範囲雷撃魔法!!」
一瞬の閃光の後、直径20メートルを超える広範囲魔法が打ち込まれる。ほっと息をついたその時、煙の中から出てきた一体が、弓をこちらに向けているのが見えた。まずい。間に合わない!急いで手を挙げる。
「ぐわああ!!」
矢が右の眼球に突き刺さる。本来なら即死だ。ただ、速度の遅い攻撃だったため、脳には達していない。
「ヒール!」
すぐに矢を抜き、治療する。治療魔法は万能ではない。出血はなくなったものの、右目はもう使い物にならなかった。あとで時間をかけて治療する必要がある。
「くっそお!」
腹いせのように高レベル魔法を撃ちまくる。かなり相手が減った。
「ヴィス!!目眩ましを!!」
剣を振り回しながら叫ぶ。おかしい。いつものワン!がない。
「ヴィス!!ヴィス!!どこだ!」
魔法を打ったときに、敵の中に穴が生まれる。その奥に、一瞬、ヴィスの姿が見えた。僕は呆然とする。一本、たった一本の矢が、彼の心臓に突き刺さっていた。
「ヴィスー!!!!」
敵を蹴散らし、駆け寄る。
「ヒーリング、ヒーリング!」
精霊に魔法は効かない。そんな事はわかりきっていた。
「ヴィス!」
もう、無理だ。何回唱えただろう。ヴィスが助からないことへの理解に時間がかかる。胸に芽生える悲しみが、僕に理解させる。次に生まれたのは、怒りだった。自分の大切な、唯一の仲間を殺した魔物への恨み。神への恨み。この世界への怒り。ああ、僕は。
「ふざけるな!!」
ずっと一緒に生きてきた。生まれてから、ずっと。
「ワン!ワン!」
ああ、これは嬉しいことがあったときの声だ。かけっこで僕に勝って、おばちゃんにパンを貰っている。
「ワン!」
これは僕を見下しているときの声。昨日の朝の光景が目に浮かぶ。
「ワン!」
これは。これは、僕が君を拾ったときの声だ。広い草原に倒れていたヴィスを抱えて戻ったときのことは、今でも覚えている。
「ワン!」
これは、これは、これは。僕の思い出の全てに、ヴィスが居た。楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、全部ヴィスと一緒だった。なのに。これからはもう、その姿を見ることができない。一緒にいることができない。
「ふざけるなあ!!」
もう、我を忘れていた。思いつく限り、全力で魔法を放った。この怒りをぶつけた。こんな世界、滅びればいい。こんな、僕の幸せを奪う世界。なんで。なんで僕は。どうして。
「どうして僕なんだ!!!!」
どれほど経っただろうか。息が荒い。気がつくと、周りに生えていた草木や、茂っていた森はなくなり、あたり一面が荒野になっていた。体中に痛みを感じる。これは、現実だろうか。ふと目をやった先に、一本の木を見つけた。激しい戦いだったはずだ。それなのに、そこにだけたった一本、木が根を張っていた。足を引きずってその木の下へ向かい、腰を下ろす。疲労で目を開けていられない。
「僕ももう、だめかもしれないな。」そして静かに目を閉じた。




