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幸せだった世界。


「腹が、減った。」


昼下がり、ここは東京。その下町。見慣れない路地に、怪しげな煙をたてる店たち。その中の空き地の真ん中に、俺はぽつんと立っていた。

「なんて治安の悪そうな場所だ・・・。」

俺の周りを歩いているのは、みんな大人、それもなんだか「ヤバそう」な人たち。こう言っては何だが、明らかに「ヤバそう」なのだ。

「くそう。なんで俺がこんな目に。」

昼下り、ここは東京。その下町。ヤバそうな場所。そしてその真中で立ち止まる、高校の制服姿の俺。この状況の原因はあいつだ。


1日前、学校。


「深山、晴さん。」

「はい!」

順番が来て先生に呼ばれ、元気に返事をした僕は、教壇の前に進み出る。そして先生が差し出すテストの解答用紙を受け取った。

「さあさあ、点数は・・・」

僕の目に、素晴らしい点数が飛び込んでくる。

「ふ。まあこの程度、俺にとっては、か、簡単だったなあ。」

人間というのは、よくできている。今見た点数を忘れようと、頭が働き出した。

「おい深山。いくらなんでもそれはなあ。真面目にやれよー。」

「ぐはっ。」

忘れかけていた僕に、先生の容赦ない言葉が突き刺さった。

「ぐぐぐ。我が一生、一片の悔いぐへっ!」

「よけて。」

「すまん。」

俺の次に呼ばれた幼馴染が僕を押しのける。

「あーあ。なんて優しくない世界なんだ。」

誰に届けるでもなく、独り言を撒き散らしながら席に戻る。0点。これまで見たことのなかった点数が、そこに存在していた。確かに存在していた。

「おかしいなあ。俺このテスト100点の自信あったのになあ。」

「100点の自信があって、どうやったら0点が取れるの?」

いつの間にか席に戻ってきていた幼馴染が話しかけてくる。名前は大和梨愛やまと りあ、俺の3歳くらいのときから一緒の、幼馴染だ。声がふわふわしていて、それなりに可愛い。

「そういうリアは何点なんだよ。」

「そうだね。何点だと思う?」

ぐ。この焦らしてくるタイプ。最悪だ。こりゃあかなり良かったんだろう。

「あー。95点とか?」

もう適当に言う。

「すごいね。正解だよ。」

「え、マジ?」

「ほら。」

そこにあるのは、95という数字。ぐぐぐ。

「えっと、私の点数はハルの点数の何倍かな?あれれー?100倍しても、1000倍しても、届かないねえ。」

「お前・・・。性格最悪すぎるよ。」

0なんだから何倍したって0だろうが。

「私は事実を言ったまでだよ。」

「ぐ。」

何も言い返せない。

「はいお前ら、静かにー。」

担任の気だるげた声。

「さて、今回のテストだが、全体から見ると、かなりいいほうだと思う。全問を選択式にしたんだが、みんな対応しきれているようで良かった。」

言葉の一つ一つが僕の心臓に突き刺さる。やめてくれえ。

「まあみんな結構頑張ったんだろう。あと、今回の最高得点は、梨愛で、95点だ。」

すっげえ・・・。そんな声があちこちで上がる。ああやだやだ。

「あ、そうだ。今回、若干一名、100点を取りそうなやつが居た。」

ざわざわ。教室内がざわつく。百点を取りそうなやつ?わざわざもう一回言うってことは、リアじゃないってことか?でもそしたらどういう意味だ?95点よりも100点に近い点数?なんだろう。 

「そうだな。そいつは、全問合ってたけど、全問不正解だった。まあ0点ってことだ。で、それが、深山晴、お前だ。」

教室を静寂が包み込む。

「え?」

「え?」

「え?」

「いや、え?じゃなくてだな。お前、気づいてないのか?」

「え?」

「本当に気づいてないのか・・・。まあいい。周りのやつと答案用紙を比べてみろ。」

答案用紙を比べるったって、違いがあるわけじゃ・・・。

「うが!」

とんでもないことに気がつく。

「やっと気づいたか。私は言ったはずだぞ、このテストは全問が、選択問題だと。だから、記号で答えるんだ。なのにどうして、全部、」

目の前の光景に思考が追いつかない。俺の解答用紙は、他の誰よりも黒かった。


「言葉で答えてるんだ?」


教室が爆笑に包まれる。

「流石だ、ハル!」

「まさか本番でふざける度胸があるとはなあ。」

「やりますねえ。」

わざとじゃありません、はい。本当に。心から誓って。

「もういやだあああああ!?」

一つ気づく。

「リア!ってことは、あの勝負は、俺の勝ちか?」

俺達はテストの点数で勝負をしていた。本来なら僕は100点。ってことは・・・。

「そんなわけ無いでしょ。ハルは0点だよ。」

「もういやだあああああああああ!!」



「で、どうして勝負で負けた罰ゲームが、これなんだよ。」

俺はスマホのメッセージをもう一度見直す。そこにはこう書かれていた。

【明日は土曜日。罰ゲームとして、私と「お話」すること。この場所で待ってる。】

そしてその下には、落ち合う場所が記されている。

「なんでわざわざこんな遠い場所に………。えっと、店の名前は………クレセント………って、これか!」


顔を上げた先に看板を見つける。さっきのあまりよろしくない雰囲気の場所から少し歩いた先にある喫茶店。三日月型の看板に、「Crescent」とある。読み方はわからないけれど、メールにある地図を見た感じでも、ここで間違いないだろう。なんか変な店だなあ。

ドアを押して入る。入ってすぐ、奥の席にいるリアを見つけた。

「1名様ですか?」

店員さんが話しかけてくる。

「あ、いえ、待ち合わせなので。」

店員さんに軽くお辞儀をしてリアのところに向かう。

「ごめん、ちょっと遅れた。」

「いいよ。ここ、不思議な場所にあるから。」

それを知ってるお前のほうが不思議だ。それは声に出さずに、座る。

「で、俺になにか用事?わざわざこんな遠くに呼び出して。」

眼の前に座るリアが、それまで読んでいた本をパタンと閉じる。大きな目をこちらに向けてくる。

「うん、用事。それも、すっごく大事な用事。」

すっごく大事な…?何かあったのだろうか。その時俺の頭に一つの馬鹿げた考えがよぎる。まさか。まさか。リアは俺のことが・・・。まあ、多分違うだろう。

「え、えっと、それじゃあ、その大事な用事が何なのか、聞かせてもらっても?」

「うん。あのね、ハル。」

「うん?」

俺は少し緊張して水を一口飲んだ。少しの間の後、真剣な表情をした彼女が口を開く。

「ハル。いま、私に隠してることはない?」

「っつ!!」

全く予想していなかった方面の質問。驚きのあまり、水の入ったコップが手から滑り落ちてしまう。でも、そんな事を気にしている余裕はなかった。それに、少し怖かった。彼女が何について、話しているのかわからない。

「え、と、リア。なんの話?」

静寂が降る。僕は、なんとなくもう、彼女の質問の意図がわかっている。もう、耐えられない。

「リア?俺は別に、隠してることなんて…ないよ。」

まずい。少し言い方が変だったか…。

ぽちゃーん。

彼女の前に置かれた紅茶が、水面に波紋を広げる。涙だ。リアは、泣いていた。ゆっくりと、涙を流していた。なぜ。なぜ、泣いてるんだろう。わからない。わからない。リアはなんで、泣いている?

「私ね。知ってるの。」

俺の中に、なにか嫌なものがせり上がってくる。心臓が、うるさい。苦しい。もう、ここにいたくない。早く外に出たい。自分の目が充血してくるのがわかる。

「昨日の放課後、家に帰る途中でハルの叔父さんに会ったんだ。」

叔父さんにあって、それで、それで、いったい、何を・・・。

「その時にね。聞いちゃったんだ。ハルが、もう・・・」

ガタン!!椅子が後ろに倒れる。俺は全力で外に飛び出した。あいつには、ギリギリまで言わないつもりだった。言えなかった。これまで過ごしてきた時間が全部、なくなってしまうような気がしたから。言いたくなかった。言ってしまえば、感情が溢れ出して止まらなくなるから。俺は、小さい頃から、いや、生まれたときからずっと、あいつのことが好きだった。だから、自分の中で諦めたことを、また望んでしまうのが怖かった。

「はは。もう、知られちゃったのか。」

冷静になって、足を止める。いつの間にか、噴水のある広場まで来ていた。水滴が跳ね上がる。太陽の光を全面で受け止めていた。ああ、もう、リアは知ってしまった。知られてしまった。


「僕の命は、もう、1ヶ月も持たない。」


 



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