僕が作った世界。
魔法が解けた。目の前には、さっきまですぐ隣にいた少女
の、成長した姿が立っている。紛れもなく、それは邪神。そして、僕の。
「見たのか。」
「っつ!」
「見たのか、私の記憶を。」
急に発せられた、高めの声。邪神が静かに、僕に話しかけていた。
「見た。」
「そうか。」
沈黙が続く。頭の中で整理が追いついていない。目の前にいる人物は、邪神だ。僕と、血が繋がっている?邪神が、僕の姉?考えれば考えるほど、わからなくなる。
「どう思った。」
「は?」
「私の記憶だよ。どう思った。」
何を言っているのだろう。どう思ったかって、それは…。怒りを思い出す。失ったものの、全てを。
「あんたが、奪ったんだ。僕から、全てを。お前のせいで、失ったんだ。僕は、全部を。」
「その通りだ。」
「お前は、何が、言いたい。」
なぜか息が切れる。もう、何もかもが限界だった。頭が痛い。体が痛い。もう全て、これで終わりにしたい。
「あんたは、リアムの、いや、僕の、姉なのか?」
一瞬の沈黙ののち、答える。
「私は、邪神だ。この世界では、な。」
「どういう意味だ。」
彼女と目が合う。まっすぐな瞳。鋭い眼光。僕に、リアムに似た、整った目鼻立ち。彼女が口を開く。
「ここは、お前が作った世界だ。」
予想もしていなかった言葉に、唖然とする。僕が作った世界?ここが?こいつは何を言っている?
彼女が、手を掲げる。
周りが真っ暗になった。そして、映像が映し出される。僕が最初に生まれ育った、あの家だ。
「私は死んだ。病気でな。」
彼女の声が、暗闇に響く。まるで、映像のナレーションだ。映像には、幸せそうな家族が映っている。真ん中にいるのは、彼女だ。
その映像を残したまま、もう一つ、映像が現れた。また、幸せそうな家族の様子。真ん中にいるのは、リアム。僕だ。
「父親が言っていた。いつか、星になることができると。まだ小さかった私は、それだけを信じて、この病気に抗った。」
苦しがって悶える、小さな姉の姿。病気と、戦っている。思わず目を伏せてしまう。それくらいひどく、つらそうだった。
「私は死んだ。だが、私は父親に嘘をつかれていたんだ。死んでも私は、星になどなれなかった。」
彼女の体から、彼女の魂だけが抜け出る。そして彷徨った。何かを探し求めて。
「私は見つけたんだ。お前たちを。父親を見つけて、問いただそうとした。だが、父親はもう、私のことなど忘れていた。母親もな。そしてその真ん中には、幸せそうな奴が1人。私の存在すら知らなかった、純粋無垢な子供だ。」
両親に抱かれる僕の姿。幸せな家庭そのもの。
「私は、復讐をすることにした。」
冷たく、芯から震えてるような、残酷な一言。
僕たちを見つめる彼女の目は、細く、冷たい。
「お前を、殺すことで、な。」
フラッシュバックする最後の瞬間。そして僕は、死ぬ。
「だが、予想外だった。お前は、私が殺すたびに、あたらしい世界を作った。それも、自分のためじゃなく、自分の一番大切な人間と一緒にいたいという、強すぎる願いから。」
映し出されたのは、シャーロット。
「お前は、自分の作った世界に、そいつを呼び寄せた。新しい存在、リアとしてな。」
学校でのリアとの会話。病院で泣きじゃくるリア。そして、リアは僕に出会う。ハルではなく、ルカとなった僕に。この世界で。
「私は、最初からお前を殺そうとした。この世界に来た時だってそうだ。」
生まれて少し経った時に、邪神が直接、僕の村を襲った。たくさんの人が、死んだ。僕だけが、生き残った。僕はそこで、ヴィスに出会う。
「お前を殺すのに邪魔だったからな。あの犬は殺した。」
ヴィスを殺したのは、こいつ。
映像はもうない。
「私の目的はただ、お前を殺すこと。それだけだ。だからいま、ここで、私はお前を殺す。何度生き返ったって、殺す。殺す、殺す!」
暗闇が晴れる。僕は、目の前の異様な光景に、驚くことはなかった。なぜなら。
彼女の声が、さっきからずっと、涙の混じった声だったから。滝のように涙する彼女を見ても、驚くことはなかった。
一歩、彼女に近づく。
「やめろ、よるな!」
もう一歩、近づく。
「やめろお!」
あと一歩。その距離を置いて、僕は、口を開いた。
「姉さん。」
バサッ。
彼女は、こちらに向けていた手を下ろし、力が抜けたようになる。この人は、僕と同じなのだ。大切なものを失った。
でも、僕と違うものが一つだけある。
彼女には、大切なものが、一つも残らなかった。僕が今の僕でいられるのは、リアという存在がいたから。彼女がいなければ、今の自分はいなかっただろう。そしてきっと、今この目の前にいる。姉のように、なっていたはずだ。
僕は、思う。
僕がもう少し、早く生まれていれば。
僕が、ほんの少しでも、彼女を支えてあげられれば。
姉の姿を見る。涙を流しながら、細い目を開いてこちらを見ている。ああ、僕はこの目を知っている。未来が見えない目。何をしたらいいか、わからなくなっている目。
「あなたは、僕と最初に会った時、言った。」
彼女は確かに言ったのだ。ここに僕が来た時、最初に。
「『やっと会えた』って」
邪神が地面に膝をつく。彼女はもう、邪神ではない、1人の人間だった。
「姉さんは、探してたんだ。愛を。自分が受け取れなかった、大切なものを。」
僕も膝をつく。そして、彼女の首に腕を回した。あの日、あの庭で、リアが僕にしてくれたように。優しく、あったかく、僕の熱が彼女をあたためられるように。そっと、彼女を包み込む。
「あなたは、僕の家族だ。」
彼女の涙が服を濡らす。
「あなたは、僕の姉さんだ。」
時折漏れる嗚咽。彼女の細い体を、僕の全部であたためる。
僕の一番大切なもの。それは、リアであり、シャーロットだった。僕は、それぞれの世界で、愛を見つけた。誰かを愛して、悩んで、泣いて。
「全部、姉さんがくれた、一番大切な感情なんだよ。」
「ごめん、ごめんなさい、リアム。」
涙混じりの声で話す彼女を抱きしめる。彼女が受け取れなかった愛を、僕が、伝えたい。姉さんがくれたこの感情を、姉さんにも。
ずっと1人で、悩んでいたんだ。苦しみ、悲しみ、そんな自分を嫌悪して。
だから。彼女にも、愛を。大切なものを思う、この感情を。
「生まれてきてくれて、僕の姉さんになってくれて、ありがとう。」
心から、愛と感謝をあなたに。
一つ、思い出す。
「姉さん。もう一度でいいから、魔法をかけていいかな。記憶をみる、魔法。」
「ええ。」
「ありがとう。」
何かが、ある気がする。あの、白い扉の向こうに。
「精神の回廊。」
再び、この場所に来る。扉がたくさん並ぶ、この場所。目の前にあった扉を見る。紫色。
「後悔の、記憶…」
扉を、押し込む。
あの時の、あの絶望の瞬間。そしてそれが終わる。機関車が降り、リアムとしての僕と、シャーロットは、命を落とす。
倒れ伏し、血を流しているのは僕。その前に、写真が立っていた。姉さん。血を流し、無惨な姿になった僕の体を、静かに見つめている。
そして僕の命がこと切れる時。流れたのは一粒の涙だ。
月日は流れる。2回目の絶望の日。
今度はバスが降った。僕の家の上に。瓦礫が当たった僕はのけぞり、倒れる。そんな僕の目の前に立っているのは邪神。リアムの、僕の、姉さん。彼女が、糸を切れたかの様に膝をつく。まだあたたかい、僕の頬に向かって手を伸ばす。その指先が触れる瞬間。彼女の姿が、風にかき消された。
ドアを、閉める。今見たのは、姉さんの後悔の記憶。僕を、絶望に陥れた直後の邪神の記憶。
姉さんの白さが、彼女の黒さにほんの少し打ち勝った、その瞬間。
顔を上げて、すぐ隣のドアを見る。
一番奥にあった、真っ白な扉。隣にあったはずの真っ黒な扉は、もう消えている。
姉さん、入るよ。
扉を開ける。
中には、たった一冊、本が置かれていた。よく目にしていた本。
「勇者手記。」
映像が映し出される。
図書館いっぱいに広がる、光の球。僕が出した、魔法だ。図書館に閉じ込められたあの日。夜をこうやって明かした。この時に見た、星空のような光たち。
「この景色。どこかで見たことがあると思っていた。シャーロットと、一緒に見た光景を、思い出したんだな。」
次の日の朝。図書館の中で寝ている僕の前に、そっと、一冊の本が差し出された。勇者手記。差し出しているのは、1人の女性。その人の顔を見て、思う。
「やっぱり、そうだったのか。」
細い目に、長い黒髪。その人は僕の家族。
姉さんだった。
涙が流れる。きっと、復讐を願いながらも、弟を愛し続けていたのだ。心の奥深くで。時に、黒色が、その純白を打ち消すこともあったのだろう。それでも彼女は、僕を愛してくれていた。
寝ている僕に、微笑みかけ、去る彼女。その後に残るのは、やっぱり古い思い出の匂い。
そしてきっと、あと一つ。
映像は、別の世界に飛ぶ。ルカじゃない、ハルとして、僕がいる世界。
雪の中をめちゃくちゃに走っているのは、僕だ。枝に服が引っかかって、転んでしまう。その手を、誰かがとった。
ああ。あの時の僕には見えていない。姉さんの姿。僕の手を、本が置いてある、木のくぼみに持っていく。そして、僕が手に取ったのは、たった一行、言葉が書かれた本。
「君は、主人公か。」
今は、今では意味がわかる。きっと、僕はこの答えを知っている。姉さんが、教えてくれたのだ。僕に、あの日、何もかも失った僕に、希望を。
人生という、物語を。
僕は叔父に言った。
「主人公だから、諦めちゃいけないっていうのが、あんまりしっくりこなかったんだ。もうちょっと、なんというか、しっくり来る言葉がある気がして。」
僕は、考え続けたのだ。あの言葉の意味を。あの時の人生が終わる時まで。僕は今、答えを持っている。それは真実で、純粋で、きっと、他の何よりもしっくりくる答え。
両目から流れ落ちる涙は、あの時の叔父の涙に似ている気がする。言葉にできない、確かな何かの結晶。
ありがとう、姉さん。
心の底から、そう伝えたい。
「なんだ、あれ?」
顔を上げた僕の目に、ある光景が映り込んだ。人と、犬だ。涙でぼやける視界の中、目を凝らす。
「姉さんと、犬……?」
そこにいたのは、姉さん。そして。
「ヴィス……!?」
間違いない。やっぱり、あそこにいるのはヴィスだ。あの時、失った時のままのヴィスが、姉さんの隣にいる。邪神は、姉さんは、泣いていた。座り込む彼女に、ヴィスが寄り添っている様に見える。彼女が口を開いた。
「私は、一体何を、何をしてしまったの……。」
「クーン」
ヴィスが心配する様に、鳴く。
「私はあの子から、大切なものを奪った。全部。なぜ。なぜ、私はそんなことをするの。なんで。なんで?」
黙って聞いていたヴィスが、立ち上がって彼女の肩に前足をかける。まるで撫でる様に、手を動かしている。
「私はあなたのことを殺したのよ!あわよくばあの子も、あの場で殺そうとしていた!あなたはどうして、怒らないの!?」
なで続けるヴィス。彼女がどんな表情の時も、ヴィスの優しさが彼女を癒し続けている。次第に彼女は、姉さんは、ゆっくりと立ち上がった。そして、ヴィスに向かって言う。
「あの子の、助けになってあげて。今の私にはもう、それしかできない。」
「クーン!」
ヴィスの返事は、どこか喜んでいる様にも聞こえる。
「私ではできない。だから、あなたが。あなたがあの子に、光を届けてあげて。」
「ワン!」
邪神が、柔らかく微笑んだ。
そしてヴィスは再び、この世界にやってくる。前とは姿を変えて。僕と、大切なものを繋ぎ止めるために。
僕を救うために。




