正体は
コツコツコツ。コツコツコツ。
床を、何かで弾くような、小さな音が聞こえる。小さくなったり、大きくなったり。時には、何かを滑らせるような音も聞こえる。
不意に、目の前が明るくなった。
目の前に映されたのは、どこか幸せそうな家庭の様子。。大きな暖炉がある。家族だろうか。窓際で編み物をしている母親らしき人物に、何か楽器のようなものを持っている、父親らしき人物。そして、その真ん中に、小さな子供の背中があった。
「お父さん、みてみてー!」
小さな少女が、大きな声で父親を呼んだ。長い黒い髪は、後ろで一本にまとめられていて、彼女が動くたびに波を作る。
「おお、どうしたんだい?」
優しそうな声が響く。どこか落ち着く、とても深い声。彼が振り返り、小さな少女の前にしゃがむ。
「じゃじゃーん!!」
「おおー…お?」
驚きかけた父親が、首をかしげる。
「えーっと、これはなにをかいたのかな?」
少女が先程から床で何かしていたのは、今持っている紙に、何かを書きつけていたようだ。光に透けて、黒い線のようなものと、たくさんの黒い球のようなものが見える。
「楽譜なの!」
「楽譜?そりゃすごい。こりゃ一体、何の楽譜だい?」
「作ったの!」
「作ったって、自分で?」
「うん!」
「ふーむ。」
父親が目を細めて、楽譜と言われた紙を凝視する。
「なるほど。こりゃ確かに楽譜だ。どれ、弾いてみよう。」
父親が、テーブルの上に置いてあった、楽器を手にとる。ヴァイオリンだ。さっきから、ヴァイオリンの手入れをしているらしい。
軽く肩を回した父親が、音を出し始める。細く、小さく、それでも繊細で、綺麗な音。
「うわああー」
少女が目を輝かせる。それをみて、それまで黙っていた母親が、立ち上がった。黒い、大きなものの前に座る。かけてあったカバーを外すと、そこにあったのは、ピアノだった。目を閉じて父親の演奏を聞く母親。しばらくすると軽く微笑み、小さな音を出し始めた。高い音から、低い音まで。時に入れられる旋律は、父親の弾く旋律を、後から追っているように、流れている。
「ふん!」
もう我慢ができない、といったふうに、少女が立ち上がる。そして大きく息を吸った後、口を開けて歌い出した。
「ラーラララー…」
彼女の歌が入ると、それまで背景のようだった音楽が、一気に主役となった。音楽が大きなうねりを生み出す。ヴァイオリンの音が、歌声と重なるように響く。ピアノの音色は、伴奏であっても、強い存在感を放っている。
不意に、目の前の景色が変わる。まるで、音楽に合わせるかのように。目の前に広がるのは、広い草原。遠くに見える山々や、ゆうゆうと歩く羊たち。まるで、この世界の平和、そのものを詰め込んだような景色。木々が、音楽にあわせて揺れる。鳥たちの鳴き声が、音楽を装飾する。時々歌声と変わりばんこにメロディーを奏でるヴァイオリン。まるで、それはこの草木が、山々が、鳥たちが、この、壮大な自然が、のびのびと歌っているかのように聞こえる。
景色は移り変わる。今度は、人がたくさんいる街中だ。道路の真ん中を汽車が走り、警笛を鳴らす。人々の話し声や、笑い声が音と重なり合い、響く。
次の景色は、どこまでも続く大海原だ。船に乗っているのだろうか。いま歌っている少女が、船の甲板に立っているのが見える。
「うわあー!すごい!」
「海は、初めてだったね、そういえば。」
「うん!」
父親が微笑み、少女の肩に手を置く。
「この海の先には、もっともっと綺麗な景色がたくさんあるんだ。」
「どんな景色?」
「そうだね。それは例えば、満天の星空だ。」
「お空?今も見えるよ?」
「この空も、すごく綺麗だ。でも、星空って言うのは、このお空とはまた違った、美しさって言うものがあるんだ。」
「うつくしさ!!」
「そうだ。家に戻ったら、母さんと一緒に、星を見に行こう。きっと、本当に感動すると思うよ。」
「やったーー!」
目の前が真っ暗になる。音楽も、プツン、と音を立てて消えた。
「何だ、ここ…。」
全く知らない場所にいた。目の前にあるのは、一つのドア。横を見ると、たくさんのドアが並んでいる。初めて見る景色。たくさんの色が並んでいる。
違う。初めてじゃない。
「リアの時と、同じだ。」
精神の回廊。人の記憶の中を除く、50代目の勇者が考え出した魔法。この扉は、あの、邪神の記憶だ。もしかしたら。この中を開けば、わかるかもしれない。この世界について。これまで帰ってこなかった、勇者たちについて。
ハッと気がつく。
「さっきのも、邪神の、記憶…なのか?」
家族で幸せそうにしている様子だった。あれが邪神とは、信じられなかった。信じたくなかった。
目の前のドアを見る。青色のドア。寂しさの記憶。他は、リアの時とほとんど一緒のものだった。
視界の端に、ありえない色が映った。
「リアの時と、同じ…。」
真っ黒な色のドア。たくさんの色が混じり、蠢いている。リアの時、このドアを開こうとした。でも、開けられなかった。もう一つ、横にドアがあった。真っ白なドア。リアの記憶では、こんな色はなかった。でも、まずは黒だ。しっかりと、周りを確認する。特におかしなところはない。覚悟を決めて、ドアノブを掴む。
「っく、うあああ!」
体全体で、抵抗するドアを押し込んだ。確かに押し込んだ。部屋の中を見る。
「え?」
そこはただただ、真っ黒だった。なにも、見えない。恐れるな、僕。入るんだ。中に。一歩を踏み出す。瞬間、ドアが消えた。いや、いま、そこにあったもの、全てが黒に飲み込まれた。
黒に、沈んでゆく。
パッ。パッ。
パッ。パッ。
白い、光が見える。次第に大きく、そして近づいてくる。確実に、ゆっくりと。次第に、光は人の姿を映し出した。小さな人影。さっきの記憶に出てきた少女だった。手には小さなランタンを持っている。小さいランタンで照らせる範囲は狭い。漆黒の中では、ただそこだけが浮き上がって見えた。少女が、僕の前を素通りする。何を、しているのだろう。彼女は、まるで、迷子の子供のようだ。少し寂しそうで、でもそれを我慢しているかのような。ゆっくりと、歩いていた。僕は、彼女の後についていく。
不意に彼女が立ち止まった。手に持ったランタンが揺れる。腕を上げて、ランタンを掲げた。光が飽和する。
「ねえ、どうして?お星様見にいくんじゃなかったの?ねえ、ねえ。」
景色の中の少女は1人、ベットに座っていた。少し大きめな声で、ドアに向かって話している。
ドアの向こうには、父親がいた。ドアノブを、握りしめている。まるで、ドアを開けさせまいと、しているみたいに。父親の目から、一筋の涙が溢れた。
「ああ、いくよ。お星様を見に。」
「本当?」
「ああ、本当だとも。」
父親の涙は止まらない。対照的に、部屋の中で嬉しそうにする少女。父親から、嗚咽が漏れる。
「なあ、一つ、聞いてもいいかい?」
「なあに?」
父親が、部屋の中にいる少女に話しかける。唇は震えて、涙は滝のように流れ落ちている。
「お星様が、好きなんだろう?」
「うん!お星様、大好き!お母さんが呼んでくれたごほんに、お星様がかいてあつた!」
「そうか。それはよかった。」
「うん!」
「それじゃあ、もし、お星様になれる、と言ったら、どうしたい?」
「お星様になれるの?」
「ああ、きっとなれるさ。」
「なりたい!お星様!お空でキラキラ!」
父親が、目を押さえて座り込む。必死に感情を出さないようにしているのが、見て取れる。実際の感情とは逆。笑いかけるような、温かい口調で、部屋の中に話しかける。
「きっと。きっと、もう少しで、お星様になれるから。」
「やったーー!!」
「くうううう…」
「お父さん?どうしたの?」
「いや、何でもない。なあ、体にいたみはないか?」
「うん。今はどこも痛くないの。」
「そうか。それじゃあ、おやすみ。また、明日。」
「おやすみなさーい!」
光が、消えた。再び、真っ暗闇には、ランタンの光だけが浮かぶ。少女はまた歩き出した。
再び立ち止まった。腕を上げて、ランタンを掲げる。光がはぜた。
「どうして。どうして、あの子がこんなことに!」
「落ち着いて、あなた。」
「落ち着いていられるか!自分の娘が、痛がっているんだ。苦しがっているんだ。なのに、私は何もしてやれないのだ。何も!」
「お医者様は、なんて…?」
「もう、手の施しようがない、と。」
「そう…」
父親と母親が、テーブルを挟んで話していた。父親の目からは、乾くことなく、涙が流れ続けている。
「あの子は!あの子は、言ったんだ。」
息をついてから言う。
「星になりたいって。」
母親は息を呑んだ。彼女の目は、すでに真っ赤だった。父親の一言に、静かに涙し始める。人々が寝静まった夜、静かに嗚咽が溢れた。
再び暗闇に戻る。さっきまで真っ暗だった周囲が、少しずつ明るくなり始めている。進行方向には、太陽のようなものが登ってきているのが見える。
「朝焼けだ…」
思わず呟いてしまう。
小さな背中が、また歩き出した。今度は、さっきよりも早く、荒い足取りで。僕は急いで彼女についていく。そして、遠くに人影が見えた。こっちに向かって歩いてくる。3人、いるように見える。2人は大人で、1人は小さな子供。子供を真ん中にして、3人で手を繋いでいた。
「ぐはああああ!!」
突如、ものすごい衝撃が体を襲った。痛い。全身が、痺れる。痛い。頭が痛い。重い何かで、殴られ続けているような、凄まじい痛み。
痛みに地面に膝をつく。何が起こっているのかわからない。状況を、確認しなければ。はやく。痛みに耐えながら、両手を地面につき、顔を上げる。
「は………?」
目の前に、僕がいた。何かに悶えているように、地面に手をついて、必死に顔を上げている。今目の前に映っているのは、僕か?なら、この僕は…。両手を、誰かと繋いでいる。自分よりも背の高い、誰かと。
「父さん…?母さん…?」
ハッとして、冷静になる。
違う。これは、僕じゃない。今の僕は、僕じゃない。
「ぐはああああ!!」
またものすごい衝撃が全身を襲う。しばらくすると、痛みが和らいだ。前を向く。
さっきからいた、3人。楽しそうにおしゃべりしながら、スキップしている。そして、僕の横を通り過ぎていった。
「なんだ、今の…」
不意に、後ろから声が聞こえた。
「お姉ちゃんの分も、しっかりと生きるんだよ。リアム。」
なぜか、振り返ってしまう。自分が呼ばれたかのような感覚だった。
さっきまでいた少女は…どこにいった?
前を見て、驚く。少女がこちらを振り返り、先ほどの3人を見ていた。異常なほどに、冷徹な目で。
怖い。
無意識に、そういう感情が湧いていた。
再び少女は、前を向いて歩き出した。もうあたりは明るい。太陽の位置が、さっきとは変わって、反対側にある。夕焼けだ。
僕は少女について歩く。そして、見てしまった。丘の下のベンチに座る2人を。成長した、リアムを。
「あれは…僕だ……。」
丘の下のベンチに座る男女。名前は、リアムと、シャーロット。夜になり、空には満天の星が輝く。僕には、わかる。あそこにいるのは、僕だ。好きな人の、隣に。大事な時間を抱えて。
やめろ…やめてくれ…これ以上は…。
目の前にいる少女が、手を挙げた。瞬間、大きな音と共に、座っている僕たちの上に、ゆっくりと闇が降る。
こいつだ。そう、確信する。こいつが、僕を、僕たちを。
殺した。
そして、その残酷さは続いていく。
僕の人生は、ここでは終わらない。
「リア!」
「どうしたの?ハル。」
「リア。バスは……バスは、横向きには、走らない。」
そうしてまた、悲劇を繰り返す。
「死ぬんじゃねえぞ、『勇者様』」
「ああ。」
レストラン「れすとらん」のおっちゃん。真面目な顔で返事をしているのは、僕だ。そして、僕は知るのだ。
「邪神を討伐に行った勇者は、帰ってこない。」
目の前に立つ少女がニヤリと笑った。
僕は叫んだ。
「お前があ!お前がやったのかあ!!」
もう、自我はなかった。
本気で殴りかかった。でもその拳は、彼女の体を素通りする。なんども、なんども、彼女の体の中で空を切る。
「お前が、全部、全部、僕から奪っていったのかあ!!」
絶対に収まらなかった。この感情はなんだ。涙が流れる。
僕の幸せを、僕の喜びを、全部、奪っていった。僕の大切なものを、全部。許せない。絶対に、許さない。
体をめちゃくちゃに動かしたせいで、全身が痛い。
「はあ、はあ、はあ、はあ。」
僕はその場にへたり込んだ。落ち着いて少し考えてから、気がつく。
こいつは、僕と両親が同じ?どういうことだ?僕は、あの2人の息子として生まれた。こいつは、あの2人の娘として生まれた。そして、僕が生まれるより前に、死んだ。僕とこいつには、血のつながりがあって、両親が同じ。つまり、こいつは、邪神は、僕の……
「…姉……さん………?」
目の前が全て、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。




