答えと、邪神。
そろそろ日が沈む。僕は木の上に登って、沈みゆくこの世に唯一の星を見ていた。完全に暗くなった空にはただ、闇が降っている。何もない、ただただ漆黒に染まった空。
世界が一気に、暗くなる。
僕は、勇者だ。名前は、ルカ。この世界を救う運命背負って生まれた。それは何者にも覆せない決定事項。この世界が、決めたことだ。
だから、僕はもう、あきらめる。世界を救う覚悟と表裏一体となるその言葉は、今の僕に、ストンと、落ち着いた。
「僕は、諦めたんだろうか。」
そう、口に出して自問する。でもやっぱり、少し違う気もする。諦めること。それは、全て投げ出すこと。今僕は、動いている。決められた運命に沿って、かつての勇者たちの様に。それを、諦めた、なんて言葉で表現したくなかった。それを認めてしまえば僕は、決めたはずの薄い覚悟でさえ見失ってしまう気がする。
「邪神を倒す。そして、生きて帰る。」
そう、それが目標だ。そんなの無理だって、誰かがぼくの中で呟いた。
無理……。少し、こんなことを悩んでいる自分がおかしくなってくる。
いいじゃないか、別に、高すぎる目標を掲げたって。それで死ぬ時に、後悔が残らないのなら。別に、いいんだ。
行かなきゃ。
そう呟いて、木から飛び降りる。ここではない場所で光る月が、また、遠ざかっていく。
僕は一体、何を考えているのだろう。これまでの人生を振り返る。
失ったものばかりだ。生まれ故郷のみんな。ヴィス。そして。
「リア……」
彼女をあの街に置いてきたのは、正解だったのだろうか。そんなこと、今考えても仕方がなかった。今ではもう、自分だけを、自分の行動だけを信じるしかない。僕は勇者。命をかけて、この世界を、この美しい世界を守る、たった一人の存在。
行こう。僕が、終わらせるんだ。
誰かの悲しみも、苦しみも。
僕の、人生も。
走っていた。ただひたすら、走って、走って、走り続けている。ルカ。ルカ。彼のもとへ、いかないと。彼に、追いつかなければ。
「君は、主人公か。」
私は自分に強く問いかけた。あの街を出る時、メガネをかけた男性にもらった、二つ折りの紙。その中に書いてあったのは、その十文字にも満たない問い。
私は、主人公だろうか。
答えはまだ出ない。でも、私の中で何かが、確かに真実に近づいていく足跡が響いている。
私の名前は、リア。この世界で今、自分の人生を生きている。
私の憧れた、主人公。それは、どんな困難にも逃げずに立ち向かい、最後には幸せを勝ち取る、他の誰よりも、希望を持ち続ける存在。そんな主人公は、きっと一人ではない。果てしのない旅の中できっと、仲間を見つける。そして、巻き込むのだ。彼ら自身の、物語に。時に、傷ついた仲間を主人公は励ます。時に、崩れかける希望を、仲間が支える。
皆んながみんな、役割を持っているのだ。その、物語の中で。互いの物語を彩り、彩られる。その連鎖。その時、私の中で、私の誰かが、真実に少し、触れた気がした。
思いついたのだ。
ふさわしい、言葉を。
私は、主人公だろうか。私は、私の物語を生きる、そんな存在だろうか。
答えは、否。
自分一人では成立しない人生を、生きている、そんな存在。時に、想像もしないことが起きる。それは、誰かが私をそうするのかもしれないし、私が誰かをそうしてあげるのかもしれない。
私から始まり、たくさんの役割を持つ人たちに、彩られていく、この人生。それなら私は、私という、物語の中心人物を、送り込む存在。そんな存在を表す言葉を、私は知っている。
「私は、私はきっと。」
不意に出た涙は悲しみによるものではない。希望でも、感動でも、喜びでもない。
真実に近づいた時に流す、感情のない救いの涙だ。
どこだ。どこから、来る。
僕は、全身の神経を集中させ、敵がいつ攻撃してきても反撃できるように、身構える。
もうすぐだ。もうすぐ、全ての悪夢の元凶が、姿を現す。僕が邪神を倒す。それで、全部終わりだ。そんなとき。
「なん……だ……これ……。」
目から、滝のように涙が流れ始めた。おかしい。体が、いうことを聞かない。なんで、今ここで涙が出るのだろう。こんな、世界の命運が託されている、大事な時に。
その時だった。風が巻き起こり、僕の視界を塞ぐ。
邪神だ。ついに、現れる。ついに、きてしまったのだ。この時が。覚悟をきめろ。偽物でも、薄いものでもない、本当の、覚悟を。
うっすらと、風の渦の中に、なにがいるのが見えた。僕は大剣を抜いて、風を切り裂き、大きく振りかぶった。この一発で終わるなら。そう思って、全身の力と、限界までの魔力を込める。
「うああああああ!!」
風が途切れ、奴が姿を現す。でも、そこにあったは、本当に予想もしない光景。
「人……?」
人が、立っていた。僕やリアと同じくらいか、年上くらいに見える女が、そこにいた。
思わず力を緩めてしまう。いや、待て。人が、こんなところにいるわけがない。そう思い直して、また力を込める。
彼女がこちらを見た。
細い目に、冷徹な表情。長い黒髪が風に広がっている。そしてわその目を大きく開いた。飛びかかっている、僕が写っている。そして邪神は、次の瞬間。
笑った。幸せそうに、目をさらに細めて、微笑んだのだ。
なぜか、全身の力が抜ける。だめだ。攻撃が、できない。体が全く、いうことを聞かない。目の前にいるのは邪神。しっかりしろ、僕。剣を、振るんだ。こいつを、倒すんだ。早く。早く。動け。
彼女のすぐ前、手が触れそうな距離。僕は何もせず、ただ着地した。そして、膝をつく。
何も、できない。今、目の前に邪神がいるのに、全く動けないのだ。きっと、体の問題ではない。僕の心の、明らかな異常。唇が、震えている。
突然、目の前にいる邪神から、何か言葉が聞こえてくる。
「やっ……会え………」
邪神から発せられたとは思えない言葉に、目を見開く。いま、こいつはなんと言ったのだ。やっと……?
邪神の顔を見上げた。
「な………」
全身が、凍りついた。そこにあったのは、まるでおぞましいものを見るかの様な、残酷で、冷酷な目で僕を見下ろす、恐ろしい顔。
怖い。怖すぎる。唇の震えは、ひどくなっていく。剣を握る力などない。それでも、ほんの少しの魔力で、魔法を使う。
ドカーン!!
ものすごい衝撃と共に、自分の体が吹き飛ばされた。魔法をあの至近距離で使ったのだ。空高くまで、吹き飛ばされる。でもこの時間は、凍りついた体を溶かすのには十分だった。指。足。口。よし。動く。下に見える邪神を見る。体はまっすぐ、邪神に向かって落下し続けている。
チャンスは、一回。きっと、まともに戦っても、絶対に勝てない。それは、さっきのことで分かった。あの冷たい視線。すぐに動けなくなった。時間が必要だ。彼女を倒す方法を、探す時間が。
そして、全力で叫んだ。
「我が名、勇者ルカのもと、記憶を蘇らせたまえ。精神の回廊!」
全身の神経を集中させる。こいつの、邪神の、記憶の奥深くまで。深く、深く。潜っていく。深く、深く、沈んでいく。




