叔父
温かい。そう、感じた。ここは、一体どこだろうか。すごく幸せで、もう動きたくなくなるような。あたたかい幸せの中。今、夢を見ている。
小さな子供が2人、公園で話し込んでいる。
「ねえ、ハル。れんあいって、知ってる?」
「れんあい?」
「そう。昨日お母さんがえいがを見ながら言ってた。」
「えいがを見ながら?じゃあ、だれか、でてくるひとの名前じゃない?」
「そうなのかな?」
「さあ。おれもわからない。そうだ!おれの叔父さんに聞きにいくっていうのはどう?」
「ハルの、叔父さん?」
「そう!なんかね、ことばをけんきゅうするのが仕事なんだって!」
「すごーい!行こうよ!」
「うん!いま、おれんちにいるんだ。」
「やった!」
「よしいそげ!」
彼らはそう言って、ハルの家へと向かう。彼の家では、彼の叔父がコーヒーを飲んでいた。
「兄さん、子供たちは元気かい?」
「ああ、元気にやっているよ。今も、こんなに暑いのに、公園に遊びに行ってるよ。」
そう答えたのは、叔父の兄。ハルの父親だ。
「そうか、それはいいことだよ。子供は遊んで楽しむのが仕事なんだ。」
「相変わらずおっさんくさいこと言うんだな、お前。」
「ははは。言葉の仕事をしていると、こうなっていくんだよ。」
コーヒーを啜る音が小さく響く。冷房の効いた室内は、少し肌寒いくらいだ。
「ただいまーー」
「えっと、お邪魔しまあーす」
子供達の元気な声が響く。
「やあハル。楽しかったかい?」
「叔父さん!うん、楽しかった!」
「おや、リアちゃんじゃないか。久しぶりだね。」
「こんにちは!」
リアに久しぶりに会った叔父は、目を細める。まだ20代の彼は、異様なほどに大人びている。
「叔父さん叔父さん!」
「なんだい?」
「あのね、聞きたいことがあるんだけど、『れんあい』って、なに?」
「ほほーう。もうそういう年頃なのかい。そうかそうか。教えてあげようじゃないか。」
「やったー!」
喜んだのは、リア。目を大きくして、興味津々だ。
「恋愛、という字は、恋と書いて、次に愛が来る。恋愛っていうのは、まず、好きな人を見つけるところから始まるんだ。」
「好きなひとを、見つける……」
「そうだ。そうすると、その人に、自分を好きになって欲しい、という感情が生まれる。それが、恋だ。」
「こい!」
「次に来るのは、愛。これは、好きを超えた感情のことだ。好きになれば好きになるほど、その人とずっと一緒にいたいと思うようになる。その人を、もう離したくなくなるんだ。それが、愛しているということ。」
「あい!」
「つまり、恋愛というのは。」
「れんあいとは!」
「私にもわからん。」
ガクッと、子供2人がこける。高らかに笑う叔父を、床から呆けた顔で見上げていた。
「そんな顔をしないでくれるかな?大体、私がそんなものを知っていたら、今頃兄さんみたいに幸せな家庭を築けていたはずさ。」
「確かに!」
複雑というように笑みを浮かべる叔父。いまこの家に飽和する幸せを、噛み締めているようにも見える。
「それじゃあ、私はもう帰るよ。幸せな時間を、どうもありがとう。」
「ああ、気をつけて帰ってくれ。」
「ああ。また会おう、兄さん。」
そして叔父が帰る。彼が帰った後には、古びた思い出の匂いが残った。
夢が、覚める。幸せの温度が再び、下がっていく。
朝日が昇る前、寝室の窓に当たる雨粒の音で目覚めた。あの匂いが、まだかすかに残っている。目を閉じると、両目から涙が溢れた。何か、すごくいい夢を見ていた気がする。すごく幸せな、どこかの家族の夢。今見た夢の内容を、思い出そうとする。そう、あれは昔の記憶だ。あの、幸せだった時間の記憶。今はもう亡き兄さんと、甥っ子であるハル。そしてリアちゃん。そして、その輪の中に、私もいた。窓の外に目をやる。もう少しで朝日が昇る。
「さてと。準備をしなければ。」
車に乗り込む。ハルの入院する病院は、家からは少し遠い場所にある。だが、到着までにかかる、この短いとは言えない時間が、私は嫌いではない。あの病院に入院することは、ハル自身が選んだのだ。理由は、なんとなくだが察しがつく。あの病院は、リアちゃんの家に近い。きっと、彼女と死ぬまで一緒にいたいという、彼の願望があるのだろう。
しばらく運転したのち、私は病院の前に到着し、車から降りる。今日はお見舞いの品として、たくさんのフルーツと本を持ってきた。ハルは本を読むのが好きだ。小さい頃は、私が彼らの家に行くといつも、読んだ本の感想を聞かせてくれた。それを聞くのが、私の楽しみでもあった。
病室の扉をノックする。「はい」というハルの声が聞こえる。私は扉をスライドさせ、中に入った。白で覆われた病室。薬品の匂い。その奥に、甥っ子がいる。彼は窓の外を見ていた。
「外に何かあるのかい?ハル。」
彼がこちらを向く。死んだ兄さんにそっくりだ。彼の目鼻立ちや、持つ雰囲気。そして、優しい性格。
「さっきまで、リアがいたんだ。いま、病院からでていくところが見えたから。」
「そうか。今日も来てくれたんだね。」
「うん。」
そう返事をする彼の表情は、嬉しそうで、どこか寂しさも持っている。
「ハル、こっちは、フルーツ。こっちは本だ。」
「ありがとう。でも、それは見ればわかるよ。」
彼との何気ないやりとりは、私に幸せを届けてくれる。兄さんたちが死んで、ハルと一緒に暮らすようになってから、こんなふうに幸せを自覚することが増えた。
「そうだ。先週持ってきてくれた本、あれすごく面白かった。」
「そうか。それはよかった。」
「少し難しくはあったかな。でもすごく面白い。ちょっと気になる、と言うか、表現をかえた方がいいと思う場所ころは多かったけれど。」
「そうか。作った人間として、ぜひ聞きたいな。」
「どういうこと?」
「あれは、私が書いた本なんだよ。」
フルーツに手を伸ばしていた彼は、私の言葉に驚き、目を見開く。
「え!?あれ、叔父さんが書いたの?」
「そうだ。今度、出版しようと思っている。」
「すごいよ!叔父さん、物語も書けたんだ!」
「そうだね。最近色々挑戦しているんだよ。」
ハルがその本を取り出してもう一度見返している。喜んでもらえたみたいだ。少し安心する。
「そうだ、さっき、ハルが気になるところがあったといったね。今後の参考のために、どこか教えてくれないか。それに、気になるだろう、そういうところをそのままにしておくと。」
「わかった。えーっと、何個かあるんだけど、まずはこれかな。」
「どれどれ。」
メガネをかけて、彼の開いたページを覗き込む。彼の指は、ある一行を指さしている。そこにはこう、書かれていた。
【ここは、異世界だ!】
それは、私の書いた物語の中で、主人公たちが、森の中に迷い込み、その森を抜けた時のセリフだった。そのたった10文字にも満たないセリフに、彼は何を思ったのだろう。少し楽しみだ。
「表現が俺好みじゃない!」
予想外の回答に、ひとりでにメガネがずり落ちる。どうもこのセリフの表現が好きではないらしい。
「えっと、もう少しわかりやすくお願いできるかい?」
「あ、ごめん。えーと、つまり、表現がこの世界観に合ってないと思うんだ。」
「世界観に合ってない、と。」
「うん。この物語は、本当に神秘的で、感動的な物語なんだ。」
そういってもらえるのは嬉しいのだが、一体何がダメなのだろう。
「この、異世界っていうことば。叔父さんくらいの年齢の人は特に何も思わないのかもしれないけど、最近の人が異世界って言葉を聞くと、異世界転生、とか、そういう面白おかしい作品を思い浮かべることがおおいと思うんだ。」
なるほど。読む年代への対応ができていない、と言うことか。確かに、それはそうだ。ハルに読んでもらえてよかった。私1人では気がつかなかっただろう。
「まあそこはそことして。」
「ああ。他はどこだい。」
「もう一つあるのは、表現のことじゃなくて、少し深い話。」
「ほう。」
彼が開いたのは、全体でいう後半のページだ。この物語のテーマとも言える、旅が続くか続かないかの大事なシーン。
「これ。」
主人公が、仲間を鼓舞する時のセリフ。
【俺たちは、この人生の、主人公なんだ。だから、諦めちゃいけない。】
「なるほど。今度はどんなことを感じたんだい?」
「これは完全に僕の個人的な考えなんだけど、この、『主人公』っていう言葉、なんだか違う気がする。」
そこに来るとは全く予想していなかった。この物語の根幹とも言える、そのキーワード。
「俺思うんだけど、別に主人公がいなくなっても、物語は続いていいと思う。」
「ほう。」
「だからこの、主人公だから、諦めちゃいけないっていうのが、あんまりしっくりこなかったんだ。もうちょっと、しっくり来る言葉がある気がして。思いついたわけじゃないけどね。」
本当にすごい。私はそう思った。私が考えていたのとは違う次元から、この物語を読んでいる。彼は、純粋な目を持っているのだ。なんのフィルターも挟まずに、この世界を見通す目。それは、彼の悲惨な過去から生まれたものかもしれない。彼ほどに過酷な人生を送る人間を、私は見たことがない。
生きて欲しい。心からそう思う。でも、それがもう叶わないことはわかっている。この世界は、彼を失ってもなお、物語を紡ぎ続ける。それを見通した深い結論を、彼は探している。そんな気がした。
「ありがとう、ハル。まるで、目から鱗が落ちたようだよ。少しハルの意見も取り入れてみようと思う。」
「いや、ちょっと待った。」
そういうと、なぜか彼が少し悩むように目を閉じる。そして、窓の外に顔を向けた。彼は、世界を見ている。誰よりも綺麗で、きっと世界で一番の純粋さで。
ハルが立ち上がり、窓の前に立った。慣れた手つきで窓を開け放つ。空気のこもっていた病室に、風が入ってくる。それはまるで、彼が、外の世界を彼の中に取り入れるかのようだ。彼は、太陽の光を全身に浴びる。そして振り返った。
「叔父さん。」
彼の放つ優しい声。風に揺れる、伸びた髪。窓から差し込む、光の輪。
美しい。直感的に、そう感じた。言葉では言い表せない、この感動を、どう伝えたらいいのだろう。ゆっくりと瞬きを数回した彼は、口を開く。
「叔父さん。その本は、そのまま出版して欲しい。」
少し驚く。彼は先ほど、気になる点を口にしていた。それは、そうで合って欲しい、ということではないのだろうか。
「確かに、俺にとって、叔父さんの書いたその物語は理想とするものではない。だけど。」
ゆっくりと、大切なことを口にするように、彼は話す。
「きっと、その物語を必要とする人も、この世界のどこかにいる。」
私はただただ、彼の言葉に胸を打たれていた。
「その人は、もしかしたら自分を見失った人かもしれない。その人は、生きるのが辛くて、苦しい人たちかもしれない。そういう人たちに、希望を与える。きっとそういう物語なんだ。だから、そういうたくさんの人たちを。」
言葉を噛み締めて、選び抜く。そうして彼が導き出すのは、いつも、暖かくて、純粋な答え。
「叔父さんの言葉で、導いてあげて欲しい。」
私の目から流れ落ちているのはきっと、兄と、そして彼を失う悲しみの結晶だけではない。
もしかしたら、彼がしたかったことを、私に託してくれているのかもしれない。
深く、もっと深く。彼の言葉は、私の心の核に沁みた。




