願いを。
開いた窓から吹き付ける風は、とても暖かい。私は、この世界の空気が本当に好きだ。すごく綺麗で、何かを求めて走り出したくなるような空気。特別なものがたくさん、詰まっている気がする。
「リア。キャンプに行こう。」
「え?」
ルカと話をした次の日。私は、彼の話の続きを聞こうと、彼の部屋に来ていた。いきなりこちらを振り向いて、何を言うかと思えば、キャンプである。
「どうしちゃったの?ルカ」
自分がポカンとした顔をしているのが安易に予想できる。キャンプ?なんで急に。
「と言うか、キャンプというなら、これまでの旅でも毎晩似たようなものじゃなかった?」
ルカが、少し考え込む様子を見せる。どういうことだろう。今更キャンプなんて。
「そうか。それもそうだね。」
そう言って、机に置かれた紙を手に取って、何か書き始めた。わけがわからない。彼は、どうしてしまったのだろうか。思えば最近、何か変なことを言ったり、おかしな行動をすることが多い。絶対に、何かある。何か、私に隠しているのだろうか。
「ねえ、ルカ。」
「うん?」
「私に、隠していること、ない?」
その瞬間、彼の顔がひきつった。何かに怯え、驚いているような。たくさんの感情がごちゃ混ぜになっているかのような。彼の、初めてみる顔だ。
「ルカ?どうしたの?」
返事はない。彼の目は、私を捉えてはいなかった。明らかに、この世のものではないものと目が合っている。そんな気がする。
「ルカ?ルカ?大丈夫?」
慌てて彼に駆け寄って、顔を覗き込む。彼が口を開いた。
「…星………。」
「星?星がどうしたの?」
「見える……」
今は昼間だ。空に目を向けても、星なんて、見えるはずもなかった。
「ルカ?本当に、大丈夫?」
彼に目を戻す。その表情に、本当に驚く。
泣いていた。ルカが、静かに涙を流している。全く声もあげず、まるで死んでしまったかのように。私も、声が出せなくなっていた。
「ル…カ…?」
その瞬間、漆黒に染められたようだった彼の目に、光が戻った。数回、瞬きをする。
「リア?」
「ルカ?」
こちらを見て、びっくりしたような表情を浮かべる。私は、いつのまにか至近距離で、彼の顔を覗き込んでいた。慌てて離れる。
「ルカ?大丈夫なの?」
「何が?」
なんのことか、わからないといった表情。私も、もう何が何だか、よくわからなくなっていた。
「ううん、なんでもない。」
「そっか。」
「うん。じゃあ、私、部屋に戻るね。」
「あ、うん。じゃあ」
今日もまた、聞けなかった。私は彼のことをまだ、全然理解できていない。それに、彼も、彼自身を理解できていない。そんな気がする。
「ルカ、大丈夫、かな。」
疑問と不安が、頭の中に残っていた。
リアが出ていった後、僕は少し体を伸ばす。なんだかリアの様子がおかしかった気がするけれど、気のせいだろうか。窓の外に目をやる。外では小鳥が羽の手入れをしている。
最近、よく夢を見る気がする。なんの夢かはわからない。寝ている時にみる夢とも、何か違う気がする。何か、何か大事なものを思い出しそうになる感覚。すぐに忘れてしまう。それは、いつも唐突にやってくる。例えば、降り出した雨粒が、手の甲に当たった時。野営をしている時。リアと、話をしている時。
「なんなんだろうなあ、ほんとに。」
夕陽に向かってぼやく。僕は、外に出て、今は橋の上を歩いている。この街で1番の歴史的建造物。約400年前に作られたものらしい。石造の丈夫で、そして大きな橋。その縁を歩く猫を見つけ、立ち止まる。動物を見るといつも思い出す。ヴィスが吠える声。今では僕の、邪神討伐への1番の……そう、リアに言わせるならば、1番の、もちべーしょん?になっている。こっちに寄ってきた猫に、生えていた草をちぎって、目の前で振る。しばらく猫と戯れていた。
「お前、ちょっとリアに似てるな。」
よくわからないところが。そうだ。僕はまだ、リアのことを全然理解していない。こことは違う別の世界から来たという。それは真実だ。彼女の記憶を見たから、わかる。彼女にもう一度、あの魔法をかければ、もっと細かいことがわかるのかもしれない。でも、それをしてしまうのは、絶対に、違う気がした。人の記憶を勝手に覗くことは、あれで最後。そもそも、そう簡単にやっていいことではなかった。
「なんて魔法を生み出してるんだよ。」
一つ気がつく。50代目の勇者は、自分で魔法を生み出したのだ。もしかしたら、魔法というものは、自分で生み出せるものなのだろうか。それなら。僕の生み出したい魔法は。
「月よ、いでよ。」
空に手を掲げてそう、言った。雲は高く、川は長い。時間が、穏やかに流れている。そう簡単に魔法が作れるわけもなく、年頃じゃのう、という老婆の呟きが僕の耳に届いただけだった。
僕は部屋に戻ってきた。そして、机の上に置いた紙を手に取る。そこには、2個ほどの項目と、一行ずつの文字の列がある。僕が書いたものだ。そして、そのいちばん上の行に書かれた文字の列には、チェックマークが書かれている。
「これは、もう達成してたからな。あと一つ、残りのものをやろう。」
さて、リアに言いに行かなければ。
そうして僕は紙をまたテーブルに置き、部屋から出る。残されたその紙のいちばん上の行には、こう書かれていた。
〈リアとキャンプに行く。〉
バーン。と扉の開く音。
「リア!旅に出るぞ!」
「え!?」
ノックもなしに部屋に突入して来たルカが、予定にないことを言い出している。
「もう?もう、討伐に向かうの?」
彼がポカンとした表情を浮かべる。違ったのだろうか。
「いや、邪神討伐までは、まだ時間がある。」
「え、じゃあ、どうして?」
彼がもう一度、ポカンとした顔を浮かべる。本当に彼は、どうしてしまったのだろうか。
「確かに。なんでだろう。」
「え!?」
だめだ。なんだか、こっちまで混乱してくる。どう言うこと?旅に、行きたい?旅なんて、これまでずっと続けていたはずだ。
うーんと唸っていた彼が、諦めたように腕組みを解く。
「理由はまあいいや。まだ時間あるんだし、旅、行こうよ。」
未だによくわからないが、彼が行こうと言っているのだ。これまで一緒にいて、こんなことはなかった。つい興味を持って、旅に出ることを承諾してしまう。
準備をしながら思った。彼のことを知れる、いい機会になるかもしれない、と。
私たちがいた家の門からでる。思えば、私はここ二日間ぐらい外に出ていなかった。光が眩しく感じる。先に立って歩くルカに、話しかける。
「ルカ、目的地はどこなの?」
「綺麗なところ。」
そう即答された。とりあえずわかったのは、彼に話す気がないということ。何を言っても適当に返されそうな気がして、その詮索は止める。
途中で、大きな橋を通った。とても古いように見える。
「ルカ、この橋、なんていう橋か、わかる?」
ふと気になったので、聞いてみた。彼が歩調を緩めて私の隣に並ぶ。
「名前は僕もわからない。でも、すごく昔に作られたものらしいよ。一応この街の名物になっているらしい。」
「へー、そうなんだ。」
そう聞いた後でもう一度橋を見てみると、なんだかすごいものに思えてくる。さっきと見ているものは同じなのに。人間というものは、本当に不思議だ。言葉一つで、世界の見え方がこんなにも変わる。ルカに出会ってから、そういうことが増えた気がする。
もうすぐこの街から出る門がある。私は、まだ見ぬ様々なことに思いを馳せ、胸を高鳴らせていた。
辛かった世界はもう、忘れ去られようとしていた。




