幾度目かの地獄
痛い。全身が、痛い。体が内側から叩かれているような、耐え難い痛み。意識が朦朧としてくる。視界もぼやける。なんで、俺がこんな目に…。痛い。痛い。痛い。
もう、死んでしまいたい。
「ハル、大丈夫?ハル?」
「落ち着いてください、大丈夫ですよ。」
なんだかたくさんの音が聞こえてくる。
俺はきっと、もうすぐ死んでしまう。ああ、やっぱりまだ、死にたくない。やり残したことがたくさんある。
いつか、リアと2人でキャンプをするのが夢だった。別にキャンプが好きなわけではない。ただ、リアと2人でいられる時間が、欲しかった。きっと楽しいんだろうなあ。テントを広げて、火を起こして。2人で作ったごはんを食べる。それがぜんぶおわって、暗くなったら、星を見に行きたい。森から出て、川を渡って、周りに何もない場所へ。2人きりで空を見上げたい。きっとその空は、本当に綺麗だろう。どんな美しい絵画よりも。どんなに綺麗な写真よりも。テントの中で、君と手を握り合っていたかった。きっとそれは、本当にあったかいんだろう。流れる溶岩よりも。空で輝く太陽よりも。
きっと楽しいんだろうなあ。
俺の喜びは、ぜんぶ君だった。
俺の幸せは、ぜんぶ君だった。
俺の一番は、全部。
「リ…ア……」
そう、あの時から、ずっと。
「えいっ!」
「んあ、リア!かおは、はんそくだろ?」
「えー?そうだったかな?」
「なんで忘れてるんだよ!さっき決めたばかりじゃないか!」
「えへへ」
「えへへって…。じゃあもう一回、最初から。」
バシャッ。冷たい雪の塊が笑顔に命中する。
「いったーい!ちょっと、ハル?」
「ぶはははは!」
「お返し!えい!」
「ブフォッ!」
心身と雪が降り積もる冬の公園。俺は、リアと雪合戦をしていた。周りの住宅のほとんどが、カラフルになる、一年に一度の日、クリスマス。なぜこの日に2人だけで雪合戦をしているのか。それは、少し前に遡る。
「リアちゃん、ハル。私たち、みんなでお買い物に行ってくるね。」
「おかいもの?」
「うん。だってね、今日は、クリスマスなんだよ。」
「クリスマス!ヒゲのおじさんの来る日!」
リアが心底嬉しそうに飛び上がっている。
「そう!それで、リアちゃんのパパとママも一緒に、みんなでお買い物に行くの。」
「ごちそう?」
「ご馳走!」
「わーい!」
本当に元気なのだ。リアは。隣でぴょんぴょん飛び回っている俺も。
「だから、2人は、お家でお留守番していて欲しいの。」
みるみるうちに顔が真っ赤になる。2人の。
「なんで!俺も行く!」
「私も!」
困った顔の母さんたち。少ししゃがんで、目線を合わせてくる。そして、何か思いついたかのように笑顔になると、言った。
「お利口にお留守番できたら、サンタさんに、プレゼントおっきくしてって、たのんであげるよ!」
「やったー!」
重なる、2人の声。
「それじゃ、行ってくるね。外には出ちゃだめだよ!」
「はーい!」
威勢のよい返事はむだである。ハルとリアは、彼らの両親たちがいなくなったのを確認すると、すぐに家の外に繰り出した。
「リア!公園行こうぜ!」
「うん、雪合戦!」
長い間遊び、手がかじかんでくる。
「リア!」そろそろ戻らないと。そう思ったハルは、リアを呼んだ。
「そろそろ帰らなきゃ。」
「えー残念。」
「また明日、一緒にやろう。」
「うん!」
家に向かう。俺たちの家は、隣同士だ。
「あ、ハル!見て!お母さんたちじゃない?」
僕らの家の裏側にある、小さな丘。その上を、バス停に向かって走ってくる。
「ハル、家に入らないと!怒られちゃう!」
何かがおかしい。いま、見ているこの景色の、何かが。
「リア。」
「ハル、早く!」
「リア!」
「ハル…?」
気づけば、両目から涙が流れ落ちていた。そんなことは気にならなかった。目の前の光景の、あまりのおかしさに。完全に気を取られていた。
「リア。バスは。」
そう、バスは。
「バスは、横向きに走らない。」
凍った道でスリップしたバスは、丘を転がり落ちていく。そして。
俺の家に、その巨体が降った。
【バスの乗客15名、全員死亡。重軽傷、2人。】
ニュースにはまた、無機質な文字が並んだ。
「どこだ、ここ…」
白い壁に、白い天井。すぐに病院であることを認識する。耳がよく聞こえない。僕を一目見た人影が、病室を出て走っていった。
「うう…」
体を起こそうとする。長い間寝ていたのか、筋肉の使い方を忘れてしまったかのように、力が全く入らなかった。
扉が勢いよく開き、医者と看護師が入ってくる。さっき病室から飛び出していったのは、看護師の方だろう。医者が近づいてくる。
3年前。俺は、あのバスの事故に巻き込まれた。飛んできた破片に打たれ、意識不明の重体。その状態が、今まで3年間続いていたらしい。おぼろげげな記憶を辿って、名前を思い出す。
「リアは。リアは、無事ですか?」
医者が頷くのを見て、安堵する。彼女は軽傷で、3年前にすでに日常生活に復帰。今は中学校に通っている。
「家を。家を、見に行きたいです。」
警察官が同行した。何か悪いことをしている気分だ。僕の家があったところは、今はもう、更地になっていた。黒い慰霊碑が目に入る。枯れた花束が立てかけてあった。
父さん、母さん。おじさんに、おばさん。あんなに優しかった。あんなに暖かい人たちだった。それなのに、彼らはみんな、僕の前から姿を消した。ただ、そこにいた、という記憶だけを残して。
「うあああああああああああ!」
無意識のうちに叫んでいた。
信じたくない。信じられない。みんな、みんな、いなくなった。家族も、家も。そして自分も。
この世界に、俺と、リアだけを残して。
「リア…」
「ルカ、みて。この本の主人公、ルカに似てるよ!」
どこがだよ。という返事。
「私たちもさ、こんな、素敵な人生の、主人公になれるかな??」
「主人公?なれるんじゃないの?」
「そうだね!」
あの時の笑顔が、まだ残っている。
「なんで、なんで僕は、こんな人生なんだ!」
これまで読んだ本には、主人公は最後には幸せになるって。ならなんで。
「どうして、僕はこんな人生の主人公なんだ!」
抑えきれなかった。自分の中の声を、全部吐き出した。涙は枯れない。止まって欲しいと思えば思うほど、流れ落ちていった。雪が降り始める。あの日と同じ、柔らかくてふわふわした雪。握ると冷たくて、でも、雪玉にはピッタリの、そういう雪。
気がつけば、走り出していた。慌てて追ってくる警官から逃げるように、全力で走り出した。小さな段差で転びそうになる。起き上がる反動を使って、脇の森に入った。走って、走って、全身をめちゃめちゃに動かした。体がちぎれそうな感覚。皮膚を貫く寒さ。そんなのはどうでもよかった。
木の枝に服が引っかかり、転ぶ。涙はまだ、やまなかった。手に、何かが触れた。太くて、大きくて、ざらざらするもの。
「木…?」
大きな木が一本、立っていた。その木のの下の方にあいた、大きな穴に目がいく。半分雪に埋もれたそれは、雪に隠れたくないかのように、そこに存在を主張していた。
「なんで、こんなところに…」
止まらない涙は無意識だ。俺は、その木が放つ空気に、全神経を注いでいた。そっと手を伸ばし、穴を覗き込む。
「本…?いや、日記帳、か?」
白い表紙に印字された、金色の文字。英語かはわからない。中から取り出す。本が重いせいか、少し抵抗を感じた。背筋に寒気が走る。怖いのか?この本を開くのが。
本を持つ指先が震えている。かじかんで真っ赤になった手は、本の感触すら、伝えることはなかった。震える指で、表紙を開く。たった一言、書かれていた。
「君は、主人公か。」
意味がわからない。放心して、膝をついた。




