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コロナ異動で来た男  作者: バッシー0822


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2.飲み会の喧騒の中で

田中慎吾は、目の前で繰り広げられる「会社の将来についての熱っぽい(ふりをした)議論」を、すっかり冷めた目で見つめていた。大声で持論をぶち上げているのは、企画畑の若手と、それに相槌を打って上機嫌な課長だ。

「……で、ですよ! 田中さんところの旧事業部は、この新しいプラットフォームにどう絡んでくるんですか? もはや、我々の部門が推進役にならなければ、会社の未来はない!」

熱弁を振るう若手は、慎吾に話題を振ったが、それは単に自分の優位性を誇示したいがためだと、慎吾にはわかっていた。

(旧事業部、ね。もう過去の話だ)

慎吾の脳裏には、かつて自分が中心となって推進していたプロジェクトの光景が蘇る。熱意ある仲間、困難を乗り越えた達成感、そして、コロナという名の不可抗力によって、その全てが一瞬で崩壊したあの日々。

今、この場所で、慎吾が何を言おうと、それは部外者の戯言でしかない。この部署の人間にとって、自分は「飛ばされてきた異物」であり、過去の栄光など何の意味も持たない。

「いや、うちの部署はもう、備品管理が主な業務なんで。皆さんの活躍を、陰ながら応援していますよ」

慎吾は、わざとらしく明るいトーンで、完璧に「部外者」としての役割を演じきった。若手は面白くなさそうな顔をして、すぐに他の同僚に話題を戻した。

そのとき、隣から小さな声がした。

「田中さんも、大変ですね」

見ると、小野寺葵が、少しだけ身を乗り出し、烏龍茶のグラスを指でなぞりながら、慎吾を見ていた。その瞳には、先ほどの冷めた議論を見つめる慎吾と同じ種類の、静かな諦念が宿っているように見えた。

「小野寺さんも、聞いてたんですか」慎吾は苦笑した。

「ええ、まあ。でも、さっきから、時々顔を見せる加藤さんのこと、気になってたでしょう?」

葵は、会場の少し離れた場所にいる、別の部署の人間を指差した。その人物は、華やかなスーツを着こなした、いかにも仕事のできる、容姿端麗な男性だった。

「ああ、加藤ね。あいつは…前の部署で、まあ、同僚だったよ」

「やっぱり。イケメンですよね」

葵は、いつもは地味で目立たないが、そのときだけは、まるで普通の40代女性のような、少しときめいた表情を浮かべた。

「そうね。顔だけは、昔から変わらないな」

慎吾は、そう答えながら、ふと、心臓の奥がチクリとするのを感じた。

(葵さんも、ああいう、華やかで、自信に満ちたイケメンが良いのかな)

自分の境遇とは真逆の「成功者」である加藤。自分は、冷や飯を食わされ、隅っこで安い酎ハイを飲む中年。葵のような女性が、華やかな未来を望むのは当然だろう。

そう考えると、先ほどの短い会話で生まれた、わずかな「連帯感」のようなものが、一瞬で色褪せていくのを感じたのだった。

「…加藤さん、今はもう、会社の幹部候補みたいなもんですから。私とは、いる世界が違う」慎吾は、わざと自嘲気味に言った。

葵は、その言葉を聞いて、小さく首を振った。

「そうじゃなくて。…田中さんが、加藤さんのことを見ている目線が、昔の自分を見るみたいだったから」

その予想外の言葉に、慎吾は一瞬、言葉を失った。

「同じ部署にいた頃の、田中さんのことを」葵は静かにそう付け加えた。

彼女は、慎吾が冷たい目で見ていたのは、議論ではなく、過去の自分と今の境遇の対比だったことを見抜いていたのだ。

そして、それは、かつての慎吾を知らないはずの、葵からの、あまりにも鋭い指摘だった。


田中慎吾は、葵の指摘に一瞬、呼吸を忘れた。

「…田中さんが、加藤さんのことを見ている目線が、昔の自分を見るみたいだったから」

昔の自分。その言葉は、慎吾の心の一番深いところに突き刺さった。独身だったあの頃、仕事が自分の全てだった。寝食を忘れ、全てを捧げた。その結果、時代の荒波に飲まれて今の部署に「飛ばされた」としても、あの頃の情熱と成果は、確かに自分自身を形作っていた。だが、今の自分は、ただの抜け殻だ。

「昔の俺、ですか」慎吾は苦く笑った。「今はもう、すっかり空っぽですよ。ただ、会社にしがみついているだけの…」

そう言って、彼はため息を一つ吐き、残っていた酎ハイを一気に煽った。安いアルコールが喉を焼き、胸の奥の虚しさを一時的に麻痺させる。

すると、葵は静かに手を挙げ、店員を呼んだ。

「すみません。ウイスキーを」

慎吾は驚いて葵を見た。普段は烏龍茶しか飲まない、シングルマザーの地味な同僚が、酒の席でウイスキーを注文する。それも、まるで何かを決意したかのような、強い口調で。

「小野寺さん、珍しいですね。飲まないんじゃ…」

葵は、周りに悟られないように、少しだけ口角を上げた。

「ちょっと、付き合ってもらおうかなと思って。…田中さんは、どうします?」

彼女の提案は、いつもの業務的な会話とは全く違う、明確な「誘い」だった。そして、その誘いには、彼女自身の「空っぽ」な部分を、慎吾と共有したいというような、切実さが滲んでいた。

慎吾は、考える間もなく答えていた。

「ああ、じゃあ俺は、ロックで。バーボンか、スコッチ、あるやつで適当に」

店員が去ると、二人の間の沈黙は、さっきまでのギスギスした部署の空気とは異なり、どこか緊張感を帯びた、心地よいものだった。

葵は、手元のおしぼりを広げ直しながら言った。

「私、田中さんの前の部署のこと、少しだけ知っていますよ。備品管理に異動になる前の、最後のプロジェクト。あれ、すごく大変だったでしょう?」

それは、部署の噂話というより、もっと深く、注意深く、慎吾の過去を追っていた者でなければ知りえない情報だった。

慎吾は、目の前の熱弁を振るう同僚たちを遮るように、小さく笑った。

「…そうですね。あれが、俺の全てでした。で、あいつは、そのプロジェクトの、備品の発注担当だったんですよ」

「え?」

葵は、思わず顔を上げた。慎吾が指差したのは、先ほどまで「会社の将来」を熱弁していた、あの若手だった。

かつての自分の全てであったプロジェクトと、今の自分が置かれている「備品管理」という現実。そして、それを象徴するかのように、プロジェクトで自分の指示の下、備品を発注していた若手が、今、自分より大きな顔をして将来を語っている。

慎吾は、運ばれてきたウイスキーを口に運んだ。喉を焼く強い酒は、この冷たい現実を、もう一度、彼の体内に叩き込んだ。

「あなたと私は、飛ばされてきたんじゃない。置いていかれたんですよ」

葵は、氷のないウイスキーグラスを見つめながら、静かにそう言った。その一言は、慎吾が抱えていた虚無感を、一瞬にして共有し、増幅させるものだった。


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