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俺が刺された場面をよく思い出して欲しい。
『Aの瓶の鋭い断面は、俺の喉元の辺りを突き刺した』、と言ったな。
だが、喉元を突き刺したとは言っていない。
『喉元の辺り、首がある位置に突き刺さった』、と言ったな。
だが、喉元に、首に突き刺さったとは、言っていないのだ。
『俺の身体は、動かなくなった』、と言ったな。
だが、動かせなくなったとは、一言も言っていないのだった。
「あ、ああ…なんだ、そんな簡単な…ごほっ…!」
Cくんも理解したらしい。
俺の左手の激しい傷を見て、全てを察したようだった。
「そもそも、なんで俺がこんな黒い手袋を着けて来たと思う?Aの奴は厨二病だとか何とか言ってきたけどよ、そこに合理的な理由があるとすれば?」
俺の手袋は、かなり黒い。
黒いという理由もあるが、この手袋はふかふかの防寒仕様になっている毛糸タイプの物で、つまるところ光沢が無い。
黒光りさえもしない。
俺の右手はコンパスの針を持っていたからともかく、ならば何も持っていなかった俺の左手は、こんな暗闇の中では殆ど見えないのだ。
勿論ここはバス停で、街灯が近くに全く無い訳ではないが、なにぶん田舎町なもんで、ちょっと離れた場所に1つ街灯が立っているだけなのだ。だから俺や他の奴らの身体は、その街灯に面している部分は見えやすくなっているが、それとは反対側の部分はむしろ影になっていて、本当に見えず、視えないのだ。
あの時俺の左手は、丁度そんな角度にあった。
だから咄嗟にAの瓶を左手でガードした時、左手が犠牲になったことによる痛みに悶えたい気持ちを逆に利用して、あたかも首を刺されたかのような即興の演技を披露したのである。
Aからは、角度的に暗くてよく視えない。
Cくんは、そもそも目にガラス片が入ってしまって目を閉じている最中なので、視えない。
完璧に、その場にいた二人を騙し欺き出し抜いたのだった。
「あ…はは…ごふっ!げふっ!うごっ…ご…」
もうCくんも限界が近いな。
武器であるカッターはさっき投げ捨ててしまっていて、もう俺に抵抗するための手段が無い。素手で抵抗しようにも、そんな体力を使うようなことをしたら出血量も増えて早く死ぬだけだ。
「なあ、Cくん。この中でもやっぱり、お前が一番狂っていると、俺ぁ思うんだ」
意識が遠のいているCくんの顔を両手で掴みながら、俺は呼びかける。もうコンパスの針はポケットにしまった。
「俺を含めて、誰よりもだ。お前は一番とち狂っていて、だからこそ一番強く、才能があった。そんなお前が、俺は大好きなんだよ。俺は狂っている人間が好きなんだ。狂おしい程に、最狂のお前を愛しているんだ」
「……」
「だからさ、最期に一つ、お前の願いを聞いてやるよ。何か言え」
端的に、俺はそう言った。
Cくんは恐らく、頸動脈だけでなく気管も負傷していて、さっきから咳を繰り返している。だからこんな状態で彼がまだ喋れるかどうかは、正直わからなかったのだが。
「お…にいさ…ん」
まさに、最後の力を振り絞ったということなのだろう。しゃがれて、掠れて、か細く、小さく、弱い声で、彼は。
「死んでください………」
にっこりと笑ってそう言った。
そしてそれっきり、彼の身体は全ての力が抜けて、何もかもが抜け落ちたように、地面に崩れ落ち……
後にはただ、人の形をした肉塊が遺った。
「…ははっ」
俺も、優しく穏やかに微笑み返して。
「嫌だよ。俺は死にたくないからな」
そう言い残して、その場を立ち去った。