まえがき
……
………かかっ。
人は皆、何かを信じている。
現代人なら尚更だ。
例えば、家族や友人の発言。あの人がこんなことをしたらしいよ、あの人からこんな伝言が来ているよっていう話。
あるいは、お伽話や宗教。
あるいは、科学的根拠の真偽。こんな実験結果があったのだ、こんなデータがあるのだという事実を、虚偽のものとは疑わない。
もしくは、そんな科学的根拠すらも信じられないような心理的混乱状態にある人間だったら、陰謀論を信じてしまうだろう。
人は何かを信じる。
自分で見て確かめた訳でもないのに、しかし信じなければ生きていけないからだ。現代の情報社会なら尚更である。
ただ、ここで誤解されがちなのは、『信じる』という行為は必ずしも肯定的なものだけではないということである。否定的に物を信じることだってあるのだ。
例えば、無神論者。
例えば、幽霊がいないと主張する人間。
わかるかな。いずれも、神を信じていないとか、幽霊を信じていないとか、そういうレベルの話ではない。
『神がいないということ』を信じているし、『幽霊がいないということ』を信じているのだ。
だってそうじゃないか。例えば神なら、神がいると信じていないからと言って、神がいないと信じているとも限らない。
どちらも信じず、『いるのかいないのかわからないから、どっちでも大丈夫なように行動しよう』と考えて、神に手を合わせたり拝んだりするようなことは無料だからと積極的に行うが、しかし神のためにあまりお金や労力を消費し過ぎるようなことはしないようにする……そんな人間だっているかも知れないじゃないか。
実際、日本人の大半がそれだ。
そしてこうした生き方は、アメリカ人があまり理解できない生き方でもあるらしい。
やれやれ、まさに人間って感じだな。
さて、ここで一つ、思考実験をしてみよう。
Aさんは、幽霊を信じている。
Bさんは、幽霊がいないということを信じている。
Cさんは、そもそも幽霊というものの見方が普通ではなく、一般的な解釈とは別の物として幽霊を信じている。
そして俺は、何も信じていない。
さて。
この四人が殺し合ったら、果たして誰が生き残る?