第9話:王位継承の影、そして選択
朝――王宮全体が、昨夜の襲撃事件に揺れていた。
第二王子・レオンの病室を狙った“正体不明の刺客”による襲撃。
警備兵数名が命を落とし、容疑者のひとり――王国軍護衛隊長の失踪も確認された。
事件は公にされる前に情報統制が敷かれたが、内部では噂が瞬く間に広まっていた。
「いよいよ、動き出したわね……“あの陣営”が」
イレナは朝の医療棟でレオンの診察を終え、アデルと並んで廊下を歩いていた。
「第一王子派ですか?」
アデルが問うと、イレナは頷いた。
「今の第一王子は健康だし、王政にも積極的に関与していない。でもその代わり、周囲が“操りやすい王”として祭り上げようとしている」
「逆に、レオン殿下は――」
「聡明で、独自の考えを持ち始めている。しかも……過去の真相に迫ろうとしている」
「……邪魔者になる、というわけか」
アデルがつぶやいた瞬間、後方から一人の女性が足音もなく近づいてきた。
「“王位継承会議”が、一週間後に前倒しされることになったわ」
現れたのは、王政庁書記官長であり、王室の秘書的役割を担う女性――エステル・ローヴェ。
灰銀の髪に冷たい琥珀色の瞳。
王家に仕えるが、どこか“宮廷外”の影を持つ女性だ。
「エステル……前倒し? 本来は来月のはずだったでしょう?」
「ええ。けれど、第一王子派の重鎮が『第二王子は病床にある。王位継承資格は形式的に失われた』と主張したのよ」
アデルが拳を握る。
「まさか、襲撃事件が仕組まれていた可能性まで……?」
「言えないわ。でも、あの派閥ならやりかねない。しかも――」
彼女は鋭い目をイレナに向けた。
「“あなたの存在”が、火に油を注いでいる。元・毒使い、王子の側近、そして事件の生き残り。……彼らにとっては、あまりに都合が悪いわ」
その後、エステルは密かに渡された一通の書簡をイレナへ手渡す。
表には、見覚えのある象形文字が刻まれていた。
「これ……」
「“黒印の花”。サウルが使っていた、毒の使徒間だけで通じる符号よ。今朝、宮廷の東庭で発見されたの」
イレナは眉をひそめる。
「“次は、選択のとき”……だと?」
「何かを選ばせようとしている。毒か、真実か、王子の命か。……サウルのやり方は、いつもそう」
アデルが低く唸る。
「つまり、追い詰めてきている……こちらが“何を守るのか”試すように」
その夜。
イレナは王子と二人きりで、宮廷庭園の奥にある小さな東屋で会話を交わしていた。
木々の間から夏の星がのぞく、静かな夜だった。
「……継承会議が、一週間後に前倒しされました」
「……やはり来たか」
レオンは、覚悟を決めたような眼差しで夜空を見上げていた。
「ずっと避けていた。“王になる”という言葉から。姉を失ってから、誰かを“守る側”になることが、ただ……怖かった」
イレナは静かに聞いていた。
「でも、君が現れて、あの日のことを思い出して……分かった。俺は、逃げ続けていただけだ」
彼はゆっくりと立ち上がり、イレナに向き直った。
「俺は、王になる。誰かに決められるのではなく、自分の意志で」
「……それが、あなたの“選択”?」
「そうだ。そして――君にも、ひとつ頼みがある」
イレナの瞳がわずかに揺れる。
「俺の傍にいてほしい。王になるまでの間……君の“毒”が、俺の命を救った。ならその毒を、今度は“国を守る盾”にしてくれないか」
イレナは目を伏せ、しばしの沈黙の後、囁いた。
「……いいわ。私は、あなたの毒になります」
その翌朝。
王政庁では、継承会議の前哨戦となる政務会合が開かれた。
そこで、王子直属の“影の諜報部隊”設立が提案され、イレナがその指揮官に任命される。
「名称は、“黒薔薇室”。毒をもって、王家を守る」
イレナの名が、再び王宮の中枢に刻まれる時が来た。