第8話:影の襲撃、黒幕の牙
王宮に、静かに、そして確実に“死の気配”が忍び寄っていた。
イレナが王子の病室を後にしてから数時間後。
深夜の医療棟――異常な静寂の中、警護に立っていた兵士の一人が、音もなく床に崩れ落ちる。
その身体には外傷一つなかった。
ただ、瞳孔が開き、唇からは黒い泡が滲んでいた。
死因は、“無臭の即効性呪毒”。
そして、それを操る者は――
「──さすが、“黒死の花”の弟子だけのことはある」
低く、かすれた声が、闇の中に響いた。
長身の男。深いローブを纏い、顔の大半を仮面で隠している。
その目元だけが異様なほどに輝き、狂気を孕んでいた。
サウル・ミーディアス。
かつてイレナに毒を教え、“最悪の師”として死んだはずの男。
だが、彼はまだ生きていた。そして、動いていた。
一方、騎士詰所ではアデルが警戒態勢を敷いていた。
「護衛隊長の失踪からまだ一日……この王宮のどこかに、敵が潜んでいる可能性が高い」
「王子の安全は万全に」
「当然です。――だが、敵はただの刺客ではありません。毒を扱える者が、すでに宮中に入り込んでいる」
そこへ急報が届いた。
「医療棟で異常発生! 警備兵の一人が……死亡しました!」
アデルは剣を抜いた。
「イレナに知らせろ。急げ!」
警報が鳴る直前、イレナは地下の調薬室で毒薬と解毒剤の試薬を調合していた。
そこに、薬師見習いの少女――ティナが飛び込んでくる。
「イレナ様! 王子様の病室に刺客が!」
「……やっぱり来たわね」
イレナは即座に調薬器具を下げ、腰の薬袋を取り付ける。
左腕に巻かれた黒革の帯には、即効性の毒針と、三種の煙毒――煙に含ませて敵の視覚と嗅覚を麻痺させる特殊毒が仕込まれていた。
医療棟へ駆けつけたイレナは、すでに破壊された扉の前で、倒れた兵士の姿を見た。
その額には、焼き付けたような呪印の痕跡がある。
「……サウル……!」
その痕は彼特有の“符毒”――
呪印によって体内に毒を流し込む、非人道的な技術だった。
中へ飛び込んだイレナの視界の先、王子の枕元に黒い影が立っていた。
「久しいな、イレナ。……私の“最高傑作”よ」
サウルが仮面の下で笑う。
「やはり、おまえだったのね。……なぜ王子を狙う?」
「“完成”のためだよ。姉を標本にしたあのとき、私はまだ未熟だった。だが今、この少年の魂を完全に“冷却”できれば、あれを超える“完全な芸術”になる」
「そんなもの、芸術じゃない……ただの殺戮よ!」
イレナは即座に手のひらの煙毒球を床に叩きつけた。
バンッ!
白煙が爆ぜ、部屋が霞む。
サウルの視界が乱れた瞬間、イレナは背中の小瓶を抜き、薬針に差し込む。
「“ソル=リヴェリス”……神経遮断毒」
イレナの腕から放たれた薬針が、サウルの肩に突き刺さる。
しかし――
「……ふむ、さすがは私の弟子だ。だが、その程度では私は止まらん」
サウルは腕を裂き、毒の流入を強制的に断った。
彼の技術は、すでに常人の域を超えていた。
そのとき、扉が破られる音と共に、アデルが剣を構えて突入する。
「王子には指一本触れさせん!」
イレナと連携し、アデルが剣でサウルを追い詰める。
だが、サウルは術式で床に毒陣を描き、一瞬のうちに消失する。
「……次に会うとき、おまえの毒は……私の毒に飲まれる」
呪毒の残滓を残して、サウルは姿を消した。
深夜、静まり返った医療棟の一室。
王子は無事だった。
ただ、意識が戻ったとき、イレナの姿を真っ先に探していた。
「……守ってくれたんだな」
イレナは無言で頷き、彼の手を握る。
「あなたはもう、狙われるだけの存在じゃない。“戦う理由”を得たのよ」
レオンは小さく笑った。
「戦うさ。姉のために、そして君のために」