第7話:解毒の儀、そして裏切りの兆し
夜半、王宮内の小礼拝堂。
結界で封じられたその場所は、外界からの魔力干渉を遮断し、魂に直接作用する術式を行うには最適な場所だった。
白石の床には、イレナが描いた五芒星の魔法陣。
周囲には呪毒の波長に応じた触媒薬が並べられ、中央にはレオン王子が横たわっていた。
王子の目は閉じられているが、すでに完全な昏睡状態ではない。
彼の内側で、“何か”が目覚めようとしていた。
「……準備は整ったわ。始めるわよ」
イレナの声に、そばで見守るアデルが頷いた。
解毒の儀──それは単なる薬の投与ではない。
“魂の核”に刻まれた毒の紋を、術式によって剥がしながら、解毒薬で中和する。
失敗すれば、王子の魂は砕ける。意識を失うどころか、永久に戻らなくなる可能性もある。
「これより、“核抜き”を行うわ。……レオン、聞こえてる?」
王子はわずかに瞼を震わせた。
「……ああ。信じてる。君なら……きっと」
その言葉を最後に、彼は深く眠りへと落ちた。
イレナの指先が、魔法陣の中心に触れ、術式を起動する。
瞬間、床に描かれた星が淡く発光し、王子の胸元に刻まれていた“呪毒の紋章”が浮かび上がった。
黒く、ねばつくような魔力の波動。
それは、生きているかのように蠢きながら、イレナの手を焼こうとする。
「……来なさい。今度こそ、終わらせる」
彼女の手から放たれた蒸留薬が空中で散り、黒い紋に滴り落ちた瞬間、毒が悲鳴を上げるように暴れた。
レオンの体が震え、額から汗が噴き出す。
「イレナさん!」
アデルが思わず声を上げるが、彼女は揺るがない。
「大丈夫。彼は負けない。……王子の意志が、これを乗り越えようとしてる」
毒は確かに“心の隙間”を突いて魂に絡みつく。
だが逆に言えば、そこに光を注げば、毒は剥がれていく。
イレナは語りかける。
「レオン……あなたは、守ろうとした。姉を、家族を、そして今、この国を。だからこそ、毒を与えられた」
「でも、あなたの魂は壊れていない。記憶を、心を、失ってなどいない」
「――思い出して、リディア王女を。あなたが、“あのとき守れなかった”と信じてきた姉を」
その瞬間、レオンの胸に閃光のような魔力のうねりが走った。
彼の口から、黒い霧のようなものが吐き出され、空気を震わせる。
毒の核――“刻印”が、魂から分離し、空間に浮かび上がった。
イレナは躊躇なく、解毒薬の最後の一滴を霧の中心へと放った。
そして――核は、光と共に崩れ、霧散した。
静寂が戻る。
魔法陣の光がゆっくりと消え、イレナは膝をついた。
疲労が全身を襲うが、彼女の表情には安堵があった。
「……終わった、わ」
アデルが駆け寄る。
「大丈夫ですか? 身体が……!」
「平気。少し、力を使いすぎただけ……それより、王子は?」
寝台の上で、レオン王子がゆっくりと目を開いた。
その目は澄んでおり、過去の靄はもうなかった。
「……覚えている。全部……姉のことも、君のことも」
イレナの目が見開かれる。
「私のこと?」
「……あの時、姉の部屋に忍び込んで、治療薬を手にしていた君を、俺は見ていた」
「……ああ……」
忘れられない光景。毒に倒れた姉に縋る小さな少年。
その眼差しだけが、イレナの記憶にも焼き付いていた。
「君は、何も悪くなかった。君は……俺たちを助けようとしてくれていた」
その言葉に、イレナの胸の奥で、何かがほどけた。
その翌朝。王宮では騒然とした空気が広がっていた。
「護衛隊長が、姿を消した! 詰所に血痕が残っていたとの報告も!」
緊急の連絡を受けたアデルは、即座に動いた。
「やはり……動いたか」
消えた護衛隊長の名は、第一王子の元侍従長――
リディア王女の死の直後に異動になった人物だった。
イレナは王子に簡潔に伝えた。
「黒幕が動いたわ。次は、あなた自身が狙われるかもしれない」
王子は静かに頷いた。
「なら、戦うしかない。……俺の手で、姉の仇を討つ」