第6話:王子の覚醒、そして告白
朝の光が、厚いカーテンの隙間から差し込んでいた。
イレナが医療棟の部屋に入ると、そこにはすでにアデルとグレン医師、そして枕元で半身を起こしたレオン王子の姿があった。
顔色はまだ青白く、肌に残る魔力の乱れも完全には治っていない。
だが、確かに――王子は“意識”を取り戻していた。
「おはようございます、レオン殿下」
イレナがそう声をかけると、王子は彼女を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……君が……俺を、救ってくれたのか」
その声音は、意外にも柔らかく、戸惑いと感謝が入り混じっていた。
椅子に腰かけ、イレナは王子の脈を診ながら、術式による毒の影響を確認した。
魂にこびりついていた“刻印”はまだ完全には消えていなかったが、昨日よりも薄れている。
「呪毒の核はまだ残っているけれど、魔力の流れが戻ってきたわ。あと数日で解毒薬の調合が完成する」
「ありがとう、イレナ……さん、だったか」
「イレナで構いません」
彼の目が細められる。その中には、疑いではなく“思い出す努力”のようなものが宿っていた。
「どこかで……君に会ったことがある気がする」
イレナは黙ってその言葉を聞きながら、少しだけ視線を逸らした。
診察を終え、部屋を出た廊下で、アデルが口を開いた。
「殿下の記憶には、過去の断片が戻りつつあるようですね」
「ええ……もしかすると、あの毒が封じていたのは、記憶そのものかもしれない」
「記憶を奪う毒……?」
「そう。サウルの研究の最終段階。人間の“過去”を切り離す毒よ。……王子がリディア王女の死の真相に辿り着くのを恐れた誰かが、彼に毒を盛った」
そのとき、アデルの表情が一瞬だけ険しくなった。
「つまり、真実を隠すための毒……」
「そして、それを知っている人間が、王宮内にいる」
その日の午後、王子は医師たちの許可を得て、軽い歩行訓練を再開した。
まだ長時間の会話は避けられていたが、イレナに短く話すだけの気力は戻っていた。
「……俺は……姉のことを、ずっと思い出せなかった」
「リディア王女のことですね」
王子は深く頷いた。
「小さい頃、姉と一緒に遊んだ記憶が、突然……切れたんだ。まるで“消された”ように。でも今、君の顔を見て……ぼんやりとだけど、姉の声が蘇った」
「それが、呪毒の影響なのよ。毒は魂に作用して、感情と記憶を断つ。……でも、完全に消すことはできない。だから、あなたはずっと、何かが“欠けている”と感じてきたはず」
王子は、拳を握りしめた。
「姉の死……あれは事故じゃなかったんだな。俺の記憶が戻れば、その証拠になる」
「だから、誰かがあなたを沈黙させようとした。――でももう、毒は効かない。あなたが“それを知る”覚悟さえあれば」
「あるさ。……今度こそ、姉のために立ち上がる」
その言葉に、イレナはわずかに微笑んだ。
夜、イレナはアデルと共に王宮の塔のひとつ――〈封書塔〉と呼ばれる古文書保管室を訪れた。
そこには、王家の非公式記録が保管されている。
正式な歴史に載らない事件、粛清、裏切り、そして――リディア王女の死の真実も、そこにあるはずだった。
「これです。“リディア・ヴァルディウス王女病没事件”の裏記録」
アデルが手にした古文書の束。その中の一枚に、見覚えのある名が記されていた。
「サウル・ミーディアス、王女の治療を“自ら志願”。しかし治療は失敗、王女死亡」
「違う……あれは“治療”じゃない。実験だった」
イレナの声は静かだが、芯に怒りを含んでいた。
「彼は……あの子を“標本”にした。禁じられた毒を試すために、わざと……」
「王家がそれを隠した理由は?」
「サウルの背後に、王族の誰かがいたのよ。でなければ、処分される前に彼を逃がすことなどできない」
そのとき、アデルの目が鋭くなった。
「……ひとつ、引っかかる情報があります。王女が倒れた直後、第一王子の侍従長が異動になっています」
「証拠隠滅?」
「あるいは、口封じ。ですが、ここにきて……彼の名前が再び、王都に戻っているという報告がある」
夜明け前。
イレナは王子の部屋を訪れ、静かに語りかけた。
「レオン王子。……毒の核を抜く最終段階に入ります」
「……痛いか?」
「少し。でも……あなたなら、耐えられるわ」
王子はわずかに笑みを浮かべた。
「君がそう言うなら、信じよう。……姉も、君のことを信じていたんだろうな」
イレナは目を伏せたまま、首を横に振った。
「……私は、あのとき救えなかった。だから今度は、絶対に守る」