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第5話:毒の師弟、再び

 王都近郊──〈黒の谷〉と呼ばれる岩場の峡谷には、古びた廃工房が存在する。


 王宮の地下記録に記されていた、十数年前に閉鎖された“呪毒研究施設”のひとつ。

 イレナはかつてその場所を知っていた。かつて、自分が弟子として通っていた場所でもある。


 そして今、再びその地へ戻ってくるとは思いもしなかった。


 「ここ……ずいぶんと荒れてますね」


 隣で馬を降りたアデルが、深く眉をひそめる。

 谷を覆う岩には亀裂が走り、草が伸び放題に生い茂っていた。建物の外壁には黒ずんだ痕が残っており、それが呪毒の残滓であることをイレナはすぐに察した。


 「この匂い……間違いない。“生きてる”わ、ここ」


 イレナはそう呟くと、腰の薬袋から護符を一枚取り出した。

 旧王家の防護術式が刻まれたそれは、呪毒の侵食を数分間防ぐ結界を張れる簡易結界符だ。


 アデルにも同じものを渡す。


 「中に入るわ。長居はできない、呼吸も最小限に」


 「了解です」


 建物内部は、すでに大部分が崩れかけていたが、地下への階段だけはかろうじて残っていた。


 湿った空気。鼻をつく薬品と鉄の匂い。

 過去の記憶が、足元から這い上がるように蘇ってくる。


 “毒の師”──サウル・ミーディアス。


 イレナがまだ王宮に仕える密使になる前、彼は天才と呼ばれた錬金術師だった。


 “毒は人を殺すためのものではない。人の本性を暴くための手段だ”

 そう語っていたサウルの毒は、他とは一線を画していた。


 ある者には恐怖を、ある者には欲望を、ある者には真実を吐かせる。


 そして、彼が最後に手を染めたのが、“魂を閉じ込める毒”だった。


「……あったわ」


 イレナは地下室の壁を指差した。


 そこには、呪印の施された瓶が何本も並ぶ保管棚が残っていた。

 しかし、その多くは空だった。


 「誰かが、つい最近、持ち出してる」


 「残っていた記録と一致しますね。ここ数年、王都周辺で謎の“衰弱死”事件が十数件。どれも魂に痕跡が残っていたと」


 「使い始めてるのよ、サウルが。まだ、生きていて」


 イレナの言葉に、アデルが息を呑む。


 そのとき、奥の壁にかかる黒い布に目をやったイレナは、何かを感じて布を払った。


 その裏には、古びた肖像画があった。


 小さな少女の横顔。栗毛の髪に、澄んだ瞳――

 それは、リディア王女だった。


 「……っ」


 イレナは口を噤んだまま、じっとその絵を見つめた。


 「彼は、まだ執着しているのね。あの“作品”に」


 「作品?」


 「リディア王女に使った毒。あれは、“完成作”だったのよ。魂を完全に閉じ込め、記憶と感情を奪う。それを、彼は“芸術”と呼んでいた」


 「狂気ですね……!」


 アデルの拳が震えるのが分かった。だがイレナは静かに首を振る。


 「私も、かつてその理論を信じた。サウルの手法は歪んでいたけれど……彼の毒は、唯一無二だった」


 その事実は否定できない。

 自分もかつて、“誰よりも毒を理解した弟子”だったから。


 調査を終えた帰路。馬を並べて進みながら、アデルが口を開いた。


 「イレナさん……なぜ、毒を辞められたんですか?」


 しばらく沈黙が流れた。

 風が木々を揺らし、夕陽が差し込む。


 「……リディア王女が死んだあと。私は、あの子の兄に毒を盛る命令を拒否した」


 「兄……つまり、レオン王子?」


 「いいえ。第一王子。……あのとき、サウルが“次の被検体”に選んだのが彼だった」


 イレナの声音には、うっすらと痛みがあった。


 「拒否した私は、処刑されかけた。けど、リディア王女の侍女だった女性が、私を逃がしてくれた」


 「彼女が、村で共に住んでいた人ですか?」


 「ええ。ティナの祖母……私にとって、唯一の“家族”だった人」


 だからこそ、再びこの世界に戻ってくることが怖かった。


 だが今、あの時手を伸ばせなかったものに、やっと触れられるかもしれない。

 それが怖さを上回っていた。


 王宮へ戻ると、医療棟に異変があった。


 「王子の意識が、戻りかけています!」


 駆け寄ってきたグレン医師の声に、イレナとアデルは顔を見合わせた。


 急いで部屋へ入ると、レオン王子がうっすらと目を開いていた。


 「……ここは……」


 「殿下!」


 王子は、イレナの姿を見つけて、弱々しくも目を見開いた。


 「……君は……“あの時の”……」


 彼の視線に、憎しみも怯えもなかった。


 ただ、どこかで見たことがあるような、不思議な懐かしさを湛えていた。


 イレナは言葉を飲み込み、ただそっと彼の手を握った。


 「もう……大丈夫。あなたの毒は、必ず私が解く」

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