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第3話:王宮の影、再会の予感

王都──その石畳の道は、辺境の土と草の香りとはまったく異なる、冷たく乾いた匂いがした。


 高くそびえる城壁、行き交う人々の視線、濃く漂う香水と煙草の香り。

 イレナは三年ぶりにこの地を踏み、思わず無意識に足を止めた。


 「変わっていないわね、何も」


 呟いた声に、隣のアデルがちらりと視線を向けた。


 「王都は表面だけが華やかですから。中身は十年前から腐ったままです」


 皮肉とも冷笑とも取れるその言葉に、イレナは小さく肩をすくめる。


 「それを知っていて、なお仕えるなんて、物好きね」


 「俺は……まだ腐りきってないと信じているので」


 軽く言いながら、彼は先導するように歩き出した。


 王宮の医療棟は、城の北側にある。

 一般の医師たちの棟と、王族専属の高位医師だけが立ち入れる奥の隔離区画とに分かれていた。


 その奥まった部屋──重厚な扉と、香の焚かれた室内。

 そこに彼はいた。


 真白な寝台に、青年が横たわっていた。

 顔は整い、銀の髪が光を受けて淡く煌めいている。だがその肌は不健康なまでに青白く、目を閉じたまま微動だにしなかった。


 「……あれが、対象?」


 「第二王子、レオン=ヴァルディウス殿下です。先月、食後に突然倒れ、そのまま昏睡状態に。意識は戻らず、現在も魔力が徐々に失われつつあります」


 アデルの声は低く、緊張を含んでいた。


 イレナは無言のまま、部屋の中央へと進む。

 レオン王子の寝台の傍らには、淡い結界が張られていた。魔術障壁ではなく、“呪毒の侵食を遅らせるための霊紋”だった。


 「悪化は……しているわね。これ以上、魔力が抜け続ければ、今度は心臓が止まる」


 イレナは手袋を外し、枕元に膝をついた。


 指先で触れるだけで、血流の中にわずかに流れる“毒素の痕跡”が感じ取れる。

 舌の下にわずかに残った黒色の紋──これは紛れもなく、十数年前に製法が禁じられた“魂縛毒こんばくどく”だ。


 (まだ残っていたのね……こんなもの)


 あのとき自分が見逃した“根”が、ここで花開いてしまったのか。


 「……どの医師もこの毒を見抜けなかったの?」


 「はい。錬金師も神官も“魔力枯渇症”と誤診していたようで」


 「素人ね。症状だけでしか見ないから、根が見えないのよ」


 イレナの言葉に、部屋の隅から鋭い声が飛んだ。


 「“素人”とは聞き捨てなりませんね」


 声の主は、白衣を着た壮年の男だった。短く刈り込まれた白髪、鋭い目つき、顎には無精髭。


 「王宮専属医師、グレン・ロマーニュです。……噂には聞いていましたが、貴女が“黒死の花”とは」


 「その名前で呼ばれるのは不愉快です。私はただの薬師。……あくまで、この毒を解くためだけに来たのよ」


 「ほう。自ら撒いた毒を、今さら解くというのですか?」


 「私はこの毒を使ってない。だが、この系統を残した責任はある。……だから解く」


 冷えた空気が室内を包む。


 アデルが間に入って場を収めようとしたそのとき、微かに寝台の上で衣擦れの音がした。


 「……う……」


 イレナが即座に身体を前に乗り出す。


 王子が、眉をわずかに寄せ、唇を震わせた。

 意識の断片が、わずかに地上へと戻りかけている。


 「レオン殿下……!」


 医師の声と、イレナの視線が交差した。


 王子の唇が、かすかに何かの音を紡いだ。

 その断片は、イレナの耳にだけ、はっきりと届いた。


 ──「……おまえ、は……」


 まるで、懐かしさを含んだようなその声に、イレナの胸が、かすかに痛んだ。


 その夜。


 イレナは王宮の一室に通されていた。


 応急的に用意された客間で、椅子に座りながら古い調合ノートを広げる。

 持ち出していた自作の解毒薬のレシピと、王子に使われた呪毒の症状を照らし合わせていく。


 “魂縛毒”は、単なる肉体の毒ではない。

 魂の魔力を“封”じることで、徐々に命を枯らしていくもの。


 その解毒には、毒の核を突き止め、魂の結び目をほどく特殊な薬と術式が必要だった。


 (あのとき……少女に間に合わなかった。もう誰も、死なせない)


 イレナは決意を込めてノートを閉じる。


 「……王子のこと、知っているのね?」


 アデルの声が、扉の外から届いた。


 「……似ていたの。目元と……声」


 「彼は、あの少女の弟です。覚えていますね。──リディア王女」


 イレナの手が、わずかに震えた。


 忘れたことなど、一度もなかった。

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