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第13話:灰の檻、フィアの涙

 地下へと続く階段を降りるたび、空気は重く、湿った毒の気配が強まっていった。


 そこはかつて、サウル・ミーディアスが築いた禁忌の実験施設――“灰の研究院”の跡地。

 王国による制圧と封鎖から五年が経ち、打ち捨てられたはずのその場所が、いま静かに息を吹き返そうとしている。


 イレナは、懐中の抗毒符と解毒煙玉を確認しながら、ゆっくりと扉を開けた。


 ――そこに、彼女は立っていた。


 かつて“灰の毒瓶”の異名で呼ばれた少女、フィア・ノワゼット。


 そして今、“仮面の継承者”として、サウルの意志を引き継ぐ最後の弟子。


 白銀の仮面を外し、顔を見せたフィアは、五年前と変わらぬ少女の面影を残しながらも、その瞳に宿る光だけが別物だった。


 「お久しぶり、姉弟子」


 その声は、懐かしくも冷たい。


 「あなたが……生きていた。それが、どれだけ……」


 イレナが言葉を継ごうとした瞬間、フィアはくすりと笑った。


 「泣くの? あなたが私を“棄てた”のに?」


 あの夜の記憶が蘇る。


 研究院での毒実験の失敗。

 逃げ出す者たち、炎に包まれる研究室。

 助けようとした手を振り払った少女。

 逃げられなかった者の悲鳴。


 イレナは、たったひとつの選択を誤った。


 それが、彼女の人生を狂わせた最初の罪だった。


 「あなたは優しすぎた。だから、サウルは私を“次の継承者”に選んだのよ」


 フィアは薬剤の入った瓶を手に取り、ゆっくりと床に撒いた。


 空気が変わる。甘く、粘りつく香気――これは、幻覚誘導性の吸引毒。


 イレナも即座に解毒膜を鼻にあて、対処する。


 「戦うつもりなの?」


 「ええ。だって私、“試されてる”もの。あなたを倒せば、“師”の幻影に勝てるかもしれない」


 「そんなもの、勝っても――」


 「分かってる! でも、そうしないと私、ずっと、あなたの背中を見上げたままなんだ!!」


 フィアの叫びとともに、複数の毒弾が空間を駆ける。


 煙、針、霧状の猛毒が複合的に押し寄せる中、イレナは紙一重でかわしながら、自身の“黒薔薇毒霧”を展開。


 瞬時に空気の層を反転させ、毒の侵攻を遮断。

 そして、煙の中から一閃。イレナの薬針が、フィアの腕に掠る。


 「……反応毒? 私の毒を、逆に利用したのね」


 「私の毒は“盾”よ。誰かを殺すためじゃない。誰かを、救うための毒」


 フィアの顔に、初めて迷いが走る。


 「じゃあ、あの時……私を見捨てたのも、“救うため”? 私を死なせることで、誰かを助けたとでも?」


 「違う……私は、あのとき、ただ怖かったの。あなたのことが、サウルが、あの毒が――全部、恐ろしくて逃げただけよ」


 「……!」


 イレナは毒弾をすべて下ろし、静かに手を広げた。


 「だから、謝りたい。私はあなたを見殺しにした。死んだと思って、すべて忘れようとした。でも、忘れられるわけがなかった」


 フィアは、その言葉に、ゆっくりと震えはじめる。


 「……嘘つき。そんな顔、あのときしてなかった……!」


 「してた。あの夜、泣きながら逃げたのは私よ」


 「どうして今さら……!」


 「今さらでも、向き合わなきゃいけない。あなたの人生を狂わせたのは、他でもない私なんだから」


 沈黙。

 毒の霧がゆっくりと消えていく。


 やがて、フィアはその場に崩れ落ちた。


 「ずっと……聞きたかった、言葉だったのに……こんなに遅いなんて……ズルいよ、姉さん……」


 イレナはそっと膝をつき、彼女の肩に手を添える。


 「一緒に償おう。私たちの毒で、この国の闇を終わらせる。今度こそ、守るために」


 フィアは、嗚咽をこらえながら、小さく頷いた。


 過去の檻は、壊れた。


 そして、二人の毒は――“共に戦うため”の力へと変わる。

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