第12話:かつての弟子、仮面の継承者
晩餐会から一夜明けた王宮には、重苦しい余韻が漂っていた。
セルダリア使節団の動向を受け、王政庁では緊急の調査が開始され、外交ルートも水面下で激しく揺れ始めている。
だが、それ以上にイレナの心を騒がせていたのは――昨夜、あの仮面の女が残した一言だった。
>「完敗ね、“姉弟子”。でも、あなたが“あの時捨てた者”は、まだ生きてるわよ?」
その声は嘲りでもなく、憐れみでもなかった。ただ、事実として告げられた。
イレナはひとり、黒薔薇室の私室にて、過去の記録を開いていた。
サウルの“灰の研究院”――それはかつて、イレナが毒の修行をしていた機密施設。
王国によって潰されたはずのその施設が、まだどこかに残っている可能性がある。
(私が逃げたあの夜……助けられなかった彼女……)
「“フィア”……あなた、本当に生きてるの?」
そこへ、アデルが部屋をノックもせずに飛び込んできた。
「イレナ! 王宮南区の市場で、毒による集団昏倒事件が発生した!」
「……毒の種類は?」
「不明。ただし、現場に残されていたのは、“あの仮面”だった」
イレナの胸が鋭く締めつけられる。
(私を“誘っている”……フィア、あなた……)
王宮地下にある黒薔薇室の指令室では、すぐに捜査班が動き出した。
ティナが地図を広げ、毒の発生源と伝播経路を解析する。
「被害範囲はごく狭い。でも、毒の構成が“人工的すぎる”。呼吸毒と経皮毒を同時に使っているわ」
アデルが低く唸る。
「普通の毒師じゃ扱えない。つまり、完全に“狙って撒いた”ということか」
イレナは立ち上がった。
「……私が行くわ。彼女に会いに」
現場――王都南区。
毒気はすでに風で散っていたが、民の恐怖は色濃く残っていた。
倒れた数人の被害者は、すでに黒薔薇室の薬師たちによって回復していた。
そして、その中央にぽつりと置かれていたのは、白銀の仮面。
裏には一言、書き込まれていた。
>「“わたしはあの日、ここにいた”――F」
その夜、イレナのもとに密書が届いた。
差出人不明。ただし、使用された暗号は“灰の研究院”時代のもの。
開いた手紙には、こう記されていた。
>「“姉弟子”へ
> あの夜、あなたが逃げたとき、私は“灰の毒瓶”に閉じ込められていた。
> あなたは振り返らなかった。けれど私は、あなたを恨んでなどいない。
> 今、私は“継承者”として、あなたを試す義務がある。
> 三日後、南部の廃工房に来て。
> ――仮面の継承者より」
イレナは、静かに目を閉じた。
その夜、イレナはレオン王子の執務室を訪れた。
王子は彼女の顔を見るなり、すべてを察したように微笑んだ。
「行くんだね」
「……ええ。これは私の罪、私の過去。私がひとりで向き合うべきこと」
「……でも、君はもう“ひとり”じゃない」
レオンは立ち上がり、イレナの手を取る。
「毒に染まった記憶でも、それが君を作ったなら――その痛みすら、共に背負いたい」
イレナの瞳が揺れる。
「……ありがとう。でも、これは“けじめ”なの」
その手を、そっとほどく。
三日後。
南部の廃工房――かつて“灰の研究院”が存在した場所の跡地。
朽ちた木々の中、ただ一つだけ風雨に耐えた地下扉があった。
イレナはゆっくりと扉を開け、暗い地下へと足を踏み入れる。
待ち受けるのは、かつての仲間。
かつての妹弟子。
そして今――“仮面の継承者”となった彼女。
すべての始まりに、イレナは再び向き合う。