逃げるなら 全力出そう ほととぎす
魔法学園と言うからには、魔法を使うのは当然だ。乙女ゲームでも魔法の実技訓練は行われていた。世界が変わったのなら、自分も使う日が来ることは予想できていた。
しかし、その日がまさか明日訪れようとは誰が想像できただろうか。
しかも体育で魔法て。
体育って言うからには体を育てろ。体を。
乙女ゲームの世界と融合した弊害なのだろう。
他の科目でも魔法が絡むようになっていた。
理科は物理などに加えて魔法科学という科目があり、歴史科目にも魔法に関する項目が追加されていた。
歴史の教科書を読んだところ、戦国時代には刀狩りではなく魔法狩りが行われ、江戸時代には刀ではなく魔法で攘夷が行われたと書かれていた。
いや無理があるだろ。
魔法の発展と共に成長した日本。それが融合した世界の常識となっていた。
しかし、魔法のない日本で育った俺からすれば魔法はファンタジーの産物だ。使いたいとは思っても、使えたことはただの一度もなかった。
そんな俺が、魔法を使わなければならない状況に陥ったとき、どうするのか。
答えは一つ。サボる。
「というわけで、俺は明日学校に行きません」
乙女ゲームの世界と現実世界が融合した初日の夜、自室のベッドに転がりながらゲームをする妹にそう宣言した。
「どういう訳かは分からないけど、面白い冗談を言うね兄ちゃん」
妹が手元のスマホをつつきながら言う。
「これは本気と書いてマジと読む案件だ」
「マジかよ。それは熱いな」
「そうだ。とっても熱いんだ」
俺の瞳は、これまでの人生において最も誠実であっただろう。それほどまでに、俺の決意は固かった。
「なるほどね。なんで兄ちゃんがそれを私に言うのか理解したよ」
妹は俺をちらりと横目で見て、にやりと口角を上げる。
「何をすればいいんだい?」
妹の口調がわざとらしくキザになる。
俺もそのテンションに乗っかって、スカした感じで話す。
「俺がサボっていると悟られないように、母さんをちょろまかしてほしい」
「協力料は高くつくぜ兄ちゃん」
「構わない。何を犠牲にしても、俺はサボる。絶対に」
「交渉成立だな」
妹はそう言うと体を起こして拳を突き出してくる。俺は口を引き結び、その拳に自分の拳を合わせた。
――――――――――――――――――――――
次の日の朝。俺は自室のベッドで布団に深く顔を埋めていた。
「風邪ね」
母は手元の体温計を見ながらそう言った。
体温計には37.8の数字が表示されていた。
「兄ちゃん大丈夫?」
妹が母の隣から顔を覗かせる。眉を寄せて明らかに心配している表情を作っているが、俺が仮病なことを知っている。なんなら体温計に細工をしたのは妹である。
まあ、頼んだのは俺だけど。
「病院に連れていきたいけど、今日仕事なのよね」
「そこまで辛くないし平気だよ」
「でも…」
「お母さん、そろそろ行かないと」
妹が声をかけて意識を逸らす。
母はまだ心配していたが、妹に背中を押されて俺の部屋から出ていく。
妹よグッジョブ。
母は最後に部屋を覗いて、
「何かあったら電話するのよ?」
と言い残して仕事に向かった。
妹もそれに続いて学校へ向かう。扉が閉まる音と鍵を閉める音を最後に、家は静まりかえった。
しばらくの静寂の後に、
「バレなかったぁ~」
緊張の糸が切れ、俺は力のない声を漏らした。
演技のうまい妹と違い、俺は嘘をつくのが苦手だ。小さい頃、サボろうとして仮病を試みたことがあったが、すぐにバレて車で学校に連れていかれた苦い記憶が蘇る。
妹の協力が無ければ間違いなくバレていただろう。ありがとう妹よ。
「これからどうすればいいんだろ」
見慣れた天井を仰ぎながら呟く。
今回は魔法の使用を回避できたが、根本的な問題が解決できたわけではない。この先何度も魔法を使う機会は訪れるだろう。その度に仮病を使うわけにはいかない。
魔法を誰かに教えてもらうか、それとも魔法を使わない学校に転校するか…。
母が魔法を使いたくないという理由を聞き入れて転校を許してくれるとは考えにくい。現実的なのは魔法を教わることだが、魔法学園の生徒である俺が、魔法が使えないと言って誰が信じてくれるだろうか。
「妹に学騎士をしてた記憶が残っていれば…」
「呼んだ?」
俺しかいないはずの空間に、別の声が響いた。驚いて横を見ると、先ほど部屋を出ていったはずの妹が体育座りをしていた。
「なんでいんの!?」
「兄ちゃんが心配だから看病しようと思って」
妹は目を三日月のように細めてにんまりと笑う。こういう顔をしているときは大体悪いことを思いついているときだ。
「本音は?」
「兄ちゃんだけサボるなんてずるい。私もサボる」
予想通りの答えが返ってきた。
俺は思わずため息をつく。
「兄ちゃんが心配なのは本当だよ。昨日から変だし、魔法使いたくないから休むっていうのも兄ちゃんらしくないもん」
「どういう理由だったら俺らしいんだよ」
「フラれて気まずい、とかかな」
お前の中の俺ってそんなイメージなの?
しかし残念だったな妹よ。そのイメージは間違いだ。俺に誰かに告白できるほどの度胸はない。
妹は軽く咳払いをして姿勢を正した。茶化すような気色はなく、真剣な眼差しで俺を見つめてくる。
「それはともかくとして、何があったのさ」
「………」
全てを話して、信じてくれるだろうか。
一瞬の躊躇いが言葉を詰まらせたが、妹なら信じてくれるのではないかという期待の方が勝り、気づいたら全てを話していた。
ここが妹の好きな乙女ゲームと融合した世界であること。俺には元の世界の記憶しかないこと。魔法を使ったことがなくて困ってサボったこと。
妹は静かに聞いていた。
俺は全てを語り終えると、恐る恐るどう感じたのか妹に聞いた。
「正直、全部を信じたと言えば嘘になる…かな」
ですよねー。
すぐに信じてもらえるとは思っていなかった。しかし、信じてくれるかもしれないという淡い期待を抱いていた俺は、その答えにがっくりと肩を落とした。
「兄ちゃんの昨日の変な言動の理由を説明するには辻褄が合うよ? けど、現実でそれが起こるかって聞かれたら…」
「まあ、普通はノーだよな」
妹はコクリと頷く。
「魔法があるから可能性が無いとは言いきれないけど、世界を融合するメリットが分からない。理を変える程の魔法を使うとなったら、とんでもない量の魔力が必要だもん。それに、記憶があるのが兄ちゃんだけっていうのも引っ掛かる」
妹は口元に手を添えて思考を巡らせている。
「その乙女ゲーム、本当に私がやってたんだよね?」
「ああ。エドワード・ラルクローレンってキャラを推してたよ。何度もゲーム画面を見せられた。ポスターを壁一面に貼ってたし、グッズで祭壇も作ってた。」
「エドワード…。あ、クラスの子が話してた気がする。高等部にそんな名前のイケメンがいるとかなんとか」
「まさにそれだよ。金髪碧眼のイケメン。お前の性癖どストライクだろ」
「確かにどストライクだけど、二次元にしか興味なくて、リアルは皆同じ顔に見えるんだよね」
推しと同じ世界に存在していてその感想とは…。コイツ、目の前の幸せを逃すタイプだ。
「兄ちゃん、どうして可哀想な人を見るような目で私を見るんだい?」
「いや、なんでもないよ」
俺は思わず目頭が熱くなり鼻をすすった。
「なんか心外なこと思われてる気がするけど…まあいいや。兄ちゃん、今の話に関して、考える時間をもらってもいいかな?信じられない部分の方が多いけど、兄ちゃんが嘘つくとは思えない」
真っ直ぐと見つめ返す妹の瞳に、嘘偽りはなかった。代わりに、爛々と輝く好奇心の光が差し込んでいた。
「……お前、さては楽しんでるな?」
「とーーっても!!」
妹は満面の笑みを浮かべて弾んだ声で答えた。
コイツ、将来大物になるわ。




