乙女ゲームの学園の生徒になった
高校生ならば、一度くらい異世界転生の物語を読むだろう。魔法が使えて、無自覚系の最強チートが活躍するような世界。
そんな世界は、二次元だけの話だと思っていた。
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「玲央…」
俺の名前を呼ぶ声がする。
誰だろう。どこかで聞いたことがある気がする…。
目を開けると、この世のものとは思えないほどに整った顔立ちの青年がいた。
甘く蕩けるような、優しい眼差しで見つめてくる。
太陽の光のように輝く金髪が、俺の顔にかかる。
「エドワード……」
思わずこぼれた相手の名前。
目の前の人物は嬉しそうに目を細めた。
「君に呼ばれるだけで、自分の名前が特別なもののように感じられる」
そう言うと、相手の顔がゆっくりと近づいてくる。
吐息が重なるほど近づく唇に、俺は目を閉じた。
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「じゃ、ねぇぇーーーー!!!」
椅子から立ち上がる音とツッコミの声が教室中に響き渡る。
「ん?あれ?」
さっきまで視界の全てをイケメンが占領していたのに、いつの間にか見慣れた教室が目の前に広がっていた。
突然の出来事で理解が追い付かないが、それは周りも同じようだ。
教室の誰もが目を大きく見開いて、こちらを凝視している。
「海崎、寝るなら静かに寝ろー」
ただ1人、こちらに背を向けて黒板に数式を書き込む先生が、気だるげな声で言った。
「す、すみません!!」
俺は慌てて椅子に座り直した。
クラスメイトのくすくすとした笑い声に、顔が熱くなる。
(恥っず!!!)
俺は心の中で悶絶した。
黒板の上にある時計を見ると、十一時に差し掛かろうとしていた。丁度三限の授業が終わる時刻である。
新学期初日にも関わらず普通に授業を受けているのは、始業式は簡単に済まされたからだ。おかげで校長先生のありがたいお話を長時間聞くことは無かったが、トータル五分というのはあまりにも短すぎると思う。
ここは朝霧高校改め、国立ブラン魔法学園。
魔法が使える生徒のみが通うことを許され、秩序と実力を重んじる名門校である。
そして、乙女ゲーム『学園王子と10人の騎士』の舞台でもある。
現実と乙女ゲームの世界が融合したことで、俺は魔法学園の生徒になってしまった。
自宅や町並み、周囲の人間は変わっていないのに、玲央や妹の通う学校だけが変化していた。
古い校舎が、中世の王宮のような煌びやかな外観になった。教室の配置や内装、備品に関しては、ちょっと天井が高くなって、ちょっと窓が二人分くらいの高さにグレードアップしたことを除けば、そこまで大きな変化はなく、ほぼ元の世界のままだ。
俺の後ろの席にお調子者の久我がいるのも、数学の先生に覇気がないのもいつも通りだ。
ただ一つ、大きな変化があったとすれば……。
右隣に視線を移すと、とある男子生徒と目が合う。
「おはよう」
俺にだけ聞こえる声で相手は言った。
太陽の光のように輝く金髪が、ふわりと揺れる。サファイアのように煌めく碧眼。端正な顔立ち。柔らかい目元には人柄がにじんで、優しい印象を与える。
『学園王子と10人の騎士』に登場するエドワード・ラルクローレンがそこにはいた。
「かなりうなされていたけど、何か夢でも見てたの?」
「あ、あはは……」
(言えねぇ!さっきまでお前とキス直前までいった夢を見てたなんて、死んでも言えねぇ!!)
俺は乾いた笑いをするしかなかった。
先ほど夢で見ていたのは、妹に何度も見せられたゲームのワンシーン。好感度が上がり、エドワードの愛が溢れるシーンだと力説されたのを覚えている。「もしもこの世界で俺がヒロインだったらあんなこと言われんのかなー」と思いつつ寝たのが良くなかった。がっつり夢に出てきた。
この世界に起きた大きな変化。それは、妹の推しと隣の席になったことである。
昨日までは物静かな女子が座っていた。それがなんでか超絶イケメンに変化した。
ちなみに彼女はクラスからいなくなったわけではなく、一番後ろの席に移っていた。
だからってなんで俺の隣なんだよ……。
妹が喜びそうな状況だ。
しかし、当の本人はエドワードの存在どころか、乙女ゲームをやっていた記憶自体すっかり失なっていた。
普通はかつての妹のような作品のファンがこのような状況に置かれるのがセオリーであろう。
なのになぜ、男に興味のない思春期男子がイケメンの中に突っ込まれるのか…。
俺がため息をついたのと同時に、終了のチャイムが鳴った。
「はい、じゃあ今日はここまで。海崎、寝た罰として黒板よろしくー」
「うえ!?」
急に名指しされて裏返った声が出た。
先生は面白がるように口角を上げて、ひらひらと手を振って教室から出ていった。
「災難だったなー玲央」
俺の後ろから肩を回してそう言うのは、後ろの席の久我陽介である。水泳部に所属しており、中学からの友人だ。
「そう思うなら黒板消すの変わってくれよ」
「えー、あの人筆圧強くて中々消せないからなー」
「じゃあ僕がやるよ」
そう言ったのはエドワードだ。
「え?」
俺は思わずすっとんきょうな声を出した。
エドワードはにこやかな表情を浮かべ、手を黒板の方にむける。
「風と共に踊れ。ウィング・バード」
唱え終わるのと同時に、黒板に書き込まれたチョークの字が消えた。
「なっ!」
目を見開く俺をよそに、エドワードはなんてことないように「終わったよ」と言う。
「ありがと…、え、今のって……」
「風の精霊にチョークの粉を落としてもらったんだ」
こんなことのために精霊使ったの!?
二次元では、割りと重要な場面に登場することも多い精霊を、黒板消しに利用する人がこれまでいただろうか。
いやいない。
「すっげえ!!!!もっかいやって!!!」
驚愕する俺とは異なり、久我は鼻息荒く目をキラキラさせていた。
「あはは。次の授業のあとで良ければいいよ」
「やった!!!」
久我は手を上げて喜ぶ。
久我は素直で人懐っこく、裏表のない性格をしている。大人びたエドワードと並ぶと親子のようだ。
「明日の体育でもエドワードのすごい魔法見れるかな?」
久我の言葉に俺は首を傾げた。
「体育なら魔法使わなくないか?」
今度は久我が俺の言葉に首を傾げた。
「なーに言ってんのさ。体育は魔法を使うものじゃん」
「え」
体育は魔法を使うもの…?
なにそれ。そんな常識知らないぞ。
首から冷や汗が垂れる。
「確か明日は魔法測定するんだっけ」
「そうそう!エドワード毎年いい記録出しててすごいよね!」
「そんなことはないよ」
エドワードと久我の会話は、男子高校生のなんてことない会話なのだろう。しかし、今の俺にとっては非日常的な会話である。
いや、そんなことはこの際どうだっていい。それよりも、気にするべきことが他にある。
(俺、魔法使ったことない!!!)




